第100話 小寺官兵衛
【天正三年 小寺官兵衛孝高】
心に決めていたものが2つある。
それは言わば、小寺官兵衛の生きるべき原則と言うべきもの。
ひとつは決して富貴を望まぬこと。
そしてもうひとつが手段を選ぶこと。
手段を選ばずに、この戦国でのしあがったものたち、例えば、斉藤道三とか、松永弾正忠とかは、凄惨なる最後を迎えている。
いや、それだけではない。
手段を選らばなければ、わしはわしでなくなる気がする。
手段を選ぶ、それはつまりは主君を裏切らぬこと。
確かに恩もある。だがそれだけではない。もっと別の、奥の深いところのもの。
「殿、某が裏切ると申し山田大隅を、誘きだしました。このまま迎撃致しまする」
「おう。頼むぞ」
「では」
そのまま、背を向けて退出しようとしたところ、ふいに呼び止められた。
「他の者等は色々申しておるがの。わしは官兵衛を頼りにしておるぞ」
「ははっ」
胸が痛む。この主君を裏切らねばならぬのか。そしてなにより二枚舌を用いるこの身が、何よりも嫌いだ。
わしは、二の丸の後ろに布陣し更にわしの後ろには部隊が布陣している。
つまり裏切り反転したら、この部隊に最前線として戦わねばならない。
十中八九死ぬ。この小寺官兵衛の原則を破るのだ。恐らく死ぬ。
もし生き残れば。
まだ天は、この身に新たな原則を見付よとの仰せか。
御着の二の丸へと続く道が、暗く遠く感じられた。
やるしかないであろう。
何のためにするのか、何がしたいのか。その答えすら持たずにわしは自分という存在を破る。
その先に何があっても驚かぬ。何があっても後悔はせぬ。
わしは、わしは……
その先の言葉を強引に飲み込んだ。
「戦の準備をせい」
じっと目を閉じ、口を固く結んだ。
◇
「山田大隅、兵6千を率い御着に進撃しております」
「6千か……」
摂津兵一万。内を但馬の沼田殿と姫路に置いたらそれぐらか。つまり他の播磨勢はこの御着攻めは
参陣していないのか。
だが、この御着がわずかな期間で落ちれば、山田殿につく豪族も増えるだろう。
「各組頭に触れを徹底させよ」
山田殿は二の丸に兵を集中させるはずだ。
裏切り、小寺藤兵衛の首を落とす。
先陣の弓組には前のわしのことなど気にせずに射つように伝えてある。
遠くに、一の一文字が見えた。
来た。
大量の兵が攻めかかってくる。
息を飲みながら、采を振り上げた。
「我らは、これより山田大隅守様に御味方致す!!」
絶叫しながら、采を降り下ろし踵を返す。
槍を手に取りかつての同僚のもとへ走り込む。
「おのれ!小寺官兵衛っ!やはり裏切ったか!」
そんな叫び声をなぜかこの耳は拾ってしまう。
目を閉じたかった。逃げたかった。だが、敵の前ではそれすら許されない。
「押し込めやっ!押せ押せっ!」
人よりもわしは見る目が多いらしい。たちどころに敵の手薄なところがわかった。
「突っ込め!突き崩せっ!」
そのまま山田軍と合流し二の丸を陥落させ、
本丸へと雪崩れ込んだ。
「ここで待て。山田殿のご家来にもそう申し上げよ」
藤兵衛様の部屋の前。確証はないがここに藤兵衛様はいる。そんな気がする。
二度三度、深呼吸をし襖を勢い良く開け放った。
やはり、にらんだ通り藤兵衛様がいた。だが、異なることに白装束だった。
「白装束をお召しか」
「……ああ」
わかりきっていることを聞き、わかりきっていた返答が反ってきた。
「お覚悟、見受けられまする。よろしければ不肖、官兵衛、介錯仕まつりまするぞ」
「まてい。わが話を聞け」
話。なんだ。命乞い、ではあるまい。藤兵衛様は老いたとはいえ新興の小寺をその才覚で大きくしたお人だ。
「話しとは……」
「わしがなぜ別所についたか、そのことよ」
「お申しくだされ」
そう言うと、ふっと自嘲気味に藤兵衛様は笑った。生来、このお人に自嘲癖など無かったが。
「怖かったのだ。幕府の、信長の歩む道が……」
すっと、引き出さした言葉はなぜか重くこの肩にのしかかってきた。
「たしかに、幕府についておれば安泰立ったのかもしれぬ。だが、その先は。その未来は。幕府の天下のもとに小寺はあるのか。いや、天下はどうなっておるのか。不安で不安で仕方がない。
ならば、変わらず別所につくのが気休めであろう……」
己の口が開かれ、カタカタと音を立てる。
わしは、間違っておったのか。ずっと、藤兵衛様は老いたと思っていた。愚人になったと思っていた。ただ、違う。違う。この先への不安など誰しもが持ち得る、言わば平凡なる悩み。
平凡なる悩みを持ちしものこそが、天下の礎であることなどわかっていたつもりであった。しかしどうか。そのことすら、平凡なる悩みですらわしは理解しなかったではないか。
平凡なる悩みを理解せずして、わしは何を成せる。成すことができる。
いや、何も成せないであろう。
ただのちっぽけで、驕り高ぶった尊大なる
愚人、それがわしの正体だ。
小寺を滅ぼしたのは、間違いなくわしだ。筆頭家老に引き上げてもらったわしだ。
「介錯せい」
「は……ははっ!」
藤兵衛様の浅黒い首筋に勢い良く刀をふりおろした。白髪が揺れ、血が辺り一面を濡らした。
◇
「小寺藤兵衛の首にございまする」
「……苦労」
山田殿の陣に単身、藤兵衛様の首をもって参る。
「それがし、小寺の姓を捨て黒田の姓を名乗りまする。最早何も無き身、この不忠者を好きにお使いくだされ」
平伏し、山田殿の言葉を待つ。だが、上から降ってきた言葉は意外な者であった。
「小寺を名乗りな」
「なっ」
思わず頭をあげようとしたが、頭を掴まれた。
目だけで上を見る。そこには穏やかな微笑を浮かべる山田殿の顔があった。
ふいに、一陣の風が吹いた。
「小寺と山田の間で、もがき、苦しみ諦めなかったらお前は大軍師になれる。必ずなれる」
「……」
いいのか。
「よろしいのですか。このような三流にございますぞ」
「おれの目に狂いはねえな。あと信用する。
小寺官兵衛の未来を」
「ははっ……」
涙をこらえ、もう一度頭を下げて見た地面は
滲んでいた。




