第120話 高野山陥落
【天正四年 雑賀孫一】
信長は理解できないといたが、あれは嘘だ。奴が何を目指してるのかは大体わかる。まあ、確証はないが。
それは天下人、天下様を頂点に仰いだ社会の設立だ。
しかし、ここ紀州は違う。惣村が連合し、惣郷をつくりあげ惣郷が連合し、惣荘をつくり惣荘は惣村、惣郷、それにおれらみたいな土豪らが話しあって運営を話し合い、その惣荘五つが話し合い、代表を決めまたその代表のもとで議論をする。
それはまるで信長の求めるものとはまるっきり反対だ。
世の国を見ていると、大名を頂点としたありかただが、何故、それがここ紀州では根付かなかったか。
土豪の自立意識が強かったからか。それもある。交通の便が悪く中央のやり方が好まれなかったから。それもある。ただ最大の要因は違う。
みな、この中ぶらりんな状況を気に入ったんだろう。
おれの親父はそれをこうよんだ。自由と。
おれとよく似てどうしようもなかった親父だが言葉だけはよかった。ならおれは自由の為に戦う。
今回の信長は本気だ。以前は手を抜いていたのかもしれないが。死ぬかもしれない。いつになくおれは弱気だ。
この見慣れた雑賀川も無性に懐かしくなる。雨の日は氾濫し、やっかいだが晴れの日は穏やかで優しき顔を見せている。
そんなに大きくない雑賀川でも氾濫すれば凄まじい。それは勢力は小さく普段は鼻唄を歌い木の上で眠っているが、ひとまず怒れば、魔王を打ち負かす程度には強くなれる。
二度目はあるか。
そればかりはわからぬが、あると信じている。
ふいに、雑賀川はおれとそしてその横にりんを映した。
「むっ」
おれは、すぐに横を向いたがそこにりんはいなかった。もう一度、雑賀川を見ると、そこにはおれしかいなかった。
「へえ」
おれはあいつを求めているらしい。
自重気味に笑うと、おれはそこを後にした。
「浜手よりは織田右大将四万!山手より明智日向二万が寄せ手と思われるぞ!」
信長が浜手か。
「よし。増水しこれで信長を叩け。あとは五人一組となり敵を打っては下がり、それを繰り返し叩くぞ」
「頭領、上荘など三各荘、幕府に寝返りましたぜ」
「……まあいい」
それも、奴等の話し合った結果なら仕方がない。
「雑賀荘と十ヶ郷荘は幕府に抗うか」
「ええ」
「ふっ、相変わらず馬鹿者だね」
まあ、嬉しいが。
「りんは?」
あのうるさい奴がいない
「りんですかい?あいつは雑賀のお城で飯つくってますぜ」
そうか。全員で団結しなきゃ、魔王は殺せない。誰が天下様でもいい。だが、おれらの雑賀の自由だけは守ってやる。
【天正四年
織田右近衛大将信長】
「以前、上様が浜手より攻められた時、敵の策略にかかり敗北。なにか策を練らねばなりませんな」
五郎左が唸るような声を出した。
「浜手より攻めぬ」
「何か策がおありで?」
諸将の耳が一斉にわれに傾くがわかる。
「迂回し、高野山を落とそこより雑賀に乱入する」
「なっ。お言葉ですが、高野山は僧の聖地であり同時に犯罪者の収容所。これを落とせば治安が乱れることは必定かと」
道理はあっている。が、五郎左は間違っている。
「道はわれが切り開く。戦うことを諦めぬ。うぬらは何も恐れるな」
馬の腹を勢いよく蹴った。
「主君の後ろにあったとあれば末代までの不忠ぞ!進め!」
五郎左の号令一下、軍勢がわれに追い付こうと走り出した。
高野山は大きく、その深緑をまざまざとわれらに見せ付けている。
「堂は」
「あそこで」
その緑の頂点に小さく漆喰の建物が見えた。
「使者を送ってやる。高野山を通せとな」
ここ高野山も不入の地。案の定、使者は叩き返された。
比叡山以来か。聖地を焼くと言うのは。
「燃やせ。雑賀征伐の為に」
その一言で兵が殺到し、火を付ける。そこに合わせて騎馬が乱入する。
高野山陥落は時間の問題であろう。馬を進めていると、ふいに僧が目の前に来た。
「お、おおだ信長ぁ!どういうつもりだぁ」
戯れに聞いてやる。
「わしらはなぁ!武家の罪人なども受け入れてやっていたのだぞぉ!お前らが求めるから!その報いがこ、これかぁ!」
「邪魔だ。下郎」
槍で、着流ししか纏っていない胸を突き、そして抜く。無言で進めた馬の足に僧はあたり、山道の脇を転がっていった。
そこから先は知らない。死んでいても構わないし、生きていても関係ない。
【天正四年
斉藤内蔵助利三】
「先陣の筒井殿、苦戦!」
「……殿、出ますか」
雑賀衆は少数だから、直接ぶつけるのを避けておるようだ。五人一組となって、一度、火縄銃や矢を浴びせると、全力で逃げ、さらにはほかの組がでてくるなどというのを繰り返し、わしらの足を止めている。
「出る機ではありません」
殿は腰を据えて前を向いている。わしら明智軍は新たに丹波衆を従えている。丹波衆の心服を得るためにも負けられないのだ。
更に言えば殿は要地の坂本、丹波一円の大名。織田家にて一、二を争う御仁。だからこそ失敗は許されない。
「御牧に伝令。左に回れと」
「……はっ」
御牧三左衛門。丹波衆の一人で物頭だ。現在、後陣だ。それに何故。
「お聞きしても」
「ええ。雑賀がどこに潜んでいるかは大体、わかります。ならば、時を見て、取り囲み殺します」
「……時とは?」
単に、よい頃合いではあるまい。この殿のことだ。何か具体的なものを待っている。
「右大将様が雑賀を強襲するでしょう」
「……ほう」
殿の考えならそうなのであろう。
「後は、右の茂み、ですかな?」
「そうです。内蔵助、よくわかりましたね」
伊達にこのお方に長く仕えたわけではない。
【天正四年
雑賀孫一】
「織田右大将!一里(四km)先にあり!」
「なにっ!浜手は!」
「高野山を落とし、そこからです!」
高野山をだと。くそ。考えておくべきだった。しかし、この速さ、敵は恐らく眠らず、休憩らしい休憩をとっていないに違いない。なら、軍勢が乱れているはずだ。そこを狙う。
「一里先だな」
「はっ」
火縄銃をひっかついで外に飛び出し、そして木の上に登った。
きた。きた。
赤い南蛮マントに、黒い鎧に描かれている金の龍。それに鉄製の南蛮冑。
間違いない。
信長だ。
おれは火縄銃の縄に火を付け、信長の首に狙いを定めた。
あとは引き金をひくだけさ。
硝煙の嗅ぎ慣れた臭いが鼻をくすぐった。




