第82話 白痴の夢
【天正二年 山田大隅守信勝】
信貴山のこの場の雰囲気は、おれが支配している。
その証拠に、立ち上がり久通と、その家臣どもを睨んでいるというのにだれもそのことは言わない。
―終わりだ。弾正。
比類無き悪党とはいえこの程度だ。悪党は静かにその最後を迎えろ。
息を吸う。
「皆が一致団結致し、幕府への忠勤に励むことこそが肝心であろう」
おれが止めとなる言葉、つまり弾正追放をほのめかしたとき、勢いよく後ろの扉が開かれた。
「話は聞いたぞっ!」
白髪が怒髪、天をつくの状況だ。その顔の傷がいかめしさをより一層際立たせている。
そう、松永弾正忠久秀だ。
「こやつの妄言にたぶらかされるな!われら、足利公方陣営には、必勝の策があるのだ!こいつの狙いは、ここ大和ぞ!隣国のこの地を我が物にせんと企んでおるのだ!」
はあー?爺、黙れよ。なんだ。被害妄想かよ。
え?ただおれの企みは大和衆の寄騎化と、弾正の追放だけだよ。
「お主らでは、埒が開かぬわ!下がれ!わしがこやつの話を聞く!」
弾正のがなり声で、久通以下全員が奥に下がっていった。
くそ。全部聞いてやがったか。そりゃそうだな。
こんなうまい話があるはずもない。
あー。
「本気か?」
「ああ」
いや、もう一度言おうか。
「右大将に勝てると思ってんのか?」
「ああ」
どすの効いた声で答えた弾正のその顔をおれは少し見詰め、視線を外した。
「死ぬぞ」
「なんだ?心配しておるのか?」
「死ね」
ニヤニヤしている弾正の顔は見ようと言う気も起きない。
しかし、おれは何故こんなことを言った。全く言うつもりもなかったことだ。
口が滑った。
「悪党、そこまでして天下が欲しいか」
「そこまでしなければ天下はとれまい」
「お前じゃ無理だ。天下は」
ついに狂ったのか。こいつは。三好政権を一時的に乗っ取り、京の政治を一時行ったのが最高成績、それが60余年の生涯のピークのこいつが。天下だと。
それはただの老人の、いや、白痴の夢だろ。
「運よく、仮にだ。右大将を討ち取れても、右大将の家臣共はお前ではなく、不識庵か岐阜の上様かに別れる。だれもお前には付かない」
つまり何も博打で勝っても、利益はまさにないに等しい。ただ、この老人に信長を討ち取った悪党という肩書きが付くだけの話だ。
「当然よ。わしが、信長を討つ主役でありたいのだ」
「何を言っているんだお前は」
「では、逆に問おうか」
なんだ。この弾正は何を言うつもりか。
「貴様がした荒木一族皆殺しとどう違う?」
絶句。頭の中を回るのは、あの花隈のこと。
無数の磔と、夕闇に照らされ、その姿を見せる空を飛び、旋回する鴉。
まさにこの世のものとは思えない光景。だが、それを作り出したのは、おれだ。
後悔はしていない。あれで摂津はおれのものとなったのだから。だが、なぜかスッキリしない。
「違うだろ……」
かぼそく、こう返すのが精一杯。
「天下を得ようとするわしと、荒木一族皆殺しをしたお前。根本的には同じよ」
ちっ。なんなんだ。調子が気持ち悪いほど狂う。
お前が話を変えるんなら、おれも変える。
「権力を完全に譲り、謝れば罰せられないと思うぞ。右衛門佐はお前とは違い、善良だ。松永家は末代まで安泰だと思うぜ」
あの久通なら、この悪党に似なかった中年ならいくらでもやり込める。播磨で優秀な中継ぎが如く、酷使できる。で、この弾正はどっかにでも押し込めとけばいい。
「わしは、農民よりここまで来た」
……じゃあ、松永家は潰してもいいということか?
「何が言いたい?」
弾正は、自分の手の平を見た。それにつられてか、どうか、おれは手の甲を見た。
「たまたま文字を習い、佑筆を求めていた三好修理大夫に仕え、武功をあげ、修理大夫の右腕として大和を統治した。そして、修理大夫亡き後、
義輝を殺し、京を支配した」
「だが……」
その栄華も短かったと言おうとしたが、なんか気分が乗らなかった。
「そして、三好三人衆と争いわしは負け、窮地に追い込まれたが、やつらが陣をひいていた東大寺を燃やし、勢力を取り戻した。そして信長に仕頭を下げた」
「話が見えねえぞ」
「聞け。わしは好機を逸しなかったから大和の主に座っておるのだ。山田。好機逸すべからず。覚えておけ」
貴様に教訓なんぞは求めていないんだよ。ハゲ。
「今は好機じゃあない。わかってんだろ?」
「いや、好機だ。愚人にはわからぬが」
ちっ。いちいちいちいち、いちいち、口が減らない爺だな。
「貴様にもらった松本茶碗、あれ割るわ」
「ああ。それが愚人の使い道よ」
「邪魔したな。次会うときは戦場だな」
ここで、殺されるかもしれなかったが、弾正はおれを殺さない。根拠はないが確信していた。
「ああ。討ち取る」
「ほざけ」
◇
すっかり日は沈み、城下はオレンジ色に変わっていた。
そのなかに、祐光は腕を組んで柱にもたれてた。
まあまあ、絵になるな。
おれが感心していると、祐光がもたれるのをやめた。
「どうだ?」
「すまん。失敗だ。お前は?」
祐光は、不自然なほどに口角をあげた
「成功だ。森井志摩守、内通を約束したぞ」
弾正。もう戦は始まっているぞ。そして、お前が
忘れていることがもうひとつ。
松永弾正忠は、山田大隅守に負けるんだよ。




