第152話 唐入り
【天正七年 山田大隅守信勝】
織田の滅亡。どういうことだ。今の織田は天下統一を目前としている。もう脅威となる勢力は無い。
「ご説明致します」
光秀が、手を畳に付ける。
「例えば、三河殿。幕府の勢力拡大と共に何が変わりましたか」
急に指名された家康はその豊満な肉体と丸顔に似合わぬ鋭い視線を崩さなかった。
「銭、貨幣経済ですかな」
「左様です」
光秀は向頭する。
貨幣経済。確かに。米から銭へ。か。確かに銭の方が物事を売買するにはとても便利だ。だから、これだけ広まった。だが、それだけではないな。この織田信長の政策、楽市楽座と関所の廃止、それも貨幣経済の発展に一役を担っているのは間違いない。
屋敷内に流れる空気が螺旋状に絡まっていき、カラカラという音を立てては止み、また音を立てる。
「その貨幣経済の浸透が早すぎる。最早、これは人為ならず天の意思」
光秀は透き通るような声を出した。
「山田殿の素早い鳥取攻め、上様と左近殿の甲州征伐。この望外の戦果が更なる銭の流れを生んでいます」
おれかよ。いや、まあ確かに商人がおれに擦り寄ってきてる感はする。それに、おれさっきから一言も喋れて無い。話の全容が見えないからか。
「銭の流れは掴める」
甲高い声が響き、その場の全員が居住まいを正す。幕府の絶対君主たる信長が口を開いた為だ。
「銭は町に集まり、田舎には集まらぬ」
信長はそこで言葉を切る。
「やがて、町に人は集中し田舎に人はいなくなろう。銭と人、持つ場所と持たざる場所。銭の集中と銭の不足が同時に起ればどうなるか」
それは、まるでおれのいた現代に繋がる問題のように見えた。
「分国は不安定となりやがては滅亡しよう」
誰かの唾を飲み込む音が場に響く。しかもそれは頭に残って離れない。
「然らば、どうすると……」
丹羽さんの疑問に信長は小さく頷く。
「銭の安定には領土が必要」
「領土。九州やみちのくですかな」
「否。それでは足るまい」
さらに広大な領土なんて、あるにはある。だが、それは。
「まさか……」
「そうだ。義弟」
中々吐き出せなかった言葉は、信長が代弁するようだ。
「唐入り」
さも当然のように紡がれた言葉はおれの頭を揺らし、揺らし、離さない。
「われと中将と光秀と義弟で毛利を、三七と五郎左と秀吉で四国を、平定した後、義弟、秀吉、三七、五郎左、光秀で九州を平定し、唐入りの準備を致せ」
一気に西国を平定するつもりか。
「勝家と一益はそれぞれみちのくを平定した後、蝦夷地に兵を入れよ」
蝦夷地。北海道。つまり幕府は銭が安定するまで外征を行う。
「もう一つ。銭の流れを一時的にとどまらせるため、朝廷を焼き払う」
どういうことだ。
「人は、政情不安となれば銭を溜め込むもの、ですかな」
「そうだ。秀吉」
秀吉は顎に手を添え、唸るよう言った。
「光秀は義弟への援軍と見せて、朝廷を焼け。銭の流れをとどまらせている間、唐入りを執り行い、一時的な銭の安定をはかる」
「ならば、いつまでに天下統一を」
おれは、疑問を投げかける。顔に流れる汗は止まらず、喉を乾かせ、視界を狭める。
「半年」
信長は、当然といわんばかりに言った。
「この間に天下統一を果たし、唐入りを致す」
この先のことは覚えていない。気付けば外にいた。唐入りなど、成功するのか。秀吉がやった唐入りは見事に失敗したぞ。だが、それを上申するにも代案がない。確かにこのままでは幕府は座して死を待つのみ。だが、果たして唐入りは救国の道なのか。勿論、唐入りに失敗すれば幕府は滅亡する。
いや、そもそも半年で毛利や九州を平定し、朝鮮に出兵するなど可能なのか。
……くそ。ここまで幕府が追い込まれていたとは。
安土の町は夕焼けに照らされ、オレンジの町並みをおれに見せている。夕方だというのに、まだまだ喧騒は賑やかで、人の今日の営みは終わりそうにない。
「安土は見事だな……」
誰に言うまでもなく、ただぼそっとこの安土という町のことを呟く。
外征の理由が銭か。なら貨幣経済をやめればいいんじゃないのか。江戸時代のように、米を貨幣の代わりに導入し、貨幣だけではなく、米と貨幣の両立。
その為には、検地を行い度量衡を統一し、刀狩りをもって兵農を分離し、身分を固定。信長のいうように不入の地に入り、これを制圧。百姓を細かい掟でしばり、庄屋と村方三役の政で生かさぬよう殺さぬよう支配する。
これでいいんじゃないか。
信長に上申しようか。
いや。
これは信長のいう絢爛豪華なる世とはほど遠い。
切られるのがオチだ。
管領、大名といった地位も信長の胸三寸で終わりだ。
情けねえ……
おれは安土城を仰いだ。




