第83話 嫌い
【天正二年 山田大隅守信勝】
祐光が目を付け、調略した森井志摩守っていうのは、元々、松永家と敵対している筒井家からの降将だ。
それが、中々の器量人らしく弾正からの信認も厚いとのことだ。
だが、頭がいいからこそ幕府に勝てないこともわかっているんだろう。
祐光によれば、すぐ話に食い付き筒井家への帰参を承諾したという。
幕府直臣にもなれたのに、筒井家の家臣になるというのは、すぐにでも幕府に頼りたいからだろう。
◇
信長は、おれが信貴山を訪ねたあと、松井殿を遣わしたらしい。しかも松井殿に
「なにか不満があれば仰ってください。一言一句取り違えず、上様と右大将様に申し奉りまする」
なんて、温情に満ち満ちたことを言わせた。
だが、弾正はこれを拒否。
そこが馬鹿だっていってんだよ。弾正はそこで答えをはぐらかしながら、軍備を整えろよ。それすらできねえのか。
拒否を受けた信長は、人質として預かっていた
弾正の孫、二人を洛中引き廻しの上、斬首。
と、同時に通称岐阜公方の信忠殿を総大将として
出陣を命じた。
さらに、おれと滝川殿も出陣を命じられた。
総勢4万。逆立ちしても8千しか集められない
弾正はもう終わりだ。
おれは弾正がなにかとんでもないことをやらかすんじゃないかと思っていたが、とにかくそんなこともない。ただ、壕を深くし、柵を作って、防備を固めているだけだ。
拍子抜けだ。ぼけ弾正が選択したのは籠城戦。四万相手にいつまでもつと思っている?天下がほしければ、載るか、反るか、乾坤一擲の勝負に出るべきだろ。将軍殺し、大仏殿を焼き払うなどと言った、禁じ手を放ってきた弾正は、最後の勝負で最も無難な手を使ってきた。
今思えば義輝公が弑逆されたのは12年前。つまりこの間に弾正も老いたのだろう。
そうとしか考えられない。
信忠殿の到着次第、軍議だ。
◇
「隅州か。参陣苦労である」
「はっ」
座る信忠殿は、気負ったところが全く無い。
「上様、申し上げます」
「申してみよ」
「わが配下の沼田三郎兵衛、森井志摩守を調略致しました」
その言葉を聞いて、信忠殿は一瞬、目を丸くさせ、やがて笑いだした。
「さすが隅州よ」
なんだろう。この若者はおれのことを買い被りすぎな気がする。
「はい」
で、軍議が始まる。おれの席次は三番目。最上座に信忠殿、で次席に滝川殿、で、その次がおれ。
「既に三の丸を守る森井志摩は調略済みである。
だが、いかんせん決め手には欠ける」
信忠殿の言葉に皆が頷く。三の丸の兵力は少ない。だが、ここを基点として攻めて攻めて攻めまくるつもりだったのだが。
「策を申し上げても?」
「述べよ。左近」
攻めも滝川、退くも滝川とまで謳われた滝川殿の言葉を静まりかえって、皆が聞き耳を立てる。
「森井は本願寺に援軍を貰うと言わせ、信貴山を降らせませ。そこに我々が兵を与え、信貴山に戻らせ、我らが夜襲をしかけ、森井が、裏切れば
信貴山は一夜で落ち申す」
「お待ちをっ!」
思わず、立ち上がり信忠殿の言葉も待たずに喋る。
「無謀です。本願寺は孤立。これが援軍を出すなんて言うおとぎ話、弾正が信じるはずございませぬ。下手をすれば弾正が森井志摩の謀反を気付くかもしれませぬ」
弾正を甘く見すぎだ。いくら老いたといえどもやつは世紀の大悪党。そんな見え見えの策には、嵌まらないはずだ。
「いや、左近の策でいく」
「上様っ!」
「これにて軍議は終わりだ」
ちくしょう。皆、弾正を見くびってやがる。将軍殺しまでやるやつだぞ。その辺の見極めぐらい
つくだろ。あいつもここまで登り詰めた戦国大名
なんだから。
だが、その後、来た情報は森井志摩が単身、信貴山を下り信忠殿に援軍を求めたということだ。
つまり、弾正は援軍を信じ、おとぎ話を信じたということだ。
やい。弾正。無様だな。虚構にすがりやがって。どの口だ。天下を獲るなんていう勇ましい妄言を吐いたのは。それがこの様か。お前の首は間違いなく今夜あげられて、京に晒されるんだ。
最期にお前は、悪党としてではなく、上杉来襲を信じて裏切った馬鹿として死ぬんだ。え?なんだ。この様は。
「隅州には、三の丸攻撃を任す」
「……はっ」
おれがその森井が裏切る三の丸を攻めることになった。
「先鋒は拙者にお任せあれ」
尼子殿がこのことを聞いて、立ち上がる。
「いいのか?御家再興には無関係だぞ」
「いえ。我等も山田殿の配下として、山田軍団の一員となるには、必要です」
「先鋒は尼子孫三郎!次鋒は、右近!のこりはおれと共に三陣だ!」
もうひとつ、信忠殿に厳命されていたことがある。それはやつが所有する茶器、平蜘蛛を回収すること。
だが、おれはこれを破る気でいる。あいつの首を獲ることを最優先にする。
「なあ、山田……」
「ん?」
見れば、慶次と祐光が来ていた。
「弾正か?」
「……ああ。なんつうか、あー。その」
「言わなくてもいい。わかるぜ」
旧主を殺された方と殺した方。そんな奇妙な縁は、なかなか無いし味わえないから、惜しくなる。ただ、それは悲しみなんかとは違う。
もっと、別の、有り体に言えば喪失感。
多分、違う出会い方だったら、よかったのだろうけど、おれとあいつの出会いはあんなんしかなかったと思う。
まあ、今夜で終わりだ。それも。
無意味に腕を擦った。
◇
三の丸は早かった。森井志摩の反乱で火の手があがり、すかさずそこにおれらが乗り込み、城内に殺到した。尼子殿は、宣言通りの活躍だった。
「弾正の首を晒せ!」
城内は混乱に巻き込まれていた。どこだ。弾正は。辺りを見回す。
「おい」
「そこかっ」
階段の上、欄干よりこちらを見下ろす悪党が一人。松永弾正忠。
なぜか、右手に松明と、首に縄をつけた平蜘蛛をかけている。
「討ち取れっ!平蜘蛛なんぞ壊していいぞっ!」
「カカカッ」
弾正は、とても面白いものを見たように笑いだした。
「平蜘蛛なんぞか。ふん。そんな貴様が、山田大隅守信勝が、わしはずっと嫌いだった。そしてこれからも死んでも嫌いだ」
そう言う弾正は、口角を微妙にあげている。
「おれも己の欲のままに振る舞うそんな貴様が、
松永弾正忠久秀がこれからも、永遠に嫌いだ」
弾正は目を一瞬閉じて、やがて開いた。
「安心した」
そう言うと、松明を平蜘蛛に近付けた。その刹那、ボフッというなんとも言えない音と共に、爆風が弾正の体を包み、平蜘蛛の欠片がおれの頬を切った。
欄干より弾正の首無し死体がおれの目の前に落ちてきた。
こんな死体はなんどもみたことがある。だが、肝心の首は無い。
「アアアアー!!」
声になら無い声が響いた。
『白髪首と平蜘蛛はお目にかけたくない』
松永弾正辞世の句。
なんのこともない。あいつは老いた。確かに老いた。だが、悪党なのは変わらなかった。
おれは最後の最後で負けたんだ。
リベンジのチャンスを与えないあいつは
心の底から憎たらしい。




