第147話 悪ふざけ
【天正七年 小寺官兵衛孝高】
面白くない。
それが最近の感想である。
以前の居城であった姫路は三層の天守を持つ管領に相応しき大城となった。
そのいかめしき姿が気に食わないのではない。
武田滅亡。それに鳥取の落城に伴う豪族の離反。それに有頂天になっている山田様が嫌なわけではない。
今の自分は何よりもほど遠い。
山田大隅守の軍師と言えば。
この問に誰もが但馬の沼田殿の名を上げるであろう。わしの名など挙げるものがいるのだろうか。
遠く東国では、滝川殿が勲功第一として上野、信濃二群の加増となり、北条を寄騎に与えられた。
さらに先鋒を務めた森殿は南信濃二十万石の加増。
天下の注目を集めるのは今やこの二人だ。
小寺官兵衛など、誰も気にしておらん。
御着の城におってもわしは変わらぬ田舎豪族にすぎぬ。
山田様はわしを大軍師になれるといった。だが実際はどうか。
鳥取では確かに策を立案した。だが、それだけか。
いまだ合戦はある。だが、この毛利戦で名を挙げねばならぬことは一番わしがわかっていることだ。
焦りだけがいたずらに積もり、目だけが曇り、かすみやがては空転の気負い、万事見通しが立たない。
わしのみであろうか。理想を求めておるのは。
この裏切り上等、非道御免の戦国で。かく言う通りわしも旧主を殺した身であるが。
「ふう……」
声にはならない溜息が場を賑わせる。やがてわしは目を閉じることにした。
「殿」
小姓が入ってきた。わしはそれを見る。
「如何した」
「はっ」
小姓は居住まいを正す。わしはじろりとそれを眺めた。
「荒木殿が参っております」
「なに」
荒木信濃守村重。三度山田様に立ちはだかりそして敗れ、元の鞘に収まりし武将。優れているがそれだけアクが強い。
「ともかくお通ししろ」
山陰山陽と同じく今のわしも十分混んがらがっている。
「荒木信濃にございます」
通された荒木殿は丁寧に畳に手をつき頭を下げた。
「これは荒木殿。拙者になにか用ですかな?」
相手は足軽大将と言えども、元は大名。こちらも居住まいを正さずにはいられない。
荒木殿はじっと目をふせたままだ。
大方、理由はわかる。自分に次の戦、先鋒の座を賜るようにでもわしに願いに来たか。荒木殿は是が非でも手柄が欲しいはずだから。
曲者よの。それはできないと言おうとした時荒木殿はゆっくりとその顔をあげた。そして笑う。
「小寺殿。拙者と悪ふざけを致しませぬか?」
何故だが荒木殿の顔がのっぺりと見えた。
「悪ふざけ?」
そしてもう一つの謎。わしは荒木殿のこの発言に興味をもってしまったのだ。
「場所を」
わしはそれだけ言うと、座を立った。ここ御着には田舎城ながら茶室がある。先主の藤兵衛様が作られた。
悪ふざけ。無論、言葉通りの意味ではあるまい。謀の類。
あまり好きではない。だが。
打開はせねば……
焦りはやがてわしの歩みを早め、姿勢は前のめりになる。遠く後ろを歩く荒木にわしの性根が見透かされる気がした。
ぬるりとした視線はその苦難の連続たる人生で手に入れれるものなのか。のう。荒木信濃守。
茶室は好きではない。単純に好みではないのだ。しかし今日は胸に少しの好奇心、いうならば興味が旧来の感情に打ち勝った。
「お心遣い感謝致します」
「で、悪ふざけとは?」
荒木は押し黙ったかと思うと、笑みを生やした。
「天下はいずれ織田のものとなりましょう」
「左様ですな」
武田を滅ぼし、四国もほぼ伊予、讃岐、阿波を制したと聞く。上杉も滅亡はまぬがれ得まい。残りは北条以外の関東勢、奥羽勢、九州勢だが相手ではないであろう。
「なら大隅殿は甘い蜜を吸うご身分となる」
大隅殿。この男は山田家を他家として見ている。
「ならその余沢にありつく大身は誰でしょうかな?」
「沼田殿か」
「いいえ。いますでしょ」
甘い蜜。嫌な表現をつかう者だ。いや。甘い蜜を吸う。欲深い大身。山田家に従う欲深い大身。
「宇喜多か」
「ご明察」
かっと荒木は笑った。
「宇喜多がおっては我らに栄達は難しくございまする。ならば宇喜多を追い落とし備前美作を空白にするべきかと」
「気でも狂ったか。備前美作空白と相成れば毛利がやってこよう」
「なら毛利を叩きまする。武功を稼げる」
「危険だ」
「博打とはそういうもの。某、負けまくりなれど博打の打ち方は存じております」
思わず笑った。確かにこやつは負けまくりだ。
「宇喜多追い落としはわし一人では無理。だからこそ小寺殿を頼った次第」
荒木は口角をゆっくりとあげ笑う。
「宇喜多を唆し謀反でも起こさせるか」
「ご明察」
けらけらと荒木はわらった。
「勝てるか。毛利宇喜多連合に山田は」
荒木はすっと右手を出した。
「瓢箪で鯰を抑えるには?」
有名な公案であるな。だがわしは答えを知らないししろうとも思わない。なるほど。
「知らぬ」
荒木が出した右手をわしも右手で叩いた。わかりそうでわからない。つまりなるようにしかならない。そんなものだろう。
荒木を見た。大きく頷いた。
「そうさ。やるしかねえんだよ。足りないものを取るにはよ。そうだろ?小寺殿」
お待たせして申し訳ございません。




