第153話 根性決めろ
【天正七年 宇喜多和泉守直家】
「何っ。八郎が病死だと」
「はっ」
「山田の典医は何と言っておる」
八郎はまだ四歳だぞ。くそ、何がどうなっておるのじゃ。
「はっ。八郎様は死ぬ直前、大層苦しみ、震えながらご卒去遊ばされたと」
苦しみ、そして震える。ほう
……トリカブト。
間違いなき。その最期はトリカブトよ。わしもこれをよく使った。実際に死ぬところもこの両の目で見た。
八郎は暗殺された。誰にか。
わしには嫡子はいない。ならばわしが死ねば家督は甥が継ごう。
七郎か。権力を握るは。
思えば、七郎にはよく山田の家来が入って来ておった。
山田め。美作備前尽く意のままにするつもりか。
「七郎をよべ」
【天正七年 宇喜多七郎兵衛忠家】
カタカタという音がたち、それは何かと問えば冷静になる。わしの肩が震えておるのだ。
昨日のことが思い出される。
荒木殿がやってこられ、いくつかの世間話の後、その膝をにじり寄った。
「宇喜多の家督を奪いなされ」
はじめ、わしは自分が何を言われているのかがわからなかった。だが、口元だけで笑う荒木殿は恐怖の形をしていた。
似ていた。あの兄と。
思わずたじろくとすかさず荒木殿は膝を詰めてきた。
「泉州殿は食わせもの。わが殿だけでは無く、岐阜の上様、安土の右大将様共にいずれ宇喜多を取り潰すお考え」
「馬鹿な」
顔をそむけると、荒木殿はわしの顔を掴んだ。
「果たしてそうか」
障子の白が何か際立って見えた。
「弓矢にかけて、浦上を滅ぼしたならともかく、泉州殿は暗殺を用いての成り上がり。我が殿もいつ寝首を掛かれるか焦っておいでです」
「馬鹿な」
言葉がでてこない。
「わしを見なされ」
荒木殿はその大きな子供っぽさを残す黒目がちな目を指さした。
「殿は弓矢に問うて下克上を行うものは許す。されどその反面、姑息なるものは許さない」
荒木殿も二度、隅州殿に刃向かいながら許されておる。なら我が兄も許されるのではないか。
「我が兄も荒木殿とそう変わらぬ……」
「どんな人にも裏がある。殿は泉州を許さない」
その声はどこか確信めいており、それゆえに恐ろしかった。
「なら、わしはどうしよと……」
できるものならへたりこみたい。
「御自分でお考えを。では失敬」
そして今日。姫路で八郎殿が病死。間違いなく兄はわしを疑う。
「七郎様。殿がお呼びです」
やるしかあるまい。
【天正七年 山田大隅守信勝】
京という町は長年、政争に晒されてきた為かある種の独特の空気感がある。おれはそれがまあ好きだ。
目の前には瓜が壁という壁を這ってある小さな庵が前に見える。
変人か。
思わず苦笑する。重荷を下ろした途端、自分の趣味を全開にさせてやがるな。
「頼もう」
「なんですかな」
その声にぎょっとする。まさか下男でも置いていなかったのか。
「ほう。大隅」
「お久し振りでございます。義昭様」
困ったら、旧主に相談は鉄板であろう。
「ほれ」
「この茶はどこで」
「大山崎じゃ」
「大山崎……」
出された茶を口に含む。大山崎とは京と摂津の境目にある要所の町だ。なるほど、うまいものだ。
「して、どうした?」
「迷っております」
「迷う」
義昭公は、椀をとって茶を飲んでいる。開け放たれた窓から差し込む日輪が妙に痛々しい。
「迷うとは如何なる」
「義輝公に見込まれ、義昭公に抜擢されたこの身は果たして何ができるか」
おれは、率直な思いを告げる。義輝公、義昭公がいなければおれなんてとっくに野垂れ死んでいた。それに上洛した時、義昭公が高槻城主におれを任じていなかったらおれは今頃、大名にはなっていまい。
「わしはな、大隅」
義昭公は穏やかな眼を俺に向ける。
「根性。お前にはこれがあるように見えた。あの時の幕府にはこれが一番必要なのだと思ったのだよ」
「根性……」
「ああ」
義昭公は、大きく頷きにこやかに笑った。
「根性決めれば怖くない、覚えておけ」
その後、何度か世間話をして別れた。帰り際、瓜を貰った。瑞々しい瓜だったが、正直どうしたらいいのかわからない。
瓜満ちて 京洛華やか 五月哉
うん。字余りにして意味がわからん。おれに俳句の才はない。
よし、やろう。やろう。
信長は来る。俺たちが攻める備中高松に。なら、その時言う。
天下統一後、検知を行い、刀狩りを行い一地一作人の制を持ち、荘園を解体。身分を固定し庄屋を頂点とした村方三役を百姓社会に置き、細かい掟で縛り、商本主義から農本主義に転換、銭の不足分を米で補う。
唐入り不要。ただ犠牲になるは信長の理想だけだ。
おれしかできない。江戸時代を知っているおれじゃなきゃ。
根性決めろ。唐入りで流れる血を無くすんだ。
姫路の町にそびえる三層の天守閣を持つ姫路城は町を睥睨しながら佇む。ただ、安土とはやはり格が違う。
この格の違いのまま、おれは、信長に理想を諦めさせる。
見ようによっては信長への下剋上かもしれない。
「殿っ」
姫路に入ったおれは、長盛に呼び止められた。
「どうした」
長盛の口から溢れる言葉を聞いて驚愕する。
宇喜多和泉守、宇喜多七郎と刃傷沙汰に及び七郎を惨殺。同時に毛利と同盟。
おれは目眩がした。




