第97話 瀬戸内
【天正三年 山田大隅守信勝】
官兵衛が上月を包囲したのを見て、おれたちは分岐した。
備前に雪崩れ込むのは何も、浦上を牽制するためだけではない。
おれの知らないところで、手を結んでいやがった
日本助と、呂宋がおれの毛利戦線支援のために要求した瀬戸内の利権。
その優位を得るためでもある。
たしかに。瀬戸内は惜しい。打出の小槌だ。これを税金以外全部、あいつらにむしりとられるのは、腹が立つが、毛利の領国を奪い取り、管令随一の領土を持てば、瀬戸内の利権なんて目じゃないぐらいの利権を取り扱える。
水軍と商人の協力がなきゃ、毛利には勝てない。
そして、もう1つ。
織田信長はこの世を変えちまった。
流通物を米から銭に変えようとした信長は、楽市楽座で商業を興し、兵を銭で雇い、銭を広めていった。
織田家の急速な拡大は、急速な銭の普及を意味する。
つまり、瀬戸内を奪取すれば、毛利に入る利権は、こちらに流れるから、その分だけ、毛利の力は弱まる。
瀬戸内の優位を示すためにも、備前吉井川以東は
必ず攻めとってやる。
◇
「どうしたものかのう……」
岡山城の書院で一人、天井を見て呟く。
腕を振り、周りの書物を散らかした。何冊かの紙が破れ、宙に舞う。
備前に乱入してきた山田軍は一万二千。こちらは、天神山(浦上遠江守宗景)が全兵力を出しても、八千だ。
勝てないこともない。だが、天神山の力は借りたくない。
宇喜多の力は既に天神山の力を凌ぐ。ならば、
わしが死ねば宇喜多はどうなる。天神山はどうでる?
当然、宇喜多を潰しにかかるだろう。
それだけは防がなくてはなるまい。であるからこそ、宇喜多はいずれの日か必ず、天神山を滅ぼさねばなるまい。
忠義、野望、誇り、譲れぬもの―そんな事を大切にするのは、ほかのやつらの仕事だ。わしはただただ、宇喜多の家の存続のみを考える。
宇喜多の家の為ならば、どんな悪評でも甘んじる。
「だれぞあるか」
「はっ」
「天神山に使いを送れ。此度の山田の件、宇喜多和泉がどうにか致すと」
【天正三年
山田大隅守信勝】
宇喜多和泉守、兵四千を率いて岡山より出陣。
おれは、顎に手を当て、唸った。
「浦上遠江は?」
「はっ。動きはありませぬ」
「そうか」
山田軍、一万二千を宇喜多四千だけで防げると思っているのか。はたまた野望を持つ宇喜多とおれたちで潰しあいをさせるつもりか。
「いい機会じゃねえか。宇喜多をこのまますり潰し、天神山を落としちまおうぜ」
吠える、としか表現できない大声で提案された慶次の案は、強硬すぎるようであるが、あながち間違いでもない。
宇喜多、浦上を各個撃破できる機会を得たのだ。うまくいけば、備前、美作を手中にできる。
「殿、使者が参っております」
「……だれだ」
「それが、宇喜多和泉守、本人が参りましてござりまする」
え。まさかの宇喜多直家ご本人かよ。それが、敵陣に赴くとはな。
「供回りは」
「おりませぬ」
ここで、兵をやって殺してしまうのも一つの方法だ。そのまま、大将を失った宇喜多を散々に打ち破ってもかまわないが……
「通せ」
殺すか、生かすか、おちょくるか、罵倒するか、
どれでもいい。やりがいはありそうだ。
「宇喜多和泉守にございまする」
戦場というのに、冑、鎧ではなく紋付き袴に紋入りの上着という正装をしている。
「お人払いをば」
「貴様、どういうことだ?」
祐光が、怒気を発しているが、直家は涼しい顔をしていやがる。
「某は、山田殿にのみ胸の内を明かしたいだけですが、はて?」
愚弄しているとしか思えない態度は、こいつのデフォルトかもしれない。
「わかった。みんな下がってくれ」
戦国において、主に暗殺でのしあがった悪党であるこいつと二人。
「なにしに来た」
「山田殿のご機嫌を伺った次第」
おれは、刀の鞘を捨て白刃をきらめかせる。
「本音で喋れや」
刀を突きつけられても、この男は狐のような目をおれから離さないし、口元にもなにも表していなかった。
表情に乏しいのか。
笑わない狐。それが宇喜多和泉守直家か。
「では、申し上げまする」
すっと、視線を外された。
「上月が落ちるまで、陣をお引きくだされ。そして上月が落ちればご退却あれ」
「つまり、和泉よ。手出しはするなということか」
「有り体に言えば、そうなりまする」
「へ。言いやがる」
どっちが優位かわかってんのか。宇喜多と一戦すればまずこちらは負けんぞ。
「仮に、某が討ち死にし、天神山まで進んでも
毛利備中めが出てくればどうします。軍がわかれている状態なら、さしもの山田殿でも……」
「脅すか。狐」
各個撃破の危機にあるのは、浦上だけではなく
山田もだ。こいつはこう言いたいのか。
「脅し、ではありませぬ。展望を述べただけにございまする」
「……だったら、てめえだけを討ち取って播磨に引き返すまでだ」
「その場合浦上領はどう致すおつもりにございますか」
してやったり、ていう顔をするべきだが、この場合の直家は。だが、相変わらず無表情。
「浦上領およそ30万石。某を討ち取り天神山まで落とさば、だれが迅速に治めれますか。領内政治の間に毛利にとられまするぞ。さらに、天神山は、成り上がりの山田殿を嫌っておいでです」
「……だから、調略してやったんだろうがよ」
「ご安心を。某、既に天神山への忠義などありませぬ」
なにを言ってやがる。この狐は。狐目が。
「なら、裏切れ」
「いえ、まだ天神山は固とうござりまする。ここで山田殿がお引き遊ばせば、わしは手出しさせなかったということで影響力が高まりまする」
「なら、ここで反転しおれらと一緒に天神山を攻めればいいじゃないか」
「天神山を攻めとった後、山田殿が心変わり致し、そのまま背後より某を討ち取らないとも限りませぬ」
「だから、備前美作、30万石を治めれるのは、
お前しかいないんだし、裏切るはずねえだろ」
「いえ、念には念を」
いちいちいちいち、反論しやがる野郎だ。ああ。むかつくことこの上ねえ。
ああ。どこにいっても、やっかいな奴っていうのは転がってるもんなんだな。
おれは、しばらく眉間に皺を寄せた。
「ならば、貴様が幕府についたとき瀬戸内の利権は頂こうか」




