第73話 室町
【元亀四年 山田大隅守信勝】
「尼子孫三郎勝久でござる」
奥の部屋の畳は新しいのか、畳の匂いがほのかに漂っている。
「拙者が山田大隅にござる」
平伏した尼子殿に、おれも平伏して返す。
まっすぐした目でおれを見詰める。
まだ、若いのに御家再興に燃えているのか。
まったく、流れるように侍になり、運で成り上がったおれとはまったく違う。
尼子殿の後ろには多数の侍が見える。
―どれが鹿之助なんだろう。
おれは尼子殿との会話もそこそこに鹿之助を
探していた。
「鹿之助殿はどこですかな?」
あ、山中殿と言うべきだったか。だがやっぱり
鹿之助と口をついてでる。
「拙者にござるがなにか?」
ほう。この男か。大きくつぶらな目と、すべすべした肌を見ると、この男が今まで苦労し続けたとは到底思えない。
「いや、高名な鹿之助殿とお会いしたかったのですよ」
「光栄にござる」
鹿之助が頭を下げたのを見て、先頭の尼子殿が
丁寧に畳に手をついた。
「山田殿よ。我等はもう失うものなどない。ただ御家再興だけは果たしたいのです」
「では、今から二条に参って上様に謁見し、岐阜の上総介殿と会いましょう」
「今からにございますか!?」
「ええ」
織田は神速だ。それをおれも体現する。いや、おれは織田家ではないが。
「そうと決まれば行きましょうぜ」
「は、はい」
恐らく今日始めて尼子殿は笑顔を見せた。
◇
義昭公と信長に謁見し、尼子一行を紹介した。
で、この一行はおれの寄騎となった。
あとひとつ気になるのは、義昭公の顔。
なんか、吹っ切れたような顔をしていた。
なにかあったんだろうか?
わからないおれは、ひとまず池田山に帰り、家臣団、寄騎に尼子一行を紹介した。
かつては山陰を支配した尼子殿に、皆興味津々で、屋敷に挨拶のため列を作っていた。
「信勝様、上様より手紙が……」
ピンク色の着物をきているお犬様が、一枚の手紙を差し出してきた。
「上様からか」
「わたしは松永様からだと思ったのですが」
だな。おれも弾正からだと思ったわ。あいつはいつもどうでもいい手紙を送ってくる。
しかし上様からとはなんだ?先程お会いしたのだが……
そして、祐光と慶次のみをつれて、若狭の武田館までこいとのこと。
寄騎の中でもこの二人だけをね……
おれは、すぐこの二人を呼ばせ、若狭へと赴いた。
「しかし、懐かしいな。思えばおれたち3人ずっと一緒だったよな」
「ああ。信勝はわしらがいなければ何もできんからな」
「おれは戦ができて楽しかったぜ」
まったく。口の減らない奴等だ。
若狭は、12月らしくちらちらと雪が降る、微妙な銀世界を出現させていた。
―摂津じゃあ降っていなかったんだけどね
摂津と若狭の違いと言えば、幕府が朝倉をいいように使って乗っ取ったよな。
ああ。懐かしい。
馬が雪がかかり白くなった草を踏んでいる。
ちらと祐光と慶次を見ると、感慨深そうな顔をしていた。
まあ、やっぱ思うところはあるわな。
当然だ、と思い前を向くと、雪の向こうに見慣れた人影があった。
供も連れずただ一騎で、編笠を被っている。
腰に差している刀から、武士と思うが、その風貌からは下級武士ぐらいとしか思えない。
ただ、おれはその懐かしい風景に知っていた。
光秀だ。
坂本を治める大名がこのような姿だとはだれも思えない。が、おれは国友で、まだ浪人の頃の光秀と会っている。
光秀もか。
ということは、幕臣集合か?
おれは程無くして、武田館に入った。
◇
そこには、幽斎さんと、ニート一色、京極さん、和田さん、それに光秀という懐かしい面々がいた。
この面子は義昭公流浪時からの幕臣じゃないか。
「おお、隅州。久し振りだな」
「ああ。細川殿。お久しぶりっす」
クスリと幽斎さんが笑う。おれは不思議に思い、
じっと見詰めた。すると、幽斎さんが手を振っ
た。
「いや、お主は変わらぬなと思ったのだ」
「変わったと思いますがね」
思わず反論する。おれもいろんな死地をかいくぐって成長したはずなんだが。
「いや、能力じゃあない。人柄だよ」
人柄ねえ。うーん。たしかに大名になって箔をつけようなんて思わなかったな。
おれは、世間話をいくつかし席に座った。
程無く義昭公が着座した。
「皆、集まりご苦労である」
おれらは、平伏しやがて頭を上げた。
「いよいよこの時が来た。わしは明日、勘九郎信忠に将軍職を譲る」
……そうか。
いや、甲賀で聞いたときからこの日は来ることぐらい分かっていたんだがな。
それにここに来るときに、室町なんざあってないようなもんだと思っていた。それは正しいが、
おれはこの室町に愛着を持っていた。
ここに来る前、読んだ本に、愚か者とは
無価値な者に命をかけるものという記述があった。
なら、おれは愚か者か。
うん。そうかもしれねえが、それでいい。
愚か者でいい。
「皆は織田幕府にこれからも尽くしてくれ。室町は終わる。ただ日ノ本は終わらぬ。わしが賭けた
織田家に皆も賭けくれ」
一色殿の号泣する声を聞いた。おれも涙が止まらねえ。だれが泣いているのか、それはこの潤んだ目にはわからない。
「みな、今日は飲もうぞ!」
膳が運ばれ、酒宴となった。おれは酒を煽り、泣きながら笑った。
そうなんだ。
うん。わかりきっていたことじゃないか。
室町幕府はたしかにここにあったのだ。




