半島再統一戦争⑫
――――ォォォォオオオオオオォォオオ……!
「――――っ、スヴァーク!」
無論、騎士を落としたとて終わりであるはずがない。
敵は知性ある獣、契約に縛られる上位種。七代にわたって自らの力を高める糧となる騎士を落とされ、激怒せぬドラゴンなどありはしない。
狂奔の滲む咆哮を上げる黄色のドラゴン。バチバチと紫電を激しく弾けさせる巨躯に、たまらず翠竜は距離を取った。
どうする、さあどうする。
運用者の消えたドラゴンの魔力操作はそう巧みではない。時間を置けば身体に纏うこの雷電も維持できなくなり、あとには弱体化し強靭な肉体のみのドラゴンが残るだろう。
騎士の駆るドラゴンと乗り手とはぐれ単騎となったドラゴン、差は歴然であり降すのは容易だ。
――しかし、それを待てば好機を逸する。
まずは歩兵の士気を砕かねばならない。尻込みする現在から、蜘蛛の子を散らすがごとき逃散へ。早々にこの未来へ繋がなければ両軍とも被害が増していく一方。
この一戦を早急に決着しなければその分だけ後の戦いで不利が増す、とは叔母の言葉だ。
ブレスで撃つか、魔法で削るか。――どちらも消耗戦になる。
ドラゴンの高い抵抗値を突破するには、魔法を得手とするアーデルハイトでも至難の業。継続的に最低五発、それも十分な溜めを置きMPを使い果たす勢いで放ってようやくの話だ。
では他の手段は――
「――――――」
ある。単純な手段がひとつだけ。
狂奔するドラゴンを文字通り地に叩きつける必殺の一撃。受ければまず間違いなく勝敗を決しよう。
問題があるとすれば――――問題があるとすれば、
「コーラル……」
下界を見下ろした。
もはや人の形など爪先ほどにしか見えない遠くの光景、小さな一団の先頭に立って戦場を移動する赤い影。
見分けられる。見て取れる。
あの人の姿ならば、どんなに離れても見間違うなどあり得ない。
震える指先を持ち上げる。首元に巻き付けた襟巻を握りしめる。
ほのかに暖かい藍色の布、不思議な刺繍の模様から、もうあの人の温もりを感じることなどできないけれど。
「――――心は、傍に」
覚悟は決まった。決意は定まった。
震えの収まった指で襟巻を口元まで引き上げ、アーデルハイトは騎竜へと命じた。
「仕留めるぞ、スヴァーク」
●
最初に身体を襲ったのは、痛みではなくただの衝撃だった。
雷を纏う黄の竜、その胴体に真っ向から組み付き、翠の竜は翼を広げて上昇する。
向かう先は雲海を突き抜けた空の果て。斜陽を傍らにひたすら空へ。
「――――ぁ、が……!?」
稲妻が身体を巡った。翠竜の体表を伝って迸る金の雷撃、躱す術がない以上敢えて耐えるほかにない。
光魔法の応用で全身に張り巡らせた防御膜も、ドラゴンの魔力の前には濡れ紙のように突破される。
がくがくとおこりのように全身が震える。腕が跳ね指が躍りはらわたが捻じれて脳が焼ける。湧き立ち破裂するような感覚に視界が赤く染まっていった。
今にも気を抜けば鞍から腰がずり落ち空中へ投げ出されそうになる脱力感。全身に叩きつけられる衝撃が竜の背にしがみつくことすら許さない。
「ぁ、ぁああぁあああ……ッ!」
右の視界が白く濁った。爆ぜたのか、焼けたのか、一時的な麻痺なのか、見て取る余裕など失せている。
これは死の境、涅槃へ至る苦悶の業。無為に生き無為に傷つき無為に死ぬ不毛の旅路。見送る者も迎える人も誰ひとりとしていない孤独の道程。
身体が冷たい。雲の上はとても寒くて、肌が凍り付きそう。首に巻いたあの人の襟巻も、仄かにぬくもりを残すだけで感触すらおぼろげだ。
胸から下が動かない。まるで冷水に浸かったみたいに身が竦んで、どんなに力を籠めても、力を籠めようと思っても。
ただ目の前には、白い光が。
光が、拓けて。真っ白に、何かが差し込んで――
「――――ぁぁああぁあァアアァぁあぁああああぁあああああ――ッ!」
まだだ。
まだ墜ちない。墜ちられない。終われない。
まだ何も為していない。まだ何も伝えられていない。まだ何も始まっていないのだ。
なら――――まだ飛べる、まだ走れる。
もう一歩、あと少し、もうちょっとだけ。
私は弱いから、意気地がないから、こうして少しずつ積み重ねていくしかできないから。
だから今は、今回も。
少しずつを、もう少し。
「スヴァアアァァアアク……!」
――――ォォオォオオオォオオオオオオ……!
勇ましく轟く翠竜の咆哮。所々の鱗がはじけ飛び、ピンク色の肉を覗かせながらも騎竜は健在だった。
魔力を送る。魔力が巡る。この時、人も竜も同じ魔力を分かち合う同一の存在となる。
広げた翼から放出される魔力の波動。アーデルハイトの魔力も上乗せし増幅されたそれは強力な推進力となって二体のドラゴンの身体を押し上げた。
地上から遥かに飛び立ち空気も薄く、体表が凍り付いていく。それは黄の竜も例外でなく、消耗を恐れたのか放電も止まっていた。
代わりに黄の竜は翠竜の拘束から逃れようと、腕力に任せてもがこうと身じろぎし――
――――…………!?
動けない。
身体を覆う氷の膜、いつの間にかそれは黄色のドラゴンを縛り上げる枷となっていた。
本来ならば片腹痛い子供騙しである。ドラゴンの筋力ならば氷の鎖程度、翼のひとうちで振り払えよう。当然黄の竜も唸り声を上げながら容易く拘束を引き千切ろうとし――
「――――――!」
声ならぬ声が響いた。
決して逃しはしないと、執念すら滲ませる思念だった。
ウンディーネ。
アーデルハイトが従える二体の召喚獣のひとつ。
組み付いた隙に彼女の背から黄の竜に乗り移った水精霊は、今まさにこの絶好機、渾身を籠めてドラゴンを縛り上げにかかった。
――――ォ、ォォォオォォォオオ……!?
腕の力が緩む。それまで組み付いていた翠竜がひと羽ばたきで離脱していく。
翠の背には竜騎士の姿。火傷の跡も痛々しく、疲労困憊し意識すら霞ませて、それでもアーデルハイトは己の仕留めたドラゴンを真っ直ぐに見つめていた。
「――――去らば、ヨラ卿」
断末魔が響いた。
ヨラ家に二百年仕えつづけた黄色のドラゴンは、身を捻じりもがきながら失墜していき、瞬く間に豆粒ほどに小さくなっていく。
この高度で、あの拘束で、生き延びられる術はない。




