第71話 魔王の土下座
【元亀四年 山田大隅守信勝】
尼子孫三郎勝久。尼子勝久。うん。知ってる。でも、それはこの尼子さんの業績なんかではなく、その部下の有名さの恩恵を被っているからだ。
名を、山中鹿之助幸盛。
名は体を表すというが、そうじゃない。
この男の人生はその幸の文字とは正反対だ。
敵に捕まり、厠から抜け出したり。
その、色々大変な人生を送り、最後は死んだ。
まあ、戦国の名物みたいな男だ。
手紙にはまだ続きがある。
『会いに来るよう申し伝え候事』
おれも、少しは頭が回る。
山陰、山陽を支配下とする毛利を必ず信長は倒そうとするだろう。
なら、そこに縁のある尼子と親密であれば
対毛利司令官に任命される。
つまり方面軍。
北陸方面軍の柴田さんに次ぐ方面軍司令官の座は
大出世だ。
正史においては、この山陰山陽方面軍の司令官には秀吉がなった。
だが、歴史は変わることもある。
そう、そして正史とは違うのが、毛利隆元が存命と言うこと。
つまり、毛利は万全だ。
とにかく会いに行くしかない。
城を出て、馬に飛び乗った。
【元亀四年
諏訪四郎勝頼】
「そちが……真田安房か」
「はっ。既に高坂殿を始めとし、ほとんどの家臣団が、陣代殿の当主就任へ賛成しております」
「根回し苦労であった」
真田安房守昌幸。さきの坂祝で討ち死にした真田兄弟の弟。父、信玄が、この安房守をとても信用していたと聞いている。
「穴山は?」
「よろしくございませぬ」
そうか。知っていた。穴山は、今川領を接収。その影響力を駿河一国にまで伸ばしている。
たしかに武田随一の影響力。だが、その勢力を刈り取る方法はある。
必要なことは武田を新しい国にすること。
その為には銭がいる。
「武田が……商人の真似事をする時代がくるとはな……」
「それが、先見の明というべきものにございましょう」
自嘲気味に呟いたわしに、安房がにやりと笑う。
「いこうか。安房よ」
「御意」
◇
「此度の国難、陣代の勝頼公を当主にすべきかと」
「まてい!」
高坂の一言に穴山が噛みつく。ここまでは思った通りだ。
「既に諏訪家を継いでいる四郎めにそのような
資格などない!それに四郎が采をとった戦で我々は大敗したではないか!」
「敗北の一因は、穴山殿の勝手なる離脱も影響あるかと」
高坂の一言に穴山が押し黙る。阿呆か。
「戦場にいなかったそちにはわからぬことよ!!」
既に顔色を失っておる。
「ほう。穴山殿の戦とは今川殿の領土の接収にござるかぁ」
たしかに。穴山部隊はせっせと主不在の今川領を
攻めとっただけだ。
「もうよい」
ここらで幕引きか。
「わしは武田に複姓し、父の官位を自称し、
武田大膳大夫勝頼を名乗る。異論あるか!」
「……」
無言の家臣団を見る。
「虎王丸様はわしの次の武田当主とする!」
拳を握る。
暫くは内政に勤める。それこそが新たな武田の第一歩よ。
たとえ、父信玄の意向に背こうとも決して逃げぬ。
武田当主なのだから。
わしは、最上段に着座し、家臣団の平伏を受けた。
【元亀四年 足利中将義昭】
二条に上総介が来た。
「如何した?」
「義昭公のご機嫌を伺いに参った由」
心にもないことを言う。一体、何が言いたいのだ。
いや、諸事、短く言い切るこの男が珍しく口ごもるとはどういうことだ。
なにか言いにくいことか。
「禅譲の儀か?」
「半分左様で」
「はっきりと申せ」
「正直なとこ迷っております」
ほう。迷いか。
「迷いかね?」
このどこまでも突き進んで来たような男に迷いか。
「織田幕府と相成れば義栄方は、足利の復活を掲げ、勢いづくこと間違いなし。それに敵が増えゆく可能性もあり」
成る程。確かに武田を破り、その武威を示した今、幕府設立の好機ではあろう。だが、
それで敵が増えていくことをこの男は
危惧しているのか。
わしが口に出すことなど決まっておる。
「ふっ。一網打尽と致せ」
信長は黙ってわしを見上げた。
「織田幕府設立となれば敵を炙り出せよう。ならそれを返り討ちとし、滅ぼし、天下を
その掌の中に収めよ」
わしは、天下の為、室町に幕をひく決意をした。
だが、わし個人としてこの男がどこまでいくのかを見てみたい。
「われにそれができると
「できる」
「覚悟を決めもうした」
信長はすぐ決意を固めたようだ。
「勘九郎を猶子とし、為すことが終われば将軍職を譲ろう」
信長はそれを聞くと、平伏した。
「御世話になり申した。この御恩は忘れませぬ」
「ハハハ。世話してもらったのはわしの方よ」
魔王の土下座か。フフ、室町の幕引きにはもったいなき餞別となったの。




