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アーティの教育は進捗状況が良すぎて怖いくらいでした。
上手くいくように作戦を練ったのですから、当たり前と言えば当たり前ですが。
ハンソン博士が考案し、私が共同研究者兼スポンサーとなって作り上げた『耳で覚える勉強法』は、朗読を聞いて学ぶというシンプルなもの。しかしその学び方にはコツがあります。
アーティには、短時間で多くの知識を吸収させる必要がある。だからハンソン博士は、臨機応変に読み上げるスピードを変えています。一日の隙間時間で三冊も読み聞かせるのですから、まさに熟練のなせる技。
さらに効果を高めるために、重要なフレーズはアーティに必ず復唱させます。彼女はヒロインになりきっていますから、ごく自然に言葉が出てきます。
教材であるフェリー・ルイスの小説はどれもこれもロマンチックで、愛がすべてに打ち勝つ夢と希望の物語。アーティの集中力は一向に衰える気配を見せません。貴族的でありながら情熱的で刺激的な恋物語に、脳が刺激されてどんどんやる気が湧いてくるようなのです。
「フェリー・ルイスの小説、耳で覚える勉強法、アーティの特殊能力。それらの相乗効果は凄まじいな……」
私の横に立っているフレデリック様が、アーティをしげしげと眺めています。
時刻は午後四時。アーティは大広間で、数日後に迫った『次の義父候補である子爵』との面会に備えた、所作全般の通し稽古の真っ最中です。
私とフレデリック様が見たアーティの装い方、立ち方、しずしずと歩く姿は、すでに子爵令嬢として立派に通用するものでした。
「まだまだ成長過程の拙さはあるが、あらゆる面でずっと良くなったね」
「ええ。ヒロインになりきっているおかげで、貴族の令嬢らしい雰囲気が出てきました。まだまだ本質を完全に理解したわけではありませんけれど」
「君が主導して教育しているんだから、それもじきに吸収するだろう」
私たちが会話をしている間も、アーティの稽古は続いています。
「では、あなたの名前をお聞かせください」
子爵役のトーラ夫人が言いました。弾む会話などは求めませんが、挨拶の言葉は必須です。
「ウォーレン男爵家の娘、アーティと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
アーティがドレスのスカートを少し持ち上げました。背筋は伸ばしたままで、頭だけを軽く下げます。
れっきとした男爵令嬢らしい挨拶です。左足を斜め後ろの内側に引き、右足の膝を軽く曲げるという動作がきちんとできていることがわかります。
「それではアーティ嬢、お茶を淹れてくれますか?」
「はい。早速ご用意いたします」
アーティがテーブルの前に移動します。美しい銀のティーポットやミルクと砂糖入れ、白磁のカップは王室御用達ブランドのもの。小説に出てくるアイテムとまったく同じものを用意しました。
子爵役のトーラ夫人が席に着くのを確認して、アーティがティーポットからお茶を注ぎます。分量はカップの七分目まで、こぼさないように注ぐことができました。
「お砂糖とミルクはお入れしますか?」
アーティが礼儀正しく尋ねます。
「ミルクだけお願いしましょう」
「かしこまりました」
アーティはちょうどいい色合いになるように適量のミルクを入れ、音を立てることなくスプーンで混ぜました。そしてソーサーを持ち、取っ手を右側にして子爵役のトーラ夫人の前に置きます。
及第点以上のアーティの動作に、フレデリック様が「ふむ」と呟きました。
「確か『子爵の前で三十分程度、申し分のない作法で振る舞うことができたら合格』だったっけ? ちょっと気が早いけれど、成功おめでとうイブリン」
「ありがとうございます。子爵令嬢のテストは難なくクリアするでしょう」
私はにっこり笑いました。
『王子様と宿命の花嫁』のヒロインのシンシアが、ヒーローであり王子であるラデュアードの前でお茶を淹れるシーンは、アーティのお気に入りです。
「実践的な学習をする際、ヒロインと同じことをしていると思えば楽しく取り組めますから。フェリー・ルイスには感謝してもしきれませんわ。彼の小説には、貴族が遭遇するあらゆる場面でのマナーが書いてありますもの」
トーラ夫人とお茶を飲んでいるアーティを眺めながら、私はしみじみと言いました。
「とはいえ子爵令嬢にはなれても、その次の伯爵令嬢となると簡単ではありません。まだ完全に習得しきれていない項目があります。間に合わせるために、一丸となって頑張らないと」
「伯爵令嬢のテストは『王族と貴族の名前をそらんじて、ワルツを披露する』だっけ? 国内外の主だった王族・貴族の名前とそれぞれの紋章も暗記して、ミルバーン家とテイラー家、両公爵家の紋章は刺繍までできないといけないんだったな」
「孤児院育ちですから、針仕事の腕前は問題ありません。紋章の刺繍を練習しながら耳で聞く学習を行っています。同じ話を十回聞いたあたりから、他の作業も並行してできるようになるので」
「ふーむ、なるほど」
「国内外の主だった王族・貴族の『家名』は小説に出てきます。実際の当主夫妻が誰なのか補足しているので、記憶に定着しつつあります」
「じゃあ問題は、ワルツということになるね」
「そうなんです。当初の予定より時間に余裕ができたので、もう練習を始めたのですけれど。筋は悪くありませんが、いかんせん優雅さが足りません。雰囲気を掴むために、れっきとした貴族の見本を何度も見る必要があります」
私の言葉に、フレデリック様がにやりと笑いました。
「そこで、テッドやスタントンがひと芝居打つというわけか」
「ええ。彼らの恋人のケイト、ノエルと一緒に」
従僕のテッドは二十五歳で子爵家の三男、父の秘書であるスタントンは二十九歳で伯爵家の四男です。
ケイトとノエルは私がアーティの侍女に選んだ娘たちで、二人とも子爵家の血筋です。
我が家では、使用人同士の恋愛を禁じてはいません。いずれ彼らの子供が、私たちの子孫にまた同じ立場で仕えてくれるからです。
「アーティさん、とってもお上手でしたよ!」
目線の先で、トーラ夫人が笑顔でアーティを褒めちぎっています。
「すべての項目をしっかり覚えていて素晴らしいですね。子爵令嬢のテストは、これなら合格間違いなしですよ!」
トーラ夫人に頭を撫でられて、アーティの目が輝いています。育ての親の孤児院長に似ている人が、ここのところずっと優しくしてくれているので、効果てきめんなのです。
「それでは、約束通りご褒美にしましょう。ここに座ったまま芝居見物です」
「ラデュアートとシンシアのダンスのシーンですね!」
アーティが胸の前で両手の指を組み合わせます。
次の瞬間、ついたての向こうから美しく着飾った男女が姿を現しました。




