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「今日の午後、ハービソン侯爵が私を訪ねてくる。イブリンも同席するように」
アーティが伯爵令嬢になってから二週間後、朝食の席で父が言いました。
貴族の邸宅には、朝食のためだけの部屋があります。そこは好きな時間に好きな料理を好きなだけ食べられるビュッフェ形式になっています。
私は「はい」と答え、紅茶のティーカップを口に運びました。いよいよ『アーティの義父にふさわしい侯爵の説得』をする日がやってきたのです。
レイクンが心配そうな顔で私を見ます。
「アーティをバーナードに嫁がせる計画のうちの、最も難しい部分だね。ハービソン侯爵は八大公爵家に尋常ではない対抗心を燃やしているらしいけど……大丈夫なのか?」
「簡単ではないでしょうね。でも条件からして、ハービソン侯爵が義父にするにはぴったりなの」
私はパンをちぎりながら答えました。
卵料理を口に運ぶ手をとめて、父が私を見ます。
「イブリン、一瞬たりとも油断するな。八大公爵家の醜聞や不幸話に最初に飛びついてくるのが侯爵たちだ。義父になるという了承を取り付けらなければ、ハービソンはアーティとバーナード、そしてお前のことを一大スキャンダルとして喧伝して回るだろう」
「心配いりませんわ、お父様。ハービソン侯爵相手に『失敗』も『敗北』もありえません」
私はにっこり微笑みました。次の瞬間、レイクンの目が何かに気づいたように大きく見開かれます。
「どうしたアーティ、顔が青いぞ」
朝食室にいる面々が一斉にアーティを見ました。
アーティは以前、先生方とレッスン室で朝食をとっていました。しかし次の侯爵令嬢のテストに向けて、とにかく実践経験を積まなければなりません。ですからアーティも、私の家族と朝食をともにするようになったのです。
私はナイフとフォークを置き、アーティに尋ねました。
「どうしたの、アーティ」
「いえ……なんていうか……。難しい作戦に挑むイブリン様が、ハービソン侯爵とかいう人にいじめられたり、辛い思いしたりするのではないかと思ったら……胸が」
アーティが手で胸を押さえます。
「むかむか、イライラ、もやもや……よくわからないんですけど」
私以外の、その場にいる全員がきょとんとしました。
「どの口が言うんだって感じだけど、やっぱり未熟な心が成長してきたのか……?」
レイクンが盛んに首をひねります。
どうやら彼女、これまで知らなかった感情──自分でも説明のつかない感情に戸惑っているようですね。
「アーティ、私は八大公爵家の娘としてやるべきことを粛々とこなすだけよ。でもどうしても心配なら、侍女になりすまして話を聞いたらいいわ。シェンダの横で黙って控えていなさい」
私が言うと、アーティはぱあっと笑顔になりました。
「お父様、反対なさいませんわよね?」
私の問いに、父は少し考えてから答えてくれました。
「別に構わない。ここぞという場面でじっとしていられないようなら、八大公爵家の養女になるなど夢のまた夢だからな」
朝食を済ませると、アーティは先生方と勉強の時間です。
私はあれこれと仕事をし、あっという間に昼時になりました。いつもの滋養強壮剤で昼食を済ませます。
午後一番からはお父様の執務室で事前の打ち合わせ。やがて執事が「ハービソン侯爵がお見えです」と告げに来ました。
「この部屋へ通せ」
お父様が指示を出すと、やがてジェイク・ハービソン侯爵が現れました。私たちは立ち上がって出迎えます。
体にぴったり合ったシンプルで仕立てのいい服、最高級の靴。ひと目で裕福な貴族と分かる装いです。そして、若い頃はさぞかしハンサムだったろうと思わせる顔立ち。唇の上に小さな口ひげをたくわえています。
「社交の場以外で会うのは久しぶりだな、アンドルー」
「来てくれて嬉しいよ、ジェイク」
父とハービソン侯爵が握手を交わします。爵位の違いはあれど、二人の態度や所作はいかにも友人らしいもの。
(かつて友人だった、と言った方が正しいのだけれど)
その証拠に、ハービソン侯爵は父に冷たい視線を向けています。
今から二十年以上前、花婿候補として引く手あまたの青年貴族だった二人は、国一番の美男子の称号を争っていたのだとか。
乗馬、球技などのスポーツ、ビリヤードやカードゲームなどの腕も甲乙つけがたく、紳士クラブや娼館や賭博場で一緒に羽目を外したこともあったそうです。
そのころ私の母ラフィアは、国一番の美女ともてはやされていました。
二人は母をめぐる恋のライバルとなり──父の求婚は受け入れられ、ハービソン侯爵は断られてしまった。
そのことをきっかけに、彼らの友情は終わってしまいました。母は八大公爵家の権威に目がくらんだのだと、ハービソン侯爵は未だに信じておられるようです。
「それで、用件は何だ? わざわざ呼び出すくらいだから、よほど大事なことなのだろう」
「ちょっとしたビジネス上の提案があってね。娘のイブリンも同席させてもらう。まずは茶でも飲もう」
「いや、いらない。さっさと本題に入ってくれ」
ハービソン侯爵はソファに座ると、尊大な態度で背もたれに身を預けました。彼のソファの後ろに侯爵家の使用人たちが並んで立ちます。
私は父と並んで座りました。後ろにはエリスとスタントンが立っています。
「そう急くな。過去の因縁のせいで早く帰りたいのだろうが、暫くは我慢してくれ。シェンダの茶の味は覚えているだろう?」
「ふん。それならさっさと用意するんだな」
ハービソン侯爵は落ち着いた顔をしていますが、指で腿をトントンと叩いているあたり、内心では苛ついているようですね。
父が若い頃から仕えている総侍女長のシェンダが、お茶のワゴンを押して入ってきました。その後ろからお菓子の載った盆を持ったケイトとノエル、そして侍女姿のアーティが続きます。
シェンダに依頼しておいたので、アーティの変装は完璧でした。
髪をきっちりアップにしてメイドキャップの中に入れており、地味目のメイクも完璧。キャップを深めに被っているので、あまり表情はうかがえませんが。
シェンダは熟練の、ケイトとノエルは子爵家の血筋の娘らしい所作で給仕をします。
アーティは壁際に控えているだけですが、その立ち姿は研鑽の成果を感じさせる綺麗なものでした。




