第68話 後詰め投入
【元亀四年 掘久太郎秀政】
右翼と左翼で大きな動きがあった。
今川刑部大輔氏真、山県三郎兵衛尉昌景、討死。
それを聞いた殿は、おもむろに鏑矢を弓にかけて
放った。
それと同時に殿は勢いよく山を下った。
一気に濁流が如く2万の大軍が丘を下る。
―後詰め投入。
しかし一体、何故今なのだ。
わしは目を凝らし武田軍の動きを見る。
なんと。
じっと見詰めなければわからない程の小さな変化。しかし間違いなく大きな変化。
右翼、左翼の退却により今まで、前進し続け織田の前衛を圧倒していた武田軍。
その足が止まった。
そこに流れるように織田が全軍を持ってこれを叩く。
するとどうなるか。
それは、目の前の光景がすべてであろう。
武田軍は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っている。
それはそうだ。
天下無双を誇る武田とて所詮は人。
右翼と左翼の崩壊で不安が生じた時に雪崩れ込む
大軍。
口で言うのは容易いが、実際これを見抜くことは難しい。
しかしこれを見抜いた殿こそ天下無双ではないか。
つまり。
殿はたった一人で武田を越えられたのではないか。
【元亀四年
内藤修理亮昌豊】
色々な兵を見てきた。
わしらの甲州兵もそうだし、どこか執念を感じる。村上率いる信州兵に、不気味なほど落ち着いている上杉率いる越州兵。
今、迫り来る兵を見る。
揃わない足並み。どこが下品な目付き。
呆れるを通り越して笑いしか出てこぬわ。
フッ。
最低よ。最低よ。だが。
われらはこれに討ち取られるのだな……
どこか感傷的になったな。
思えばわしは御屋形様亡き後、ずっと死に場所を探しておったのかもしれぬ。いや、そうに違いない。
なら、ここが死に場所ではないか。
馬場、真田、原、土屋、小山田、小幡、こやつらを一先ずは生かす。
「突撃よ」
「……まことにございますか!」
冷や汗をかきながら声をはりあげる男にわしは言う。
「甲州武士の生きざま、とくと見せつけようではないか?」
「左様ですなぁ」
ニヤリと笑った男にわしも笑い返した。
「甲州武士は!死してその名を轟かすっ!
突撃じゃあ!」
【元亀四年
織田勘九郎信忠】
父が嫌いだ。
世に比類なき男だとは思う。
名を織田上総介信長。
またの名を第六天魔王。
もう、これが嫌だ。
意味がわからないではないか。
今わしの癒しなど妻の松姫との文通しかない。
別にうつけと見られてもよい。
父の跡など気性が似ている茶筅にでも継がせればよい。
だが。
わしは織田をとる。
信長率いる織田家を我が物とせん。
常道を邁進したいのだ。わしは。
そのためにはわしには武功がいる。
ふと前を見ると、内藤隊が迫ってきている。
すわ、手柄の立て時よ。
「勘九郎様!どちらへ!?」
「知れたことをっ!内藤の首をとるに決まっておろうが!」
わしは槍を強く握った。
嫡男の突撃など有り得ないであろう。だが
ここでやらねばなるまい。
わしが信長を超えるには。
「勘九郎信忠推参!」
馬を入れて、槍を頭上に掲げる。
「あれなるは、上総介が嫡男、勘九郎よ!冥土の土産に討ち取れ!」
ひとりの組頭のような男がわしを指差す。
「こいやぁ!」
槍を降り下ろすが、その男に防がれる。
くっ。まだか。
一合、二合、三合……
次々と槍を合わせ、ついに十合ほどでこの男の胸元に槍を突き刺した。
やった……よし。
そのまま前に進み、内藤の首をとろうとしたところ、愕然とした。
周りを囲まれているではないか。
くそっ……
あまりに一騎討ちに夢中で気付かなかった。
ここで終わりか……
わしはきつく目を瞑った。
しかし、急に周囲が騒ぎだしたと同時に勢いよく馬が走り出した。
なんだ……
目を開け、横を向くと口を真一文字に結ぶ山田大隅がいた。
「隅州……」
小さく呟くと、山田大隅はこちらを向き、やがて笑った。
「もう、何してるんですか」
「すまぬ……」
中指がない大隅に無理をさせてしまったな……
わしが、俯くと大隅は声をかけてきた。
「大丈夫です。信忠が信長を超える日は必ず来ます」
わしは、頭を下げた。




