表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乱れしこの世で夢見たり  作者: 泰兵衛
第12章 甲州崩れ!!
147/157

第146話 春風

【天正七年 小山田越前守信茂】


 勝頼めが。有数の愚将が。ここに来るなど。


 あってはならぬわ。


 小山田家は信虎公により服従させられた家。別に武田家に恩義などもない。それに、勝頼など滅びて当然。


 しかし、ここでわしが勝頼を殺せば、主殺しの汚名を着るのは確実。それは防がねばならん。


「勝頼をけして岩殿に近づけるな」


「は、はっ」


 面食らったような家臣の走り去る背後を睨み付ける。


 小山田が武田を超える。これは当然のことよ。


【天正七年 真田安房守昌幸】


 武田も滅亡か。ふむ。信玄公の時代に改革を断行しておれば、幕府と肩を並べていただろうに。


 結局は山猿よ。信玄公がいてもいなくてもそれは変わらない。結局は。


 勝頼公も悪くはなかった。ただ時期が悪かったか。


 いや、戦国大名など結果がすべてよ。勝頼公は愚人。これでいい。


 せめて、安らかにお眠りを。武田家当主、勝頼公。


 我らは如何にすべきか。幕府に臣従だけはいけない。ここ岩櫃は要害。なら、幕府はありとあらゆる理由を付けて我らを殺すだろう。なら、方法はひとつ。


 北条に臣従する。


 北条は幕府に臣従しているからといって、結局は他家。それに何度も言うように岩櫃は要害である故、必ず幕府は北条より我ら真田を引き入れるであろう。


 本領安堵の餌を持って。


 真田はいずれ天下に名を轟かせる。そんな気がする。


【天正七年 武田大膳太夫勝頼】


 わかる。武田は滅亡する。


 北風が木の葉を払い、天に舞うように、形あるものが時を経て石となり、砂となり、やがては塵となるように。


 それは抗えぬ時の流れの中に、放り込まれた人間の定めに似ているものだ。


 織田はやがて、天下を一統するのであろう。それも人智には抗えぬ時の流れに流され、戻され、やがて食い殺す。


 その時、武田はどうなる。悪名として名を残すか。


 それは罷りならぬ。武田四百年は誰にも笑わせぬ。誹<そし>らせぬ。


 武田は、厳かに、荘厳に冷涼に霧の中に消えていく。そして人の記憶の中にのみその美しき幻影を見せる。


 それでいい。それがいい。


 武田すべての罪と咎はすべて、この身が請け負う。


「立ち去れい」


 岩殿の前で、武者が槍をわしらに向けていた。


 小山田。主も裏切ったか。何、あの坂祝から生きて帰ってきた者同士、わしから惜別の言葉を。


 どうなろうとて、その選択に後悔するな。


 後悔しなければ、おそらく何事も素晴らしい。


 まあ、届かぬ言葉だがね。


「天目山へ」


「勝頼様……」


 相模の弱々しい言葉は雪の中に消えていった。だが、確かに聞こえた。


 天目山。以前も武田信満公が自害した武田終焉の地。


 つまり、天目山で我らも死ぬ。


 女子供合わせて八十名程度か。武田の最後にふさわしき立派な面構えよ。


 わしのみが、武田にとっては災厄をもたらした。


「御屋形様」


 長坂が膝を着いた。


「いずれ、もうすぐで織田がこちらへ来るでしょう。ここで拙者が時を稼ぎます」


 暫しの沈黙が流れる。それは消して、寒さに震えているからではない。


「……長坂。奉行である主には苦労をかける」


「……はっ」


 せめて平時であったなら。平時であったなら。長坂は温厚篤実なる奉行としてその生涯を終えられたのだろうか。


 いや、それすらもわしはわからない。


 わしは歩みを始めた。それに皆が伴い、着いて来る。


 鎧兜に降り積もる雪はその重さを増す。だが不思議なことに、それでもこの歩みは疎かにはならなかった。


 既に後ろなど振り向かない。天目山へ。天目山へ。武田の終焉へ。


「勝頼様」


 後ろで声がした。


「もう、限界でございます……」


 その言葉が意味することはわかった。


 相模はまだ十五の女子。旅路は苦労が過ぎたのだろう。


「せめて、最後は……」


 相模の声は、途切れ途切れであった。けれど、いつもどおりのあの凛とした声であった。


「あなたの手の中で眠りたい……」


 聞くや否や、刀を抜いて相模の胸を刺し、腕の中に抱き寄せた。


 相模は笑っていた。それもいつもと変わらないあの笑顔で。


「もしかして、お前はわし以上に……」


 何も、考えず言葉が漏れた。


「はい……」


 相模は笑いながら、崩れ落ちた。この寒空の中相模を抱き寄せた腕だけが、やたら熱を持っていた。


 この感情の名を、既に知っているのだ。わしはきっと。


「行くぞ」


 しかし、それには名を付けるのはまだ早い。


 天目山の麓にようやくたどり着いた時、耳慣れた武具甲冑、旗指物匂いがした。


 雪の向こうのその奥、滝川家の兵がいた。一万程度だろうか。


「御屋形様。ここは我らに任せ、お一人で……」


「縁があれば、また……」


 わしは、背中を向けた。


 天目山の道を歩みながら、無駄と思いながらも自己問答を始めてしまう。


 すべてを失い、悪評だけを受けながら武田当主の道を行った。しかし、それは何故なのだろうか。


 わしが、武田当主だから。本当にそれだけなのだろうか。


 いいや、やはり考えるのはよそう。


 季節はずれの雪もやがては、止み、雪は水となって流れその水は太陽に照らされ、その輝きはやがて夜を照らし、朝を彩る。


 そして、ようやくわしは知るのであろう。やがて来る春風に吹かれながら。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ