第99話 淡河の三日月
【天正三年 淡河弾正忠定範】
三日月というのにある種の親しみを感じる。
東は別所、西は小寺という両大国に挟まれしわが淡河は、その土地を守るだけしかできなく、領土の拡張などは望むべくもない。
主家の赤松家の没落に合わせ独立し、小競り合いを制し、淡河の支配を固める。智将などと呼ばれるようになっても、どうあがいても
そこが限界であることに変わりない。
それが、完成されていてもどこかの不完全さがある三日月と重なる。
ならば。
月なら月で、淡河の民に安心をもたらす存在になろうと生来の謀略好きをしまいこみ、善政をひくべく努力してきた。
それが幾年とも過ぎ、すっかりと老け込んだ。
山田大隅が金の唐傘を天につかんばかりに掲げ、大軍と共にやってきてもなんの感慨もなかった。
それが、別所殿に呼ばれた今夜は何故か特別な感じがする。
空を見上げる。
糸に吊らされたような三日月が爛々と必死に輝いていた。
◇
「淡河殿、夜分のお呼びだて申し訳ございませぬ」
「いえ」
ほう。別所殿とはこのようなお顔であったか。
まだ齢は15歳であったか。だが、今はもっと凛々しく感じられる。
なにか、あったのか。
「単刀直入に申し上げます。拙者は大隅を裏切るつもり。淡河殿もご協力お願いしたい」
大隅守。この官位を自称せし者は数多いたが、
正式なる大隅守は、この日ノ本にひとりしかいない。
山田信勝だ。
「ほう。なにかお考えがあるのですか」
「ええ」
よくぞ聞いてくれました、とばかりに別所殿は身を乗り出した。
「僧兵、播磨の豪族共を焚き付け謀反を起こさし、山田包囲網を完成させ申す」
豪族共は付くであろう。心理的に播磨の豪族は別所につく。だが、僧兵はどうか。
「僧兵はちと難しいかと」
「それはお任せを」
胸に右手を添えた別所殿には、張りつめた迫力がある。
「それで、拙者を呼んだ理由をお聞きしても?」
「おお、申し訳ございませぬ。今、お話しします」
別所殿は袖に入れてあった播磨の地図を床に広げた。
「淡河殿は水路をもって輸送をお願いしたく」
「輸送……?」
思わず声が出た。輸送であるなら何もわしでなくても構わないはずだ。
わしを呼んでまで、輸送の儀を申したのは何故だ。
包囲網……物資……
物資をもって包囲網を統制致すつもりか。
「播磨に散らばりし、豪族共への輸送など淡河殿にしかできますまい。ご安心を。物資は野口城に運び、そこから淡河城へ運び、そこから輸送してくだされ」
「野口より輸送しているよう偽装も致すべきでございますか」
「さすがでございます」
別所殿が、深々と頭を下げる。
野口城は難攻不落の名城。ならば、ここから輸送しているように見させ、野口を攻撃させ損害を増やすほうがいい。
「でき申すか」
「やってみます」
胸の内が熱い。恐らく、これがわしの正念場であり檜舞台。その時を待っていた三日月が光輝く時。
【天正三年
山田大隅守信勝】
軍備を整え、濠を深くし、柵を立て、浪人を召し抱えていると聞く。
「長盛……こりゃあ」
「謀反でありましょうな」
おれが、謀反かと言う前に長盛は結論を出した。
豪族共も、これに習い次々と城に戻り防備を整えているらしい。
別所の叛意は明確としても、それにどこまでの豪族が同心するかだ。
「人質めの命は惜しくないのか?」
「左様ですな」
「……人質の処分の準備はしておけ」
「御意」
やりたくねえよ。だが、これも戦国の習いだって言うんだろ。嫌だよな。これが。
「山田殿、わが主小寺官兵衛様より文がっ」
「よこせっ」
使者から文をぶんどる。
『小寺藤兵衛、山田殿へ叛意を明らかと致しました。某、二の丸の守備を任されましたので、
攻められよ。小寺藤兵衛を裏切り奉る』
「ああ?小寺藤兵衛裏切りっていうのか?」
その使者にむけて怒鳴った。使者はびっくりした顔をしている。
「そ、某は知りませぬ……」
「そっか」
官兵衛は、藤兵衛を裏切るのか。
「小寺藤兵衛から預かっていた人質を市中に引き廻し、打ち首といたせ」
「や、山田殿」
「なんだっ!」
使者が恐る恐るという様子で顔を伺っている。
「申し訳ございませぬ。藤兵衛様の次男と申し上げたかの男子、実は殿の嫡男にございまする……」
「はあっ!」
なんだ。それは。じゃあ、藤兵衛のかわりにやつは、人質を差し出したのか。いやいや、ということは、ほかの奴等も家臣の子を差し出しているのか。
「官兵衛っ!説明致せっ!!」
怒鳴っても官兵衛はいない。ならここに連れ戻すだけだ。
「御着攻めだ!小寺藤兵衛を成敗するぞっ!いくぞ!」
唾を飛ばしながら、大声をあげた。




