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 フレデリック様は私の隣に座り、会話の邪魔をしないように気配を消して、大人しくお茶を飲んでいます。


「ウォーレン男爵様が、慈善活動に当孤児院を選んでくれて嬉しいですよ。ほとんどの貴族の皆様はもっと都心にある大きな孤児院に行きますもの」

「男爵はこれみよがしの善行を好まないのです。それと、こちらの孤児院出身のアーティさんが当家で働き始めたものですから」

「まあ、アーティが!?」


 院長が驚愕の表情を浮かべます。壁際に立っているポレットが「噓でしょ」と低くつぶやくのが聞こえました。


「嘘よ……。『あの』アーティが、本当に貴族のお屋敷に雇われですって? おかしな空想ばっかりしてたあの子が?」


 苦虫をかみつぶしたような顔でポレットが言います。

 末端の男爵家であれば、未経験の平民を使用人として採用することはあります。それでも孤児にとっては大出世。


「本当です。男爵のお屋敷の育児室で元気に働いていますよ。男爵は奥様のために、子守が上手な娘を探していまして。通っていた乗馬クラブのオーナーからアーティさんを紹介されたんです」


 バーナード様が用心にも用心を重ねていましたから、アーティの足跡は抜け目なく隠されています。乗馬クラブの人々も、二人が恋仲だったことを知りません。

 アーティの代わりの馬糞係はテイラー公爵に手配してもらいました。乗馬クラブのオーナーはテイラー公爵領の出身ですからね。

 関係者全員がしっかりと秘密を守っているので、アーティがミルバーン公爵家にいることは誰も知らない。

 とはいえ、行方不明という噂が立っても困ります。ウォーレン男爵家の育児室で忙しくしているということにすれば、彼女の姿が市井から消えてしまっても不思議はありません。


「赤ちゃんにミルクをあげたり、寝かしつけたりするのは、私の方が上手なのに……」

「嫉妬してはいけませんよ、ポレット。アーティの出世を、私たちは誇りに思わなければ」


 ポレットがあまりにも悔しそうなので、院長が苦笑します。


「アーティは一途な性格で、時々周りが見えなくなりますが。元気いっぱいで明るくて、やればできる子なんですよ」

「頭の中は馬鹿げた空想でいっぱいで落ち着きを欠くし、いたずら好きで、ちょっとしたきっかけで道を誤りかねないって、院長先生言ってたじゃないですか」

「ポレット、いいかげんにしなさい!」


 院長に叱られて、ポレットは顔を引きつらせます。どうやら彼女、心の奥底で長年くすぶっている苦い思いがあるようですね。


「エーブ様、申し訳ございません。ポレットの言うことは気にしないでください」

「いえいえ、むしろ助かります。アーティさんがどんな人間か、詳しく知るために来たのですから」


 私は努めて優しい口調で言いました。ポレットが熱いまなざしを向けてきます。

 それからしばらくの間、私は院長からアーティの子供時代の話を聞きました。長年彼女のことを心配したり守ったりしてきた人の言葉は、今後の教育の参考になります。

 話がひと段落したところで、私は次の話題を切り出しました。


「アーティさんは実の両親が誰なのか知らないそうですね。男爵はその点を心配しておられるんです。こういった田舎の孤児院では、貴族と平民との間に生まれた庶子がこっそり預けられているケースがあるでしょう?」


 私は院長をじっと見つめました。孤児院に大金を払い、赤ん坊の片親が貴族であることを明かさないよう言いくるめる──そういったケースが実際にあるのです。


「どこかの貴族のご落胤を子守として雇っているとなると、厄介なことになりかねませんから」

「ご安心ください。心配するようなことは何もありませんよ」


 そう答える院長の表情に嘘はなさそうでした。彼女はポレットに向こうへ行くように指示すると、声を低くして先を続けます。


「秘密を守らせるため、あるいは捨てた子供が生活に困らないように、ずっと寄付をしてくださる貴族は確かにいらっしゃいます。でもアーティは違います。あの子の両親については、別の理由で伏せておいた方がいいと……」

「では、その理由を教えていただけますか? これから先トラブルの種になると困りますので」


「それはちょっと……あの子自身には罪はないですし……」

「しっかり手入れをなさっていますが、この建物は古い。子供たちのために改築する必要がありますね」


 私は短剣が入っているのとは逆の胸ポケットから小袋を取り出し、院長の前に差し出しました。入っているのはもちろん金貨です。


「まあ、どうしましょう……」


 院長は困惑した顔で小袋を見ています。


「男爵は今後もこちらの孤児院から人を雇いたいと考えておられます。それこそが真の慈善であろうと。しかしそれは、アーティさんが問題なく働き続けることが大前提。ですから彼女の情報を、ひとつ残らず明かしてもらう必要があるんです」


 私はさらに彼女の心に揺さぶりをかけました。


「……アーティには言わないと約束してくださいますか?」

「もちろんですよ」


 私はうなずきました。

 どこの貴族も、身元が確かで紹介状を持つ者でないと雇いません。トラブルの種になるからです。孤児を雇った後で身辺調査をするなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。

 しかし金貨を懐に入れた院長は矛盾に気づきません。


「アーティは両親が欲望に駆られ……後先考えずに行動した結果、生まれた子供なのです」

「というと?」


「アーティの父親はこことは違う孤児院の出身で、腕のいい木工職人になり、親方の娘と婚約しました。それなのに……やはり孤児だったアーティの母親に誘惑され、過ちを犯したんです。結婚式の直前にアーティがお腹に宿っていることがわかって、大騒ぎになったとか」

「婚約中の浮気ですか、よくある話ではありますね。アーティさんの父親は、親方の娘との婚約を破棄したのですか?」


「ええ。ですが彼を批判する人が大勢いて、仕事を干されてしまって。焦った彼はアーティの母親と生まれたばかりの赤ん坊を捨てて、親方の娘に復縁を申し出たんです」

「それはまた、最低最悪ですね」


「まったくです。案の定断られて、村八分になったそうですよ。アーティの父親は、転がり落ちた人生をすべてアーティの母親のせいにしました。お酒におぼれて暴力を振るうようになったんです」

「なんとまあ、酷い話だ」


「本当にそうです。アーティの母親は、自分を裏切ったアーティの父親にただならぬ憎しみを抱くようになりました。そしてついに、酩酊した彼を崖から突き落としたんです。絶望と失意にまみれた彼女もまた酒におぼれ、数か月後に同じ崖から飛び降りて命を絶ちました」

「……そうですか。アーティさんの誕生にまつわる状況と、ご両親の死因についてはよくわかりました」


 アーティの母とアーティの人生は、途中までは尋常ではなくそっくりです。私は背筋がぞくぞくするのを感じました。

 フレデリック様が私の耳元で囁きます。


「君が運命の女神だったら、母と娘の人生をそっくりな結末にするかい?」

「考えられませんね。そもそも運命の女神の紡ぎ車には、誰も手出しできませんから」

「愚問だった。君は『大切な願い事は絶対に人に話さない』タイプだったね」


 ひそひそ声で喋る私たちを、院長が心配そうに見ています。


「あの、アーティには何の罪もないんです。解雇されたりしませんよね?」

 私は「ご心配なく」と微笑みました。この院長が、善人で思いやりがあることは間違いありません。


「理由はどうあれ、彼女の両親はもう亡くなっているわけですから。面倒な人間がウォーレン男爵家に突然現れて、ゆすりたかりする恐れがないわけです。これは大変『都合がいい』」


 私の言葉に、院長が「そうですよね」とうなずきます。


「こちらの孤児院の皆さんにも、アーティさんに迷惑をかけないようにお願いしたいですね。外野が下手に騒ぐと、やはり孤児など雇えないということになってしまう」

「ええ、ええ。もちろんそうするつもりです。ポレットにも子供たちにも、よく言って聞かせます」

「頼みましたよ。では、私たちはこれで。最後に子供たちに挨拶をしていきましょう」


 私は立ち上がり、おもちゃで遊んでいる子供たちの方へ向かいました。フレデリック様と護衛も足並みを揃えてくれます。


「院長先生の言うことをよく聞いて、いい子にするんだよ。ちょうど十時のおやつの時間だ、銀貨をあげるから村の菓子屋で好きなものを買いなさい」


 私から銀貨をもらった子供たちが明るい笑顔になり、飛び上がって喜んでいます。小さな子供は午前十時と午後三時に間食をするのがベストですからね。


「ポレットさんだっけ。君もよく頑張っているね」


 最後にポレットに近づいて、銀貨を手渡します。指先が触れ合い、彼女は顔を紅潮させました。

 私はすれ違うふりをして、ポレットの耳に口を近づけます。


「君と個人的に話したいという、衝動的な気持ちを抑えられないんだ。菓子屋で待っているよ」


 私は小さく笑い、玄関に向かって歩き出しました。ポレットからうっとりと見つめられていることを背中で感じながら。



第7章は12日朝5時更新予定です。

お読みいただけたら嬉しいです。

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