第150話 岐路
【天正七年 荒木信濃守村重】
わしに言わせれば。
小寺官兵衛なる男は優秀な部類に入る。あやつ自身が比べている山田よりも実のところ、小寺の方が優秀であるとわしは睨んでいる。
だが、あやつと山田の間には如何ともしがたい壁がある。
それは、余裕の差であろう。山田はその自らの強運を頼んでか物事を半分、見下しながら進める。
小寺官兵衛は一途さは認めるが、それ故に物事見えていない。
何度も全てを失ったわしにはわかる。宇喜多和泉のような不世出の悪党相手にあやつがどこまでやるか。
まあ、そこで小寺に余裕がでればそれはそれでいい。
一波乱あろう。
波乱あれば浮かぶ瀬もある。
荒木村重立身の道もな。
【天正七年 宇喜多七郎兵衛忠家」
「二度目はないぞ。七郎のう」
何故か思い出すあの時の兄。
備中を治めていた三村家との戦の中。わしは後詰めを任されておりながら、その時期をしくじった。
「申し訳ございません」
平伏するわしに、兄は鞘に収めたままの刀でわしの顔を一閃。転がったわしの顔を掴んで言い放った。二度目はないと。
わしは兄の異母弟である。だからかどうかは知らぬが扱いとしては他の家臣と同じである。
花房や長船、明石など重臣連中と同じであり、やつらはわしを御舎弟とは見ていない。仕方があるまい。わしは兄には遠く及ばぬのだから。
しかし小寺殿の言葉にもひっかかる。
「七郎殿こそ無二の御仁」
世辞であるとも見える。だが、どうにも小寺殿のあの顔は世辞を言ったようには見えない。
つまりはなんだ。
この山陽において山田殿の頼りとすべきは兄の宇喜多和泉守であろう。
いや、宇喜多すべてを含め、わしといったのか。
しかしどこかがひっかかる。
なんなのだ。小寺殿は何を思い、あのようなことを言ったのか。
【天正七年 斎藤内蔵助利三】
「頼もしき哉」
上様が、中将信忠公が甲斐の名刹である恵林寺を焼き払った、これを伝え聞いたわが殿は丹波亀山城の天守でこう嘆息した。
「しかし、殿」
殿は右目のみを動かした。
「信忠公台頭となれば、我らが権益が脅かされるのでは」
明智はその領地、丹波坂本大坂だけでなく寄騎の領地大和、丹後、和泉、河内という畿内を一手に任されている。つまりは畿内の権益、ことごとくが殿の手元にある。
どうやら、安土の右大将様はそれを認めているような節もある。しかし、本格的に中将様が天下を統べらばどうなるか。
当代の筆頭管領家である明智はその権益をすべて解体され、明智は一大名に落ちる。
いや、それならまだ問題はない。下手をすれば取り潰しもありえる。
「明智の行く末、畿内の権益、すべて瑣末〈さまつ〉なこと」
「ほう」
思わず感嘆の言葉が漏れる。幕府家臣団随一の権益を手に入れた男の言葉とは到底思えなかった。
「幕府は最大の岐路に立ちます」
どこか予言めいた言葉に思わず唾を飲む。
「岐路とは如何に」
「とやかく申すものではありません」
それだけ言うと、殿は目線を城下に向けた。楽市はにぎわっており、百姓も営々と田を耕し、茶を飲み、談笑する。勇ましい香具師の口上の断片も聞こえる。すべてこの明智日向守光秀がこの地にもたらしたものだ。
丹波亀山の城下が橙の夕焼けに照らされ、赤くなる。
「今日も天下が良く見える」
殿はそれだけ言うと、奥に下がって行った。
【天正七年 荒木信濃守村重】
夜。月明かりのみが世を支配するこの時間に、この因果から勿論、逃れられないここ御着に、小寺官兵衛はこめかみに手を当てていた。
「ようは備前美作の権益でございましょう」
「ふむ」
蝋燭の明かりが場を照らす。
「早う。夜半姫路におらぬとなると、大隅殿やその家臣らに何を言われるかわからぬ」
「そんなこと気になさる性根もでござらぬでしょう」
小寺は、悪戯ぽく笑った。それにつられてわしも笑った。
「言うわ。して首尾は」
「上々」
それだけで満足である。最早幕府の勝勢揺るぎなき今、多少の博打は許される。
「明後日、仕上げにかかるかね」
「明後日?」
小寺が訝しむ。
「山田が安土に呼ばれておる。出立は明後日。右往左往しながら献上する宝物を集めておるわ」
山田は乗り気ではなかったが。四国の羽柴や丹波の明智が放送を献上すると聞いて慌てて集めておった。
「しくじりなさるなよ」
「誰に言っておる」




