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「イブリン様、本当にありがとうございます。私、つい二週間前までドレスを買うお金すらなくて。社交界デビューをすっかり諦めていました。男爵令嬢でしかない私が、こうして間近でイブリン様のお姿を見られるなんて……」


 執事の手でお茶が出されると、ウォーレン男爵令嬢のフラニーが涙ぐみました。


「私も心から感謝しております。イブリン様が救いの手を差し伸べてくださったおかげで、私は婚約破棄されずに済みました。兄は名将として名高いローム将軍の部隊に移動して、心を入れ替えて頑張っています。イブリン様は我が家の恩人であり、神様なのですわ」


 ブレント子爵令嬢イリーナがハンカチでそっと目元を拭います。

 海軍新兵の彼女の次兄が酷く賭けにのめり込み、彼女の持参金を全額すってしまったのです。


「イブリン様は私の弟の命と、私自身も救ってくださいました。ミルバーン公爵家の秘薬を入手する幸運に恵まれましたが、我が家の財力では買い続けることはまず不可能。私は父よりも年上の老紳士に、支度金目当てで嫁ぐ覚悟すらしていたのです」


 ジェンセン伯爵令嬢テリサが「本当にありがとうございます」と頭を下げます。

 私はにこやかな笑みを浮かべました。優しく、それでいて圧倒的な存在感のある公爵令嬢らしい笑みを。


「皆さん、それぞれの事情で苦労しましたね。でも今の皆さんにはミルバーン公爵家の後ろ盾がある。怖いものは何もないわ」


 令嬢たちが目元を拭い、熱いまなざしで私を見つめてきます。彼女たちはこれから私を尊敬し、崇拝し、手足となって動いてくれることでしょう。もちろん彼女たちを助けるために使った金額分の補填は、テイラー公爵家にしていただきますが。


 紳士たちは今頃ワインと葉巻を楽しみながら、金銭以外の特別な条件の交渉をしているはず。新しい邸宅や土地、農業や工業の技術、資源や種馬、王宮内での地位。テイラー公爵家はアーティの受け入れ先の家々に、それらを提供する必要がある。

 アーティの義父たちは自らが救われたと同時に、『口止め料』という最強の切り札を手に入れたわけですからね。

 馬糞係の平民が公爵夫人にのし上がるサクセスストーリー、国民が熱狂する歴史的な大恋愛の裏で、私がどれほどの仕打ちを受けたのか……テイラー公爵は身銭を切って、口止めしなければならないのです。


「あらいけない、お茶が冷めてしまうわね。飲んでみて、本当に美味しいから」


 私が微笑むと、令嬢たちが「はい」とお茶のカップを持ち上げます。私は席に戻り、美味しそうにハーブティーを飲む令嬢たちを眺めました。


「アーティが合流する前にお願いしておくわ。あなたたちは彼女の『親友』になって、毎日一定の時間を一緒に過ごしてあげて」

「私たちが、アーティさんの親友に……」


 令嬢たちが顔を見合わせました。

 抵抗があるのはわかります。彼女たちは己の父親から、私が受けた仕打ちを聞いていますからね。


「最大級の忍耐が必要になると思うけれど、頑張ってほしいの。結婚式までの二か月半でアーティは心身を磨き上げなくてはならないわ。特に最後の一か月は非常に難しい時期で、まさに正念場なの」

「最後の一か月……アーティさんが次の侯爵令嬢になって、社交界デビューしてからの期間ですね」


 伯爵令嬢テリサの言葉に、私は「ええ」と答えました。


「社交界デビューをすると、いくつもの落とし穴に遭遇するでしょう? 身を挺して庇ってくれる取り巻きが必要なの」

「お任せください。私は一昨年社交界デビューしましたから、色々と役に立つ助言ができると思いますわ。となると直近の、アーティさんが伯爵令嬢になるまでの二週間と、その次の侯爵令嬢になるまでの四週間で、私たちは彼女と友情を育むのですね。何か取り組むべき課題がありますか?」


 伯爵令嬢だけあって、テリサは察しがよさそうですね。私は椅子の背にもたれて笑みを浮かべました。彼女は取り巻き三人組の心強いリーダーになってくれるでしょう。


「あなたたちの役目は、アーティに様々な会話のパターンを次から次へと経験させることよ。あの子はまだアドリブが効かないの」


 私はお茶を口に運びました。そして三人の顔を見回します。


「実はね、アーティはフェリー・ルイスの小説を真似ているだけなの。おとぎ話限定なのだけれど、空想の材料にするためなら普通より速く暗記できるのよ」


 口をぽかんと開けたり、目を丸くしたりして、令嬢たちが私を見ます。


「小説の言葉を引用したり、登場人物の行動を真似たり。そうやって知識の欠如を補っているの。とはいえ頭の中で情報が効率よく整理されているとは言えないわ。相手の言葉や行動が知っているパターンから外れると、思考が停止してしまうの」

「つまり、決まった流れで覚えた台詞しか言えない女優のようなもの……」


 伯爵令嬢テリサが言います。私は「その通りよ」とうなずきました。


「実践が必要なの。絶対的な味方、失敗しても大丈夫な面子の前で、様々なパターンを経験させたいのよ」

「私たちが、アーティ様の絶対的な味方に……」


 令嬢たちが顔を見合わせます。


「そう。自己暗示のつもりで、自分に言い聞かせてちょうだい。あなた方はアーティの『理解ある親友』よ」


 フェリー・ルイスの小説には、ヒロインをよく理解している親友が出てきます。相談に乗ったり、喧嘩をしてもすぐ許したり、タイミングよくピンチを救ったり──ヒロインをありのままに受け入れ、寄り添ってくれるキャラクターが。


「流れはすべて私が作るから安心して」


 私は令嬢たちに今後の予定を語って聞かせました。

 人気のドレスショップと宝石店を借り切った買い物体験。我が家の親戚筋の青年たちにも協力を仰いで行うお茶会やピクニックやダンスパーティー。


「アーティにとって青年紳士は場慣れするための小道具のひとつ。いついかなる時も教師が付き添い、慎み深く振る舞わせるわ。でもあなた方はロマンスのチャンスがあったら、ためらわずにつかみ取っていいのよ」


 まだ婚約者のいない伯爵令嬢テリサが「まあ」と恥ずかしそうに身をよじり、男爵令嬢フラニーも期待に目を輝かせました。

 婚約済みの子爵令嬢イリーナは、高級店で好きなだけ買い物ができると知ってうっとりとした顔になっています。


「では、そろそろアーティを呼びましょうか」


 私は卓上に置いてあるベルを二回鳴らしました。あらかじめ決めておいた、アーティ合流の合図です。


「皆様、お待たせして申し訳ありません」


 数分後にアーティが現れ、淑女らしくお辞儀をします。

 急いで廊下を歩いてきたせいか、頬がピンク色に染まっています。子爵令嬢のテストに合格したことは伝わっているはずなので、その喜びのせいかもしれません。

 令嬢たちが立ち上がります。


 アーティが「このたびは」と口を開いたところで、伯爵令嬢のテリサが身を乗り出すようにしてアーティの手を握りました。

「アーティさん、あなたとお喋りするのを楽しみにしておりました。私たちはすぐに仲良くなれると思いますわ。私のことは、気軽にテリサと呼んでくださいませ」


 子爵令嬢イリーナがにっこり微笑んで、アーティの肩に手を置きます。

「私はイリーナです。子爵令嬢のテスト、合格おめでとうございます。二週間だけの義理の姉妹ですが、一度結んだ縁は切っても切れませんわ。これからずっと仲良くしましょう」


「皆さん、このフラニーを忘れないでくださいませ」

 男爵令嬢のフラニーが興奮の面持ちで、自分の存在をアピールします。

「アーティ様と一番初めに義姉妹になったのは私ですわ。きっと、特別仲睦まじくなれると思いますの!」


 熱烈な歓迎を受けて、アーティはきょとんとしています。礼儀正しく、丁寧に挨拶することしか考えていなかったのでしょう。


「『王子様と宿命の花嫁』のシンシアは、突然プレゼントをもらった時に何と言ったかしら。『鳥籠令嬢の運命の人』のジェインに、初めて友達ができたシーンも思い出してみて」


 私はアーティの耳元で囁くように言いました。

 アーティがすぐに口を開きます。


「こんなに嬉しいことはありませんわ。私は今、とっても幸せです。…………ずっとお友達が欲しかったのです。だって友情は、お金で買うことができませんもの」


「大変よくできました」

 私はにっこりしました。


 慣れてくれば、台詞と台詞をすぐに繋げられるようになるはず。『親友』の前でなら失敗を恐れず、記憶にある台詞をどんどん口に出せますからね。自信が増すにつれ、応用が利くようになるでしょう。


「アーティ、この三人の前では自由に喋っていいわ。小説の言葉でも、自分の言葉でも、そのミックスでも」

 私が言うと、アーティの顔がぱっと輝きました。


『だって友情は、お金で買うことができませんもの』


 先ほどアーティが口にした言葉です。素敵な言葉ですね。

 実際には、友情はお金で買えますけれど。その三人の令嬢のように。

 令嬢たちとアーティの楽しそうな声を聞きながら、私は事実を心の深い場所にしまい込みました。


 これもまた、いつか使うかもしれない切り札。

 自分を助け、力づけてくれる尊い友情が、実は欲得ずくだと知ったら──可哀そうなアーティは、きっと心の底から傷つくことでしょうね。



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