半島再統一戦争⑦
「ええいクソ、しくじった《しゅうじった》……!」
――――ォォォオォオオオオオオオオオ……!
力尽きた竜騎士を鞍上から蹴り落としたタグロを待っていたのは、怒り狂うドラゴンの咆哮だった。
乗り手が殺害されたことを察したのか、水色のドラゴンが憤怒の咆哮を上げながら身をうねらせる。もちろんその無茶苦茶な機動は背中に立ち尽くすタグロにも伝わるわけで、途端にバランスを崩した彼は落とされまいと鞍にしがみつく羽目になる。
「こンぬぁ……大人しゅうしぇんか、こん戯け!」
騎士を仕留めればドラゴンも大人しくなるか飛び去ってしまうかも、と甘い考えを抱いたのが悪かった。考えてみればただの蜥蜴や馬と違いドラゴンは割と自律的な思考ができて、アリシア・ミューゼルの赤竜に至っては人語を解するという。すごいぜ竜騎士それ背中に乗せた荷物邪魔じゃないですか。
ただの馬なら適当にあやせば敵の馬を奪って走らせることもできるというのに、ドラゴンは契約を交わした相手をしっかりと認識して理解を深める。よって今からタグロが鞍に跨ってハイドウしようがまったく無意味。もはやただの騎獣などと侮ってはいられない存在なのである。
「でぇえええっ! せめてちょっとはゆったり飛ばんか!」
――――ガァァアァアアアァアアアア……!
揺れる揺れる揺れる、絶叫マシンもかくやという勢いで振り落しにかかるドラゴンにタグロは為すすべもない。必死で鞍にしがみつき、あらん限りの罵声を撒き散らして手綱を引き絞るのみである――――あ、千切れた。
「ぬぁああああ!?」
一瞬の浮遊感、上下の感覚すら曖昧になり地面と太陽と雲と空が視界のなかでシェイクされる。何かが視界の端で煌めいた。咄嗟に手を伸ばして掴めばジャラリと良く手に馴染んだ感触が。
ドラゴンの首に巻きついた鎖を掴み、どうにかこうにか首元に抱き着いて事なきを得る。尻を落としたときに鱗と擦れたのか腿の辺りがひりひりした。
邪魔な敵を振り落すはずがますます強く強くしがみついてくる結果に終わり、ドラゴンは一層苛立った様子で吼え猛った。その咆哮の圧力の圧巻たるや、すぐ近くの首元でそれを聞かされるタグロが一瞬眩暈を覚えるほど。思わず緩んだ指先から鎖がすっぽ抜けそうになり慌てて握り直す。
――しかしどうする。こうして猛獣使いのごとく鎖を手繰っているといえば聞こえはいいが、実のところ愛犬の散歩に失敗してリールごと引き摺り倒される中年パパと変わりがない。
このままいけばいずれ力尽きて鎖を取り落し地面へ真っ逆さまに落ちるか、何かの拍子にこのドラゴンにばくりとやられるかの二つに一つ。どちらも御免被りたいタグロとしては早々に打開策を見つけたいところだ。
「――――ケェエエエッ!」
「タグロォッ!」
不意にかけられる部下の声。見れば十人からなる騎兵たちがドラゴンに群がり、その前肢から伸びる鋭い爪を鱗に突き立てようとしていた。
腕に、足に、翼に、背中に、そして尾に。鱗の隙間に嘴を差し込み裏側の肉を抉ろうとドラゴンに張り付くグリフォンたち。纏わりつかれたドラゴンが煩わしげな声を上げた。
「早くこいつを落とせ! 人間だけ落としたところで――――ギ!?」
掴まれた。
竜の腕にしがみつき、剥がれた鱗の隙間からピッケルを突き立てていたタグロの部下。位置が悪かったせいで鷲獅子ごと掴み取られた。
ぐちゃり、と異様な咀嚼音。見やれば口から夥しい血を垂れ流すドラゴンと、その手元に握りしめられた首のない鷲獅子の死骸。愛騎の噴血に染まりながら男が腹を掴み潰されようとしていた。
「ぉ……ぶ……」
辛うじて自由な左手で短刀を引き抜き指の関節に突き立てようとする。しかし片腕では力が足りない、内臓を握り潰されたのか口元からダラダラと垂れる血は明らかに致命傷で、それでも男は弱々しく短刀を繰り出そうと――
「――もうよか、休め」
――ごづ、と頭骨を砕く音。
タグロが擲ち眉間を正確に破砕した分銅は、痛みを感じる間も与えずに部下を即死させた。
「……クソが」
身体が泳ぐ。足が滑り背中から倒れ込む。
鎖を竜の首から解いた以上、踏ん張れる場所などない。
小さく悪態をついて、タグロは春先の空へと投げ出されていった。
●
指揮官が落ちた鷲獅子の部隊は途端に統制を欠いた。
ドラゴンに纏わりついていたグリフォンが次々と離脱していく。焦燥した様子でしきりに眼下を凝視しているのは、落ちた指揮官を探しているのか。
――どちらにせよ、仇を討つ好機である。
ユリウス・メルクルの騎竜は自由を取り戻した顎を大きく開いて喉を鳴らした。翼を伸ばし両足を振って大きく体を伸ばす。
――――ォォォオオォォオオオオ!
逃がす気はない。皆殺しだ。
優れた主ではなかった。心を交わしたこともなければ、話しかけられたことも稀。自分のことを己を飾る衣装の一つのようにしか思っていないような、そんな竜騎士だった。
しかし契約は契約。いかなる竜騎士にも素養はあり、伸びしろは存在する。どんな愚鈍でも生き延び長ずれば何かしらの取っ掛かりには手が届くと見込んでいた。
長命種であるがゆえにドラゴンの価値観は間延びしている。たかだか青年期に発露した才能による差など、老年に至るまでに縮めればそれでいいと本気で考える程度に。
だからこそ主人の死には怒りを示す。彼らの掴み得た才、重ね得た経験が失われたことを惜しむがゆえに。
ドラゴンは咆哮を吐き散らすと、憎悪の滲んだ視線で鷲獅子騎兵たちを睥睨した。たかだか十騎かそこらの有象無象、瞬く間に蹴散らしてくれると。
散開しドラゴンを遠巻きにしていた騎兵たちは、その視線を受けて明らかに怯んだ気配を見せた。しかし逃げ出す人間どもはいない。感心すると同時に腹立たしい思いも胸の内に湧き立って来る。
――――殺す。
一撃にて焼き殺す。そう断じたドラゴンが魔力を喉奥に収束させる。赤い光が口の内にともり、体内の魔力を注ぎ込まれて見る間にその大きさを増していった。
僅か五秒、それだけの時間で火球を形成したドラゴンは、いよいよもって眼中の敵を焼き殺そうと口を開けて――
「――蜥蜴は、下も見らんのか」
ジャラリ、と鎖が軋む。
何かが翼の中ほどに巻きついた。ぐい、と下に引っ張られる。
視線を向ければ、そこには先ほど確かに落としたはずの男の姿が。
どうやってか生き延びた鷲獅子に跨り、鎖を伸ばしてこちらを引き落とそうとしていた。
――グゥゥオオオオオオオオ……!
脆弱に過ぎる。赤子の手のようなもの。
無駄な足掻きをせせら笑い、ドラゴンは今度こそ鎖ごと男を振り落とそうと翼を大きく羽ばたかせ、
――――ぼきん、と異様な音。翼の先端が凄まじい衝撃で跳ね上げられる。
音はまるで、丸太を怪力で折り砕くような。
振り向けば、翼が中ほどから綺麗に圧し折られていた。
空で片羽を失ったドラゴンがどうなるかなど、語るまでもない。




