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骨に滲むこの寂寥感や神無月
俳句を詠んだ時期とエッセイの回想時期で、少し時間軸が前後します (山鳥はむ)
平成二十三年十月
豊橋国立医療センターに転院したのは激しい腹痛に襲われていたからだった。
其処には緩和ケアの権威、佐藤健先生がいらした。
ホスピスについては東大の中川恵一先生の著書で知識を得ていた。腸にガスが充満している。原因を追及するならば、開腹をする必要があると言われた。
しかし、盲腸を切除すれば回復するといった類の病状ではなかった。もうこれ以上苦しみたくない。ワイフと話し合った結果、緩和ケアの処置に入ることに決断した。
その夜は一晩中呻いていたがやがて痛みは消えた。
息子の車椅子ごと運べる車で懐かしい蒲郡の実家や蒲郡プリンスにドライブした。
翌日は思い出の浜名湖を走り、その夜中に亡くなった。無謀だったかもしれない。
しかし佐藤先生は、「死ぬ間際まで活きて楽しんだ。これこそ緩和ケアの目指すところ」と言われ選択が正しかったと確信した。




