第108話 平井山
【天正三年 山田大隅守信勝】
「三木城の城兵、ざっと一万を越えるとのこと!」
やはり城を固めてきたか。ふん。その先を見ていない。
三木を数ヵ月で落とすには内部から崩壊させる。
ある武将のところは申し訳程度に攻撃し、あるところは徹底的に攻める。こうするだけで疑心暗鬼が芽生える。ならそこで調略を仕掛ければいいだけの話だ。無論、こうもうまくいくとは考えていない。
だが、やるんだ。
「あの山に布陣するぞ」
小高い山を指差す。あそこに本陣を敷き三木を見下ろしながら攻めかかる。
「そういや」
あの山の名前を知らないな。聞いておくか。おれはここの土地に詳しいものに声をかけた。
「平井山か……」
なぜか名を唱えずにはいられなかった。
「かかり火は炊いておけよ」
大きな欠伸をひとつして、おれは皆に背を向けた。
明日、明日だ。もうすぐ訪れるであろう夜が明けたら、いよいよ最大の博打、三木攻めだ。
【天正三年 別所小三郎長治】
恐らく、山田は夜襲に気づけば逃げる。なら、そこでわしの馬廻りより選抜した五百の兵が襲いかかる。四千の背後に潜み、そこで退路を見極め次第、山田大隅に襲いかかる。
気付くまい。背後のわしには。
「馬には紙を噛ませ、嘶かぬようにせよ」
隠密に、秘密裏にこの夜襲は成功させる。
「時の声は先陣の叔父上の合図があるまであげるな」
刀を抜き、もはや必要無き鞘を捨てる。
それに触発されてか、四千の屏も刀を抜き、鞘を捨てていった。
「最後に」
馬上から、彼らの方向を向いた。
「恐れるな」
ほかに気が利く言葉など出てこない。だが、これだけでいい。そんな気がする。
「殿」
じっと、声を出した兵を見詰める。
「われら全員、この乱世に生まれたからには大きなことをしたいと願ごうておりました。このような機会を与えていただき感謝に耐えませぬ」
「そうか」
前方に雄々しく屹立する平井山に刀を向ける。
恐れるな。
自分で言った言葉が今更、身に染みてきた。
馬が、ひたひたと山を登る。地面に落ちている木の枝が踏まれて折れるたび、音がでる。
それですら、少し眉をひそめむっとするはめになる。
なぜ、こう博打を打ったのか。それはわからない。籠城策をとれば毛利、浦上と挟めたのだが。
だが、まあいい。
ふと、光が目に入った。誰の陣か。旗指物を探したが、やめた。誰でもいい。本当に誰でもいい。今から別所家はすべてを賭けるのだから。
さっと、叔父が右手をあげた。
「うおおおおおお!」
緊張を跳ね返すかのように大声を出すと共に、目の前の陣に兵が殺到していった。
【天正三年
山田大隅守信勝】
地鳴りのような音と共に、おれは飛び起きた。
別所の夜襲か。
寝起きの頭でもそれがすぐにわかったのは、幸運と言ってもよいと思う。
「伝令っ!高山隊、不意を突かれ大苦戦の由!」
「馬鹿野郎!高山部隊が突発されれば、本陣が襲われるぞっ!」
高山部隊の奥は本陣だ。
「鎧、冑を用意しろっ!」
馬廻りがおれの鎧、冑を持ってきている。
「くそっ。敵の数は」
「ざっと四千!」
「そうか」
本陣は三千。しかも右近も不意を突かれての大苦戦とあれば、救援に赴いても間に合わん。
ここは、他の部隊を信じながら、逃げ惑うしかないか。いや。
敵の不意をつかねばならん。
「他の部隊はどうなっている?」
「わかっておりませぬ!」
「……」
尚更だ。まずは行動。そして結果。しくじったらしくじったで終わるだけだ。
「出るぞ」
「まことですかっ」
助衛門がその巨体を狼狽させる。
「いいから黙って従えっ!」
顔がひきつっている助衛門に左手を大きくふって、思いっきり殴り付けた。その大きな肉体が転がる。
「ちったあ、目覚めたか」
「はい」
我ながら、信長みたいなことをしたものだ。だが、苦笑する暇はねえな。おれは、本陣に向き直る。
「別所小三郎を討ち取るぞっ!えいえい」
「おお!」
「いくぞっ」
馬の尻を強く叩いた。本陣の先頭に立つ。
「いけ!殿より後ろにあったとなると末代までの恥ぞ!」
一騎駆けとは清々しい。恐怖を通り越してむしろ清々する。
坂を駆け落りながら右手で綱を持ち、左手で刀を振りかぶった。
馬がヒヒンと嘶いた。
「死ねっ!」
刀を横に一閃した。侍ではなく、背負っていた別所の家紋である右三つ巴の旗が飛んでいった。
「まだまだであるなあ!」
そいつが刀を降ってくる。両手で刀を持ち直しそれを受け止める。
「調子に乗るなっ!雑兵風情!」
「なんと!では主は何者だっ!」
「山田大隅守だっ!ボケ!」
そのまま、頭突きをかました。冑にあたって大分痛い。
そのまま、槍が横から伸び、その雑兵が貫かれた。
「殿!なにやってるんですか!」
助衛門が顔中汗だくにしながら吠えた。
「知るか」
その雑兵はまだ息があると見えたので、首に刀を突き刺し、引き抜いた。
それにしても、吐き気を催すほどの劣勢だな。高山部隊はかなり押されている。
さて、おれは果たして生きれるか。




