第74話 天正
【元亀五年 山田大隅守信勝】
内裏、つまり朝廷とは寺にしか見えない。
漆喰の木々で造り上げられたこの建築物は簡素に作られている。
横にだだっぴろく、天を圧倒しないその様は、日ノ本の政治の権を臣下に譲りわたした朝廷にふさわしく見える。
蒼い春空の下、植えられた木々が芽吹いている。
その中を、着流しで大小を差さず、扇子一本を刀代わりに差し、俯きながら朝廷から出ていく男を見た。
やがて、この春空に気付いたのか、顔を見上げた。そして、ようやくおれに気付いたようで
「隅州ではないか」
「上様をお待ちしておりました」
そういうと、義昭公は笑い顔を浮かべ、手を振った。
「左様か。先程、将軍職の禅譲と左近衛中将の職を返上した」
つまり、義昭公は無官。領土もない。つまり義昭公はただの人になった。
―しかし、天下を譲るという英断を果たした義昭公が……
「二条を御退去後、如何致しますか?」
「上総介はわしに隠居料として1万石をくれるらしい」
「そうですか」
「しかし主こそ、二条の将軍との謁見に間に合うか?」
「早馬を飛ばせば間に合います」
おれは義昭公に会いたかったのだ。なぜかは
わからないが、こうするべきだと思ったのだ。
「では失礼します」
「山田大隅守信勝」
馬に乗ろうとしたとき、義昭公に呼び止められた。
「武運を祈るぞ」
半身で右手を上げた義昭公の横顔はまるでいたずら小僧のようだった。
おれは、お辞儀をし馬に飛び乗った。
◇
既に二条城は人で溢れている。
坂祝で武田を破り、天下の衆目を一身に集めている織田がついに将軍職を受ける。
北陸で功績を挙げている柴田殿に、山県を討ち取り、天下に名を轟かせている家康の姿も確認できた。
それにしても。
二条とはこんなんだったか。
天井には金がちりばめられており、組み木も新しい。
思うに、将軍宣下の為に準備したか。
信忠殿は、勅使と面会し将軍宣下を受けたあと
おれたち諸侯と面会手筈だ。
「隅州殿、信忠公を見てはおらぬか」
「いえ」
家康が、むうと言って、その出てる腹を撫でた。
「あ、あれはっ!」
窓の傍の織田家臣が叫んでいる。
「どうかしましたか?」
おれは小走りで窓の側に走り、納得した。
5万程度と見られる軍が二条を取り巻いている。
旗印は織田木瓜。
つまり信忠殿の示威行為だな。
いや、信忠殿ではなくて、信長か。そうだな。
多分、信忠殿は颯爽と数騎で乗り込んで、家臣で団との面会を終えたかったに違いない。
―だがまあ。
新たな世が来たことを示すには丁度いいな。
「やあ、隅州殿」
秀吉が満面の笑みを浮かべながら近付いてきた。
そりゃそうだ。織田家にずっと仕えていて、主家がついに将軍だ。嬉しいはずがない。
「いや、この日が来るとはまさにうれしいです!」
そうだろうな。おれはふんふんと頷く。
「そういえば、筑州殿はいつから織田家に?」
「桶狭間の頃ですな!あの頃は馬丁として殿の馬を引いておりました。そういえば、桶狭間とは―」
え、なにこの長い話フラグは。おれはちょっとゲンナリしたが、話は案外早く終わった。
「ときに、隅州殿」
思い出したように話す秀吉は少し顔を曇らせた。
「尼子一党を雇ったと聞きますが、それはつまり
毛利と相対すということですかな?」
はて。どう答えるべきか。確かにそうなんだけど
正直に答えるのもどうか。だけど下手に嘘をつくのもな。よし。おれは秀吉をじっと見詰めた。
「ええ。対毛利を任されるためです」
「やはりそうでござったか」
秀吉は、もう一度にっと笑いその場から離れた。
◇
やがて、二条の奥に通されたおれたちは平伏し、
新将軍である信忠殿の到来を待った。
頭上にザッザッという歩く音が聞こえる。
「面をあげぃ」
「一同、面を上げよー!!」
信忠殿の言葉を小姓が反復する。
おれは顔をあげ、信忠殿を凝視する。
凜とかまえているその姿は武家の棟梁らしかった。
だが、その姿は擬態であって本当は父を超えようともがくセンチメンタルな若者でしかない。
「連綿と続く征夷大将軍の職を任され、身の引き締まる思いである。皆、幕府のもと天下を統一するよう励んでくれ」
おれたちは平伏し、将軍謁見は終わった。そして元号が天正に改元された。
その後、幕府の要職が発表された。
管領に、家康、柴田殿、光秀、佐久間殿、秀吉、滝川殿、丹羽殿、おれだ。
で、肝心の信長は朝廷より右近衛大将に任命された。
まあ、織田家はこの右大将様に率いられるのは変わりない。
それと同時に信長は、安土に城を築くとし、
丹羽殿に築城総奉行を仰せつけた。




