魏司令官の憂鬱①
華王国と黒龍国の争いによって生じた権力の空白地帯。
そこを埋めたのは魏 子豪を司令官とする武装した農民達と、元々地方の防衛を担っていた軍事集団の軍閥であった。
彼等は互いに手を組み、新政府の樹立を宣言した。
自分たちはただの反乱集団ではなく、政治的な正当性があるのだと訴える為に、ある王子の存在を利用した。
華国王との王位争いに敗れ、十年間幽閉されていた、慎王子である。
「新政府が、行方の分からなくなった慎王子を探している」
「慎王子こそが、華王国の正当な後継者だった」
その噂は瞬く間に州から州へと広がった。
新政府の本拠地、砂広州の砦は大きな崖を削り出してできている。
自然と半ば一体化したその砦は、今や手を組んだ各軍閥の長が詰めており、その収容力は飽和状態に近かった。
その賑やかな砦の廊下を、一人の武官が走っていた。勢いそのまま、魏司令官のいる執務室に飛び込む。
「司令官! 慎王子が、現れました!」
上ずった部下の報告に魏司令官は苛立った。
執務室の机をドン、と拳で叩いて立ち上がる。
「いい加減にしろ! 一体何人目の慎王子だ!」
十二人目です、と部下は律儀に答える。
踵を隙間なく揃え、両腕もぴっちりと伸ばし、気をつけの姿勢を取る。
新政府が慎王子を探し出してから間もなく、続々と「我こそは件の王子である」と名乗り出る者たちが現れた。まるで雨後のタケノコのように。
慎王子を名乗って先日やって来た青年など、思い出すだけで魏司令官の腹わたが煮えくり返る。
青年は瓜二つの中年女性と一緒に来ていた。
二人は言いたくはないが、どう見ても浮浪者にしか見えなかった。
女性は「この子こそ、八年前に冷冷宮を脱出し、路頭に迷っていた慎王子だ。私が拾って育てた」と主張した。
魏司令官はたっぷり半日ほど、芝居掛かった中年女性の説明を聞いた後、彼女を一喝して追い返した。
「お前が母親だろ!!」
本物の慎王子の母、先代の華国王の王妃は二人目の子を出産後に他界しているのだ。
部下は魏司令官に睨まれながらも、報告した。
「今回の自称慎王子は、赤ん坊の頃に使っていた産着を証拠の品としてお持ちなのです」
魏司令官は微かに興味を引かれた。
証拠品を持って登場した自称慎王子は、今まで皆無だったのだ。
これは新しい事例だ。
何やら今までにない展開を期待できるかもしれない。
そう思って、彗星の如く現れた自称王子の待つ広間に向かった。
「えっ、いや……。そなたは、――何歳だ?」
広間に入るなり、魏司令官は疑問をぶつけた。
魏司令官を広間で待っていた男は、どう見ても四十歳くらいに見えたからだ。
だが男は堂々と、いっそ王者の如き威厳すら漂わせて答えた。
「私は、二十四歳だ」
魏司令官は面食らった。
男の髪は白いものが生えていたし、頰には細かいシワがある。
どう見ても二十代に見えない。
だが魏司令官の無言の狼狽を悟ったのか、男は言った。
「苦労の多い十年だった。この辛い年月は、私の腰を曲げ、頭髪を白くし、今の私を実年齢より遥かに老けさせてしまった」
腰は曲がってないな、と魏司令官は細かい所に引っかかった。
(いかん、いかん。細かいところが気になるのは俺のいつもの悪いクセだ。それより、証拠の品だ)
「ええと。そう、産着を持ってきたと聞いている」
魏司令官が尋ねると、男は一礼した後で、恭しく手にしていた風呂敷を広げた。
中には小さな白い産着があった。
光沢ある生地だから、絹製だろうか。
魏司令官は手を伸ばし、それを手に取った。
「これは、本当に?」
少し黄ばんだその産着は、まさにかなり古いものだと認識させた。
その時、部下が広間の扉を叩き、一人の中年女性を連れてきた。
「魏司令官。この者は慎王子の乳母だった女です」
どうやら手がかりとなれそうな関係者を探し出してきたようだ。
自称乳母を、手招きして近くまで来させる。
「どうだ? この産着に見覚えはあるか?」
乳母は魏司令官が持つ産着に向けて手を伸ばした。
その手が、近づくにつれ震える。
「ああ、こ、これは……! たしかに、見覚えがございます」
何の特徴もない白い産着だったが、乳母は目を潤ませた。
そして、自称慎王子をはたと見つめた。
数秒の沈黙の後、乳母は口を挟んた。
「し、慎様……っ! なんとお懐かしい! 少々老けすぎているように拝見いたしますが、おお、生きていらしたのですね!」
「待て、待て。乳母殿が慎王子と最後に会ったのは、何年前なのだ?」
魏司令官は感激の再会に互いに目を潤ませる二人を、やんわりと宥めた。
「私が最後にお会いしたのは、慎様が三歳の折です」
魏司令官は面食らった。彼自身、貴族階級の出身である。子どもの頃何度か慎王子を見たことがあるのだ。だが、正直大人になった慎王子を見て確信が持てるかと言われれば、持てないと思うのだ。
果たして三歳の頃の顔を、覚えているものだろうか。
そもそも二十一年も経てば、人の顔はかなり変わるものだ。
魏司令官は首を傾げた。
涙を流して抱き合う二人に、言いにくそうに声をかける。
「この砦には、他に五人の慎王子候補者がいる。取り敢えず誰が本物なのか、皆で胸に手を当てて話し合ってみてくれ」
もはや己の発言は、突っ込みどころが満載だったが、直す気力もなかった。
(まったく、どうなっているんだ。慎王子はどこに行ったんだ)
魏司令官は深い溜め息をつきながら、砦の窓の外を見た。
荒涼とした大地が、どこまでも続く。
慎王子にはただ一人、同母の妹がいたはずだ。
その妹である詩月王女まで、姿をくらましている。
(詩月王女がここにいれば、兄のことを見間違えるはずはないだろうなぁ……)
魏司令官は、子どもの頃に何度か詩月王女と遊んだことがある。
ぼんやりと天井を見上げ、遠い記憶を呼び起こす。残念ながら色白だったことしか、今は思い出せない。
やがて階下から怒声が聞こえてきた。
魏司令官は腹部を手で押さえた。――胃の上のあたりが痛む。
どうやら一部屋に集めた自称慎王子達が、喧嘩を始めてしまったらしい。
(血気盛んなことだ……)
穏便に話し合い、真実を教えてほしかったのだが。




