第114話 四十九年
【天正四年 宇喜多和泉守直家】
尼子出撃。それも死を覚悟したか。ならば、好機よ。
「新八郎」
「へい」
新八郎。姓などない。田舎の無頼漢であったこやつをようやく飼っていた甲斐がありそうだ。
「治部をやれ」
治部。かつて遠江を支配した今川治部大輔。つまり朝廷より遠江守の官位を賜っている浦上遠江の隠語だ。
「いよいよですかい」
新八郎はにやにやとした、いやらしくどこか迫力を感じさせる顔を見せた。
「成功し、生きて帰ってこれば一門衆として浮田の名字を与えよう」
宇喜多家では、功労のあり一門扱いするものには浮田の名字を与えるのだ。
浦上遠江守宗景。赤松より独立し備前を乗っ取った身でありながら、名門を気取り、あまつさえ諸太夫風の髷を結い、公家を気取りし貴様は、武士らしく切腹も、討死も、百姓が如く病死も似つかわしくない。馬の骨ともしらぬやつに暗殺され果てるがいい。
「へへ。ようやくあっしも武士ですかい」
一瞬、新八郎の目を見てすぐに空を見た。
「そうよの」
人を喰らい、にやつくわしも武士ならば、ここで死ぬであろう公家気取りの浦上遠江も武士だ。なら、武士とはなんぞや。
ふ。考えてもわからぬか。
「先陣に伝令を。退却しろと。宇喜多は尼子とは争わん」
「はっ」
伝令もわかっている。わが宇喜多のいく末を。
「さらばだ。お殿様」
嘲るような言葉は空に消えてやがて見えなくなった。
【天正四年
山田大隅守信勝】
「隅州殿」
「なんです?」
馬首を並べていた秀吉が、こちらを向いた。
「手ぶらでは帰れぬ。わしらも野口攻めに同行しよう」
「本当ですか」
ありがたい。だが、まだ三好が生きて跳梁跋扈してる状況で、秀吉にとってはほとんど益をもたらさないこの野口攻めに参戦してくれるのか。
「武士に二言はない」
胸を張った秀吉のその胸のうちを詮索するのはやめた。
こちらは二万の軍勢。野口は二千程度。だが、播磨への物資を供給していた野口を落とせば、直に播磨平定は黙っていても成る。
「攻め落とせっ!」
采を思いっきり降り下ろし、野口城の城壁を見詰めた。
【天正四年
淡河弾正忠定範】
見事、野口にひっかかったか。そのあいだに別所遺臣、僧兵が城に続々と集まってくる。
「さゆ」
「……春王丸様に白湯をもて」
春王丸様は白湯が好きだ。三歳児にしては素晴らしきことだ。
侍女のもってきた白湯を、一息で飲み干すと、春王丸様はこてんと畳に寝転がった。
「さゆさゆ」
「……これで最後にござりますぞ」
もう一度、侍女に白湯を持ってこさせると、春王丸様は白湯をじっと見詰めた。
「どうぞ」
驚いた。まさか、わしに手渡すとは。
「ありがたし」
そう言って、一息で飲み干すとふうと息を吐き、春王丸様の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「きゃっきゃ」
「武士はそう犬のように喜ぶものではございませぬぞ」
そう言ってもわからぬか。
自然に、口許がほころんだ。
【天正四年
上杉不識庵謙信】
……ほう。貴様が毘沙門天か。思うたより小さいではないか。
ふむ?神に対する言葉ではないと。知れたことよ。わしはこの乱世において軍神なる呼称をもって呼ばれておる。
ハッハッハ。それで満足するなとは。さすが、神に祭り上げられ、のんべんだらりと胡座をかき、神や仏と争わなかった愚物の言うことよ。わしは、戦の中で呼吸をし、戦の中で生きて、戦の中で立っていたのだ。常に戦は進化し、わしはその先へ行く。それはつまるところ、わが人生よ。
武田徳栄軒信玄、織田右大将信長。こやつらは天下を狙っていた。こやつらは毘沙門、主から見ればどう見える。
滑稽か。一瞬の栄華の為にあくせく働いておるとな。
ふむ。そこだけは同感かも知れぬ。所詮、天下などは一代限りよ。
なら、わしはどう見える。
更に滑稽と。何故だ。
……ふむ。確かにそうだな。姿さえ見えぬ完全なる合戦を求めているからと言ったか。
確かに完全なる合戦などは姿さえ見えず、声は聞こえず、足音もない。だが、気配のみは感じられる。そういうものだ。毘沙門よ。
ふん。所詮、わからぬままではないかと嘲るのもよせ。貴様は愚か者か。
もうすぐわしは見つけること能うのだ。完全なる合戦を。
数日。いや、明日か。ついにわしは見つけられる。
……毘沙門、貴様は何故、姿を現した。
……やはりか。わしを迎えに来たと申すか。
ふん。別に悲しくはない。ただ、合戦の残照を浴びているだけ。それだけのことよ。
わしは、極楽か。それとも地獄か。
知らぬことが多いの。貴様は。できれば地獄に参りたい。
悪人が堕ちる地獄にて、悪人を束ね、閻魔の首を取り地獄の王となりて、極楽の神や仏と戦いたいのだ。
わしらしい、か。貴様、ずっとわしを見てきたかの物言いよの。まあ、よい。完全なる合戦は地獄で求めようか。
酒を所望す。
……飲むなと。もうわしには酒すら飲むこと能わぬと。そうか。
一杯の酒ほどの人生。何を惜しむこともある。
わしは震える手で筆をとり、紙に辞世の句を書いた。
四十九年
一睡の夢
一期の栄華
一盃の酒




