第156話 英雄
【天文二十二年 明智十兵衛光秀】
上総介殿と、一瞬目があった気がして思わずそらす。いや、気にしすぎなのかもしれないが。
「義父上」
上総介殿は、半ば道三入道の顔をじっと見つめた。
「なにかな」
「忌憚なく申し上げます」
その言葉に、周りの家臣団はざわめく。いったい何を言うつもりか。
「尾張には指一本手出し不要」
「如何なる意味か」
上総介殿は、少し前かがみであった姿勢を起こし、道三入道を見据えた。その顔はまるで戦場の武士のなおもむきであり、それがしは少し圧倒された。
「尾張はわれが取る故」
「ほう」
道三入道は体を大きく右に傾けた。
「わしが尾張を狙っているとの知ってのご発言かな。婿殿」
尾張への野心を表面に出すだと。仮にも同盟者に言う言葉ではない。それもすべてこの上総介の迫力故か。
抜き身のままの言葉が大きく寺院内を旋回し、それはきりきりと張り詰めた糸に変わっていく。
「勿論」
上総介殿はこの日初めて笑った。
「養父上も御家を保たれよ」
「斉藤が織田に負けるとの仰せか」
それがしは、立ち上がり、上総介を見据える。御家を保たれよ。つまり斉藤と織田がやり合えば、織田が勝ち、斉藤は滅亡する。
上総介殿はこう言っているのだ。滑稽であろう。織田上総介はいまだ尾張南部をも統一しておらぬ家。対して斉藤は美濃一国を領有し、すでに北尾張を勢力下に組み込んだ家。負けるわけがない。
「やめぬか。十兵衛、」
「は」
仕方なく座る。
「名を」
上総介殿はそれがしを右の目端だけで見て、言った。それがしの名を聞いているのだろうか。
「明智十兵衛光秀」
「であるか」
上総介はそれだけ言った。かと、思うとまたすぐに目端でそれがしを見た。
「明智光秀か」
「はっ」
何であったのだろうか。
「婿殿」
以前、道三入道は表情を緩めない。
「如何に尾張を取る。織田大和守家、織田伊勢守家これをどう超える。その尾張最弱の家より」
「銭」
上総介殿は嘲るような道三入道の言葉を一蹴した。
「熱田神宮や海、清州の領土。これが銭を生む」
「ふん。変わり者よ」
「変わっておるのは天下」
どうやら、上総介殿はその言葉が短いらしい。これでは仕える家臣も気苦労が絶えぬであろう。ただ、何故かそれがしは、この御仁の考えがわかるかもしれぬ。
天下の大名はいまだ銭を有効に活用していない。四方を奔走して銭を集めておらぬ。だが、世は明らかに銭中心に回り始めておる。ならば世の流れに応じ、銭を集めるべしと言っておるのだろう。この御仁は。
なら、その先に何がある。誰より世の流れに応じて銭を集めたその果てには。
天下。であろうか。
だが、その天下はそれがしが思う治世なのか。
何を思うておるのだ。それがしは。想像が過ぎる。
「銭で尾張統一能うかね」
「銭は実。守護をつかう」
尾張の守護は斯波氏。だが下剋上の波にさらわれその力を失ってる。だがそれを利用するのか。銭で力を蓄え、名分を利用して尾張を取る。簡単なようだが、難しい。だがこの御仁なら……
「約束しよう。織田殿。わしは尾張への野望を諦めよう。なにかあればいつでも斉藤は織田殿の尾張統一を助けようぞ」
「不要」
「ハハハ、そうか」
道三入道は大きく笑い、姿勢をただした。
会見は外の麗らかな日のようにその後、穏やかに進んだ。
「十兵衛」
「はっ」
「どう思う」
どう思うか。率直に言おうか。
「かの御仁、まこと貴種なる雰囲気を持ちながら異才かつ危うい者かと」
「貴様に似ておる」
道三入道はもう一度、似ておると言った。
「織田上総介信長。いずれ天下を食い散らすであろうな。ただし最後までいけるか」
「最後?」
「ぬしの夢見る治世よ」
それがしはふうと息を吐いた。
「治世はいずれ来るでしょう。英雄が皆をそこへと連れて行く。それがしはこう考えております」
「光秀」
久しぶりに徫≪いなみ≫で呼ばれた。
「その英雄は貴殿でも構わぬであろう?」
「お戯れを」
それがしは英雄を助け、治世を実現させる器。けして英雄ではないわ。




