第63話 貴様の相手は信玄
【元亀四年 山県三郎兵衛尉昌景】
三河を誘き出せるか。
この一点さえ成功すれば赤備の勝利は間違いない。
東の方角を睨んでいると、三河の家紋である三つ葉葵がこちらに向かってくるのが見えた。
―来たか。
戦が予想通りに動くのは、おもしろきものよの。
ぐっと槍を握る。
いや、まだ喜ぶのは先よ。
わしは、栗色の馬の尻に鞭をやった。
「この機を逃すな!徳川三河を討ち取り、功名を立てろっ!!」
【元亀四年
馬場美濃守信春】
大量の火縄銃に、粘り強い佐久間。難敵ではあったが、崩れているところを集中的に攻めれば、
崩せる。
佐久間の首をとろうや。
「攻め立てぇ!」
采を降り下ろした。
【元亀四年
掘久太郎秀政】
苦戦が続く。羽柴殿は真田に押し込まれており、佐久間殿は馬場殿に。柴田殿が善戦なされておるが……徳川殿は、赤備に損害を被り、山田大隅は今川に押され気味か。
殿を見ると、じっと、この戦況を見つめている。
手には、采ではなく鏑矢を持っている。
なにかを合図するおつもりか?
いや、それもわからない。
殿は、沈黙を好む。
山田よ……
右翼を見れば、慌ただしい。崩されておるのか?
岐阜で初めて会ったあの男が大名とはな……
嫉妬などではない。ただ今は今川を撃ち破って欲しいのだ。
ふう……
空を見上げ、溜め息をついた。
【元亀四年
前田慶次郎利益】
ちくしょーが。
包囲殲滅作戦をこんな短期間なんざにするなんて
おかしいんだよ。てか、指示できねえ。
わざと逃げるぞ!なんて言えるはずもねえ。
くそが。じゃあ、どうすべきかなんて一つしかねえ。
おれの主義に反するが。
おれは馬首を後ろに向けて、駆け出した。
「なにしてるんですか!」
「見てわからぬかぁ!山田の陣まで逃げ込むぞ!」
「逃げるんですか!」
みりゃわかんだろうがとおれは悪態をつく。
山田大隅守信勝。
おれたちの命、預かんだからしっかりやれよ。
あ?
【元亀四年 諏訪四郎勝頼】
戦とは鏡にて、自分を覗きこむことに似ている。
自分がもし相手の立場ならどうするかを常に考える。それは、自分のことを見つめること。
上総介よ……
主は恐らく、もし自分がわしだったらどうするかを考えているのであろう。だがわしが除きこんでいる鏡は、徳栄軒信玄のものだ。
常に父ならどうするかを考えている。
いや、考えることを強いられている。
わしは、虎王丸の陣代ではない。信玄の陣代、即ち、代わりだ。
貴様の相手は信玄だと思え。上総介。
あとは、いつ後詰めの穴山、逍遙軒を投入するかだ。
そして、道を開き、本陣で上総介の本陣を攻め、
乱戦の中、打ち取る。
しかし、今がその時なのだ。
右翼、左翼、共に優勢。ここに畳み掛け、一気に崩す。
上総介信長、三河守家康。
両名を討ち、武田に天下をもたらさん。わしは使番を走らせた。
「穴山は、今川家の後詰めに、逍遙軒は山県の赤備に参れ!」




