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翌日は買い物にぴったりの晴天でした。空は青く、陽光が降り注ぎ、それでいて心地よいそよ風が吹いています。
「それじゃあ行ってきます、イブリン様!」
ケープコートを羽織り、左手首にレティキュールをひっかけたアーティが、満面の笑顔で大きく右手を振ります。
「楽しんでいらっしゃい」
アーティと三人の令嬢が紋章の入っていない馬車に乗って出かけていくのを、私は笑顔で見送ります。
執務に戻ってしばらくすると、いつものようにフレデリック様がやってきました。
「ここに来る前、バーナードの姿を見てきたよ」
フレデリック様がさらりと言います。一瞬戸惑いはしたものの、私は表情を変えませんでした。
「慎重に行動してくださったんですよね?」
落馬をして骨折したバーナード様は、その事実をとことん秘密にしたがっている。そこで私はテイラー公爵に、貴族に知られていない建物に彼の身を隠すよう提案しました。
バーナード様が選んだのは、中産階級が住む地域にある平屋です。彼の警戒心を呼び起こすような真似を、フレデリック様にされては困るのです。
「大丈夫、周囲の住人は買収してある。私の素性がバレないように配下の者を使ったから、そこは心配しなくていいよ」
「それなら安心ですね」
王都サルリナは王家の縄張り。フレデリック様の権力と財力をもってすれば簡単なことです。それに彼の配下はよく訓練されている。絶対にへまはしないでしょう。
「平民出身の私の部下たちが、ごく普通の格好をして、さりげなくバーナードを監視しているよ。その道のプロばかり選んだから発覚する心配はない」
「王家が誇る諜報機関ですか……」
「アーティを子爵令嬢合格まで導いたお祝いさ。花、ドレス、宝石。そういうものより喜ぶんじゃないかと思って」
「素晴らしいプレゼントですね」
そう答えながらも、私は少し背筋が寒くなりました。確かに薔薇の花束を贈られるよりよほど嬉しいですが、スケールが大きすぎます。
バーナード様の引っ越しが完了したのはつい二日前の話。もちろん、監視役として一般人になりすます人間は用意していましたが、王家の諜報機関には敵いません。
「平屋の周囲をぐるりと諜報員で囲まれては、バーナード様は丸裸も同然ですね」
「奴がくしゃみをしたら、私に情報が入るよ。イブリンは安心してアーティの教育に邁進するといい。彼女は君に心酔しきっているようだし、ここから先は加速度的に成長するだろう」
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
これで結婚式まで、バーナード様の動向を気にせずに済みます。あの男を徹底的に蚊帳の外に置くことができる。
「それで、バーナード様の様子はどうでした?」
「ストレスが溜まっているね。足を石膏で固定されて、ベッドでじっとしているのが苦痛でたまらないらしい。イライラして誰彼構わず怒鳴りつけるものだから、使用人たちが手を焼いている」
「まあお可哀そうに。活発な方ですもの、自由に動けないなんて怒りたくもなるでしょう」
バーナード様の足では当分歩けません。できないことを手伝ってくれる看護人が必要なのです。
「そんな怒りっぽい患者はみんな嫌がるでしょうね。プライドの高い公爵家の使用人は、耐えきれずに逃げ出してしまうのではないかしら」
「ああ、実際使用人の出入りは激しいよ。さすがのテイラー公爵家でも駒が尽きるだろう。バーナードはアーティの侍女を面接するより先に、自分の看護人を探す羽目になりそうだ」
「王都にある職業斡旋所の一覧は渡してありますから、ご自分で適任者を探すでしょう」
結婚後の新居でアーティに仕える侍女探しのために、私がテイラー公爵に手渡したのは『女性専門の職業斡旋所』の一覧ですが、まあ問題はないでしょう。女性の方が細やかな看護ができますしね。
バーナード様と看護人との関係は節度あるものになるはずです。だって骨折している人が、女性を口説こうなんて思うはずがありませんもの。
「傲慢で自分勝手なバーナード様に耐えられる人材なら、アーティの侍女としても立派にやっていけるでしょう。一石二鳥ではありませんか」
私は右手を上げ「もうこの話題はおしまい」という意思をフレデリック様に伝えました。
彼が小さくうなずきます。王太子という絶対的な地位にありながら、私の言うことを何でも聞いてくれるなんて、とてもありがたいですね。
「アーティを引き受けてくれる侯爵は見つかりそう?」
「実は、目星はついています。テッドやスタントンにあの手この手で探らせていますから」
「へえ、さすがだね。侯爵ともなると弱みを見せないし、どうあっても面子を保とうとするのに」
フレデリック様が感心したようにつぶやきます。
「あとは未来に向かって一直線に進むだけか。素晴らしいね」
「気が早いですわ。侯爵の説得という、難しいところはまだ乗り切っていませんし」
「きっと大丈夫。君はどんな困難な道でも、つまずきもせずに上手に駆け抜ける人だから」
フレデリック様が机の天板に両手をついて、じっと私を見つめます。
「ねえイブリン、ちょっと踊らないかい? 君はずっと頑張り続けてきたし、たまには息抜きをすべきだ」
私は口元に手を当てて考えます。確かに今は、アーティの淑女教育を開始してから初めて得られた自由時間。
いつも私を助けてくれるフレデリック様に感謝はしている。そして感謝の気持ちは、ちゃんと表さなければならない。
「もちろん喜んで。王太子様のお相手を務めるというのは、大変栄誉な事ですもの」
私はフレデリック様と舞踏室に向かいました。エリスがいそいそとピアノの前の椅子に座ります。
「あら。少し背が伸びましたか?」
フレデリック様と真正面から向き合うと、目線が以前より上にあることに気が付きました。記憶にあるよりもずっと背が高い。彼は得意げに、にやっと笑います。
「成長期なのさ。最近では、夜中に成長痛で起きることもある」
「一気に背が伸びるタイプだったのですね」
「まだまだ伸びるよ、楽しみにしていて」
見た目の変化って、毎日のように会っていると気づきにくいものですね。
フレデリック様が私の手を取ります。
エリスが奏でるワルツに合わせ、私たちは踊り始めました。
ダンスで主導権を握るのは男性側、つまりフレデリック様です。あまりの踊りやすさに、私は驚きました。彼のリードだと、難易度が高すぎるステップも蝶のように軽やかにこなせます。
「ああ、やっぱり好きな相手と踊るのはいいね」
フレデリック様が私の耳元で囁きました。
「私は年上ですよ」
「たかが四歳差じゃないか」
天性の踊り手であるフレデリック様は、私が望む通りの見事なリードを取ってステップを踏みます。
「イブリン。君は私の人生で、一番大切な人だよ」
リズムに乗って動きながら、フレデリック様が囁きます。
「王太子の結婚相手が年下に限られるなんて馬鹿げている。時代遅れのしきたりだ。君ほど王太子妃としてふさわしい女性はいないというのに」
「…………」
「私は必ず、自分の人生を思い通りにする。必ずだ。やることなすことすべてが上手くいく人間なんだよ、私は」
「……わざわざ言うまでもありませんけれど。バーナード様とアーティの結婚式まで、私の邪魔は決してなさらないでくださいね」
フレデリック様の腕の中で、私は花がほころぶように微笑みました。ええ、牽制するためですよ。
私たちは体を揺らしながら見つめ合いました。傍目からは、二人だけの世界に浸っているように見えることでしょう。
「もちろん邪魔はしない」
音楽と完全に調和しつつ、難しいステップを踏み続けます。
「自立心旺盛な君が好きだ。私が知っている中で、最も強い女である君が好きだ」
「……変わった方ね」
たいていの男は自立心旺盛で強い女を持て余してしまうというのに。たとえどれほど美しく、利用価値があったとしても、男にとっては脅威になるから。
「私は誰かさんのような、うぬぼれが強いだけの器の小さな男ではないからね」
耳元で囁かれ、わずかに頬が熱くなるのを感じました。曲がクライマックスに近づいて、息が上がってきたのでしょうか?
ステップを踏み、最後のターンをこなし、私たちは完璧なタイミングでぴたりと静止しました。
(素晴らしいダンスだったわ。これほど息の合うパートナーがこの世に存在するなんて。相性がいいことは認めざるを得ないわね)
フレデリック様がいくら頑張っても、私を王太子妃にすることは難しいでしょう。若い妻に丈夫で健康な子供を産ませるのが、この国の王侯貴族の常識ですから。
しかし今のフレデリック様には、何でも成し遂げてしまいそうな力強さがある。もしかしたらもしかするかもしれません。
「フレデリック様。今の私には、バーナード様とアーティの結婚式のことしか考えられません。そして全てが終わったら──その後の私の人生は、私自身が決めます」
私の意思に逆らって王太子妃にすることはできない。私の人生を勝手に操るようなことはさせない。
そんな気持ちを込めて、私は右足の膝を深く沈めて優雅にお辞儀をして見せました。




