肩書きが長いほど偉いという風潮
いつにだって間の悪い人間というものはいるものだが、思うにクラウス・ドナートという人物は、その最たるものと言えるだろう。
今現在応接室にて、領都からやってきた徴税官と睨み合っている彼のことなのだが……皆さんは覚えていないだろうか? え、知らない?
――――まあそうだろうな。あの時は名前なんて名乗る間もなくあいつは立ち去ったわけだし。
クラウス・ドナートは領都にて働いていた元行政官である。その仕事は主に各村から集めた税の統轄であったり、各村からの陳情を受けて対応する窓口であったり、逆に領主が施行する政策を周知させるために方々を駆け回ったりと多岐にわたったという。はっきり言ってこの世界の役所は、管轄が曖昧すぎて一人の人間に多種多様な政務を押し付け気味なのだ。クラウスのやっていたのはいうなれば税理士に土木普請をやらせているようなもので……ああ、話が逸れたか。
さて、もうお気付きの方もいるだろう。クラウス・ドナートとは五年前のスタンピードの際、近隣に作戦を触れ回っていたあの役人である。
黒髪に片眼鏡、細身の長身――むしろ痩せ気味で不健康なイメージすらある。性格は極めて謹厳実直、神経質で自分がこうと決めたら梃子でも動かない頑固者。
どうして彼がこんな廃棄村の役場にいて、領都からやってきた徴税官と睨み合っているのかというと、話が少々長くなる。
ことの始まりはスタンピードを撃退するにあたり、彼までもが戦場に配置された件からになる。
どうしていち役人である彼が戦場で兵士の真似事をしなければならなかったかというと、それは生真面目なクラウス氏の、護衛を極力減らして低コストで各地を巡察するには役人でもある程度の戦力を保持しなければならない、という持論から、彼自身が優れた魔術師として鍛錬を重ねてきたことが知られていたからだ。
どれほどの腕前かというと、四属性をCランクまで位階を進め、魔力は当時で80に到達しようとしていたほどだという。本来荒事に向かわず、デスクワークがメインとなる役人にしては破格の戦力といえよう。
当然領軍首脳部もこれに目を付けた。本来軍に所属していないクラウスだが、そこは前述したように所属が曖昧な辺境伯領だ。火急の事態ということで行政部に掛け合い、臨時の人材貸与という形で引き抜きに成功したという。
かくして執政補佐官付というそれなりの出世コースを歩んでいたクラウス・ドナートは、いち魔導兵として戦場に立つことになった。
配置先は主戦場からやや離れた東の防御線。そう、あの空気読めないパッパラパー魔族のモナン氏が独断専行で突破した戦線である。
練度のなっていない歩兵部隊は容易く壊滅させられ、前衛のいなくなった魔導兵など無力なもの。彼と彼の連れていた部下はあっという間に餌食になった。
クラウスは何とか生き延びたものの重傷を負って戦場に取り残された。救援部隊は寄越されず、仰向けで横になった彼の前を飛行する竜騎士が何度か横切ったが、気付かれることはなかったという。
傷口を壊死するほど強く縛り上げて止血し、生き残った部下とどうにか自力で領都に帰還したクラウス氏は、そのまま退職手続きをとって公職を辞した。
そして今はこのハスカールの村長代理補佐として辣腕をふるっているのだが……。
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「よーし、そこまでだ。それ以上は不毛な議論になるんでそろそろ切り上げようか」
「貴様は……」
ばしーんと扉を跳ね開け華麗に登場。いいところを邪魔された代理補佐どのが不快そうに眉を顰め、徴税官は誰だこいつと不審者を見る目で睨みつけてくる。
……この完全なるアウェー感。嫌いじゃないぜ。
――と、そこで扉脇の死角に控えていたゲイル氏に会釈を送り、ものはついでにお茶を要求してみる。部屋の隅でなるべく気配を殺そうと身体を縮こまらせていた青年は、明らかにほっとした顔で速やかに退室していった。
かの青年はクラウスがハスカールに連れてきた子飼いの部下だ。現状この村の政務はこの二人が主翼を担っている。
「……猟師か。貴様は今日は非番だったはずだが」
「そうなんだが、ウォーセが海の方角に変なものを嗅ぎつけてな。覗いてみたらノームが帰ってきていたんだ。これは報告しておかないとだろう?」
「なるほど、理解した」
「詳しくはノームが報告書にまとめるが、結論から言うと航海は成功。今後エルフとの交易は拡大していくだろうとさ。……で、こちらはその生き証人となるエルフプレイヤーのエルモ嬢だ」
「ちょっと、生き証人てどういう意味よ」
横合いから口を挟んでくる礼儀知らずが一人。……別に、生きているんだからこの紹介で合ってるはず。なにしろパルス大森林から生きて大陸に脱出してきたのだから、これは立派な生き証人ではあるまいか。
クラウスは小娘を認めると僅かに目元を和らげ、椅子に座ったまま軽く頭を下げてみせる。
「――遠いところをはるばると、ようこそいらっしゃった。歓迎しよう。私はこの村の村長代理補佐をしている、クラウス・ドナートという」
「ど、どうも。……って、代理補佐? 村長じゃなくて?」
「……今のこの村に、村長はいない。名義上は村鍛冶のミンズ氏が村長代理として代表し、私はその補佐官として職務を行っている」
エルフの当然の疑問にクラウスが目元を押さえながら答えた。……その通り。あの鍛冶屋、未だに村長の座に座ることを渋りやがる。それなりに村の古参で、村の発展を望んでいるんだからやればいいだろうと説得したんだが、鍛冶屋の仕事を離れたくないんだと。
おかげでこのクラウスは村長代理補佐などという、偉いのか偉くないのかよくわからない役職を奉じる羽目になり、初めてこの村に来る人間との折衝で侮られる苦労をしている。
だったらあんたが村長になればいいのに、と半ば本気で勧めてみたら、村の新参が大きな顔をしても反感を買うだけだと返された。
……もっとも、俺や鍛冶屋や団長の中では彼の村長就任はほぼ決定事項で、あとは実績を積ませて村人に馴染ませるだけなのだった。きっとあと数年もしないうちに彼の肩書は劇的に短くなるだろう。
「……詳しい話は夜にでもしようか。――ゲイルを借りていいか? 航路確立の祝いとこのエルフの歓迎を兼ねた宴の幹事をさせたい」
「そこで貴様自身が幹事に名乗り出ないのを不思議に思うよ」
悪いがそんな地雷役職は踏みたくない。それにいうだろう? 若者には苦労をさせろって。
「おい、そこの貴様……」
と、そこで代理補佐と向き合っていた徴税官が声を上げた。……なんだ、まだいたのかこいつ。
「いきなりやってきて私の職務を妨害するとはどういう了見だ!? 場合によっては罪に問うぞ!」
「先触れもなくいきなりやってきて役場の仕事を妨げているのはどこの誰かな? ――それに職務はもう終わっただろう?」
「どういう意味だ?」
「もう帰れって意味だよ。それにさっき、北から下ってきたオークとやり合う羽目になってな。あんな鈍足をむざむざと領内に通してる領軍に、是非とも抗議したいところなんだが。あんた掛け合ってくれるのか?」
「それは……」
「領内の治安維持もままならない領軍が、本当に領民を守れるのか疑問が残ります。為政者としての義務が果たされたと確認できない以上、我々が果たす義務は年貢と人頭税のみです。そういうわけでどうぞお引き取り下さい。
さ、お客様のお帰りだ!」
パンパンと手を鳴らす。前もって言い含めておいた傭兵の一人が入室し、役人の傍らに立って退室を促す。
徴税官は諦めがつかないようで、親の仇でも見るような目でクラウスに食って掛かった。
「クラウス・ドナート! 貴様もかつては辺境伯に忠誠を誓った一人のはずだ! 下命を蔑ろにする気なのか!?」
ハスカール村長代理補佐は微かに瞑目し、ついで徴税官を見据えながら杖を手に立ち上がった。重心を左足に預け、右足を杖で軽く叩くと、カツカツと硬質な音が鳴る。
「……成人してからの十五年。そしてあの戦いで右脚と、手塩にかけて育ててきた部下を四人。それだけを辺境伯に捧げた。――伯は、これ以上の献身を私に望むのか」
「――――っ」
一瞬、徴税官の視線がクラウスの義足に釘付けになった。息を呑んだ彼の隙を見逃さず、傭兵が軽く肩を押して再度退室を促す。
「っ今度は、必ず税を徴収しに来る! 兵を連れて、本格的にだ! 覚悟しておけ……!」
「んん? とすると今回は護衛をお連れでない? ……それはいけない。さしずめこの近辺の治安の良さを鑑みてのことなのだろうが、何しろ肝心かなめの辺境伯軍がまともな仕事をしてくれなくてね。
護衛に傭兵をひと班お付けしよう」
「必要ないっ!」
いやいや、そうはいかなくてね。
「残念ながら興奮して殺気立った人間がうろついていたら、何が起こるかわからなくてね。――山賊と間違われて、狼に襲われるかもしれないだろう?」
「なに……?」
「前にもいたんだ。街道近くの山を見ていた狼を、護衛に弓で射させた馬鹿役人が。……彼はどうしてるかな? 両手の指が無くなったんじゃ、お役所仕事はきつかろう」
「まったく。あれは面倒なんてものではなかったぞ、猟師」
「始めたばっかりだったんだから、不具合が出るのは仕方がない。あれからちゃんと看板を立てて周知に努めているだろう?」
「言ったな、紅狼が」
その呼び方はやめろ。
そんな俺と代理補佐のやり取りを見て、徴税官は何か思いついたのかびくりと反応した。
「狼を統率する猟師……まさか、貴様――」
「知らんな。つーわけで帰れ帰れ帰れ」
あなたの知っている人は同名の別人です。なんでか最近人相も変わってきたし、特定される要素なんてない。
ひらひらと手を振ると、徴税官は傭兵に引きずられる形でずるずると役場から退去していった。




