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すぐにエリスが戻ってきました。彼女が机に置いてくれた本のうちの一冊を手に取ります。
短時間で本を読めることは、私の特技のひとつ。たいていの本なら十分程度で読めます。
(院長とポレットから聞いた、アーティの子供時代の話。彼女たちから見たアーティの性格、行動のパターンと思考の傾向。そして教育の未来を握る鍵である、耳で覚える勉強法。それらとこの本を組み合わせれば……恐らく、かなりのスピードで効果が出る)
そう確信し、読み終わった本を閉じます。時計を見ると緊急会議の五分前になっていました。
数冊の本を抱きしめて廊下を歩き、エリスが開けてくれた扉をくぐって、私はさっそうと会議室に入りました。
トーラ夫人とハンソン博士はすでに来ていました。テッドがいないのは、スタントンの用事で忙しくしているからでしょう。最後にレイクンが慌てたように部屋に入ってきます。
全員が席に座りました。私はレイクンの本を膝の上に置いて、さっそく用件に入ります。
「アーティが育った孤児院で、彼女の人となりについて調べてきました。基本的な人格は私たちが把握している通りです。現在の教育理念に間違いはなく、大きく変える必要はありません」
トーラ夫人とハンソン博士が同時にうなずきます。私はさらに言葉を続けました。
「新たに癖や弱点といった情報を仕入れてきたので、それに合わせた調整は必要です。アーティの最大の短所は『空想癖』があること。彼女は幼い頃から、自分をヒロインにした物語を作って空想にふけっていた。学業では模範的な生徒ではなく、苦手な教科になると空想の世界に逃げ込むものだから、院長はほとほと手を焼いていたようです」
ハンソン博士が口元に手を当てて、考え込む表情になります。
「私の『淑女の心得』の朗読を聞いているふりをして、愚にもつかない空想にふけっていた可能性が高いのですね。言われてみれば途中から、焦点の定まらない目をしていましたね……次にその兆候がうかがえたら、厳しく叱責します」
「ハンソン博士、それはやめてください。時間も限られていることですし、アーティの空想力を最大限利用しましょう」
私が片手を上げると、ハンソン博士は「どういうことです?」と眉をひそめて私を見つめます。
「短所というのは長所の裏返しです。絵空事のような空想の物語に自分を当てはめ、我を忘れて楽しむことができる力は、今後の教育に役立つ特別かつ重要な長所。ある物と組み合わせれば、抜群のスピードと効果を産むかもしれないのです」
私は膝に置いていた本をテーブルの上に並べました。レイクンがぎょっとして立ち上がりかけます。
「まずは、これを見てください。社交界の一部──若い令嬢たちの間で話題のフェリー・ルイスの小説です。いわゆるロマンス小説と呼ばれる類のものですね」
レイクンの愛読書であることは言いませんでした。彼はほっとしたように息をつきます。
ハンソン博士が本を手に取って、小説の題名を読み上げました。
「『孤高の令嬢と遅れてきたヒーロー』『鳥籠令嬢の運命の人』『王子様と宿命の花嫁』『孤独な紳士と完璧な令嬢』……なんとまあ安っぽい、低俗なタイトルなんでしょう。まったく興味をそそられません」
ハンソン博士ははっとしたように「まさか」とつぶやき、大きく目を見開きます。
「イブリン様……まさかとは思いますが、耳で覚える勉強法の教材としてこれを使うおつもりですか?」
さすがハンソン博士、老齢とはいえ頭が切れます。
私は「その通りです」と微笑みました。
「ほとんどの平民の女の子は王子様に憧れています。その中でもアーティの空想力は抜きん出ている。彼女は院長やボランティア、紙芝居屋の語るおとぎ話のヒロインを、すべて自分に置き換えていました。ここぞという時の行動力──無邪気に危険をおかす図太さを、空想の世界で培っていたんです。平民が婚約者のいる貴族を誘惑するなんて、一歩間違えたら罪人に真っ逆さまに落ちてしまう危険もあるのに、彼女はバーナード様を相手にそれをやってのけた」
私は『王子様と宿命の花嫁』を手ぶりで示しました。
「この本を読んでやったら、アーティは間違いなく大喜びします。貧乏貴族だけれど天使のように美しい心を持つヒロインと、思いやりがあって親切な王子様の恋物語です。身分違いのヒロインとぜひ結婚したいと望む王子様が、彼女を苦しめる者たちを排除し、あらゆる手段を使ってハッピーエンドに持っていく、夢のように甘いロマンスですわ。アーティはしっかり集中して、よく聞き取ろうとするはず」
「そんな浅はかで薄っぺらい絵空事、アーティ様の教養を高めませんよ」
「確かに恋物語としては現実離れしていますが、作中に出てくる貴族の習慣や会話、行儀作法や社交行事での振る舞いは、かなり正確な描写です。現実の社交界でも通用します。この小説を書いたのは、高い教養を備えた上流階級の人間で間違いないでしょう」
「そ、そうなんだよ、フェリー・ルイスの小説は説得力があるんだ!」
レイクンが目を輝かせ、拳を握りしめて話し始めます。
「突拍子もないストーリーかもしれないけど、登場人物は考え方も行動も心理も、僕たち若い貴族に近いんだ。実際に優雅な暮らしをしていて、グルメで、社交界の噂話をたくさん知っていて、平均的な貴族を遥かに超える教養がないと、こんな素晴らしい小説は書けないよっ!」
ハンソン博士が気圧された表情になります。レイクンの情熱が強力な後押しになってくれましたね。
私は博士に口を挟む暇を与えず、畳みかけました。
「レイクンの言う通りです。多くの貴族を間近で、きめ細かく観察できる人物でなければ書けないエピソードがいくつもあります。社交界の流行や噂話などは実話に近いですし。若い王族や貴族がしきたりに縛られて苦しむ様などは、読者である令嬢や令息の身の上に実際に起きていること。つまり、私たちがアーティに身につけさせたいと願う要素が詰まっているのです。教材としては理想的だと思いますわ」
「イブリン様とレイクン様が、そこまでおっしゃるなら読んでみましょう」
ハンソン博士がうなずき『王子様と宿命の花嫁』を手に取りました。




