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鎌倉の翼  作者: 平良中
第一章 吉良の若殿
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-第八話- 元服を控えて

天文五年三月 磯子


 どたどたどた。


 「義兄上~!!義兄上~!!どこに行ったのですか~?!隠れてないで出てきなさ~い!!」


 これは参った。

 凶悪にして、慈悲のない恐るべき強敵がついに自ら姿を現したか。


 俺は堅固な陣地を構築すべく、常日頃から人気の少ない城の北側、今は使われていない寺の物置へと身を隠していた。


 「ゆ、夢様……と、殿は見つかりましたかな?!」

 「見つかんないよ~!まったく義兄上ったら~!!」

 「さ、左様でございますか……。し、しかし刻はあまりにも残り少ないもので御座いますぞ!明日には殿の元服が行われ、その流れで吉良家の家督継承が行われまする……。そのためにも、殿にはその儀の流れの再確認と同時に身を清めるための諸々の儀式が御座いますれば……」

 「あ~、もうわかってるってば爺!とにかく、こっちに義兄上の気配は無いから、今度は寺町の方へ行ってみるよ?!」

 「は、ははっ!!」


 どたどたどった!


 足音が遠ざかる……。


 ふぅ、危なかった。


 幾ら逃げ足に定評のある俺だとて、どうしても敵わぬ敵将というものがこの世に幾人かは存在する。

 その筆頭は伯父上だとて、此度の追手、義妹のゆめと世話係の久木ひさぎの爺もかなりの上位に位置する猛者どもだ。

 この二人は、俺が磯子に来た折からの付き合いだけに、俺の思考をよく知っており、その読み筋は非常に正確。特に、此度のように狭い範囲に隠れ潜んだ俺を追い立てる作戦は秀逸なものなのだ……。


 いや、何。

 俺も此度は逃げてばかりいられぬのだとは理解している。

 いくら堅っ苦しい恰好をさせられ、面倒な仕切りを覚えさせられ、気に食わん匂いの香を焚き染められたとしても逃げられない仕儀だということは理解している。

 ああ、髷げ油の匂いも嫌だな……いや、そうじゃない。


 俺は吉良家を継がねばならない。


 それが俺の生を見逃している主家、北条家の意向であり、大望を志す伯父上の策なのだからな。

 形ばかりの当主、城主なれど……いや、ならばこそ、その責務は果たせねばなるまい。


 だが……、何故ゆえにそのような面倒事を背負わねばならぬかが疑問だ。


 俺は伯父上に様々なことを学んだ。

 母の生家である相模守護三浦家の悲願、母の苦しみを見殺しにした実父である小弓公方への恨み、自分達の生を繋ぐためとはいえ、鎌倉の社に火をつけることを提案してしまった幼いころの罪。

 そのどれもが、吉良家の名跡を継ぎ、この吉良家そのものを足場にして、更に力を追い求めなければ果たせない宿業。


 十七の俺には重すぎる宿業だ。


 これがせめて、そう、せめて母上が生きていて下されれば、その幸せの為に奮起しても良いと思えたのだが……。母上は鎌倉より磯子の城、館に移ったことで、それまで張っていた気が緩んだのか、風邪をこじらせそのままに眠られてしまった……。


 ぶんっ、ぶんっ!


 いかんな、このままでは昏い考えに心の底まで染まってしまいそうだ。


 ぱちんっ、ぱちんっ、ぱちんっ!


 左手を胸に立て、右手で人差し指を大きく弾く。

 伯父上に学んだ、真言宗の祓いの一つだ。


 母上が亡くなったとて、俺にはまだ家族がいるのだ。

 伯父上がいるし、伯父上の養子となった夢もいる。

 鎌倉からわざわざ伯父上に仕えに来てくれ、俺の世話係となった久木の爺もいる。


 それに、磯子に移り住んでより、伯父上が心血注いで発展させてきた磯子の町のこともある。

 内海沿いを江戸から浦賀まで結んだ新街道の宿場町として栄え出したこの町、俺はこの磯子の町が大好きだ。

 つらい思いしかなかった鎌倉より、俺にとってはこの磯子こそが故郷であると思えるものな!


 よし!


 ぱちんっ!


 俺は決心を一つすると、物置の戸をそろりと開け、館に戻る……前に宿場町へと足を延ばすことにした!


 ……

 …………


 「さぁ、らっしゃい!らっしゃい!朝獲れの魚が目白押しだ!どれも活きが良いからな!早いもん勝ちだべ!」

 「おっと、お客さんはお二人さんかい?!炊き立ての飯と汁の準備は出来とるよ!肴が欲しけりゃそこいらで買ってきな!一文つけてくれりゃ拵えてやるさね!」


 磯子の町は内海の物が集まる杉田の湊の宿場として栄えている。

 磯子も杉田と同様に海に面した町ではあるのだが、湊としての機能は杉田に劣る。

 海の深さと海底の岩の有無などがその理由なのだそうが、俺はいまひとつ納得していない。

 納得してはいないが、現に磯子より南に一町ほど行った杉田の方が湊としては大きいのだ。


 なんにせよ、この姿はそのままの物として理解しよう。

 杉田の湊は大きく、倉や運送人足の待機所などが建ち並び、代官所が万事差配を行っている。

 この代官所も港と同様、焼け落ちた鎌倉の再建をするために関東中から集められた木材の集積所として発展した。

 最近ではだいぶ規模が小さくなった、らしい。伯父上が言うには、一番物が行き交った時には五万人を超す人足が集まっていたのだと……。

 そんな経緯の由縁か、今でも内海の物品は杉田に集まり、玉縄城下を通って相模の各地へと送られる。


 ぐぅぅっ。


 朝も早よから追手を撒いてきたので腹が減っている。

 腹が減ってはいるが、如何せん銭の用意が心許ない。

 懐には数枚の銅銭を忍ばせてはいるが、宿場町の飯屋で俺の胃袋を満足させる程の重さはそこにはない。

 そもそもがお飾り城主の手持ちなど雀の涙も良いところなのだ。

 ただ有難いことに、北条家へ直接に税を納めている磯子城領内では食い物には困らない。

 城に帰れば満足いく量の飯が食えるのだ。

 聞くところによれば、北条家が直接に税を集める土地ではないところは賦役が厳しく、諸将は等しくすきっ腹を抱えるのだと言う……。


 税の取り立てを主家に任せれば飯が腹一杯に食え、税の取り立てを自分から行えば空きっ腹を抱える。

 なんとも嫌らしい北条家のやり方だ。

 主家の目が行き届く本領近くの相模や伊豆ならば、税の取り立てを主家に任せ、賦役の負担を減らすことも叶うであろうが、遠隔地の者たちは辛かろうな。

 遠ければ人手は足りず、結果貧乏くじを引かされるというわけだ。

 武蔵の諸将達が北条軍が引き上げれば即座に反旗を翻すのは当たり前であると言えようものさ。


 ぐ、ぐぉぅぉぉぉ、ぎゅるるるぉぅぉんっ。


 い、いかん……もはや物の怪の類かとでも言わんばかりに腹の虫が鳴ってしまっている……。


 「うぉぉ!坊主、凄い音鳴らしてるな!」


 どうやら俺の腹の音は傍から聞いても物凄いものらしい……。


 「へっ!親父!俺の腹の虫は生半可じゃねぇってもんだべ!」


 ことさら自慢気に、俺は声をかけてきた店主に返事をしてやった。


 ああ、腹減った。

 そろそろ館に戻るとするか……。

 苦手な仕草が目白押しだろうが、空腹のままに町を彷徨うよりはましかも知れない……。

 あ、空腹の所為で涙が出てきた。


 「確かにな……っと!やや!!こ、これは……」


 ん?

 俺は店主の反応が他所のものとは違うと思い、改めて店を眺め直す。


 ……うむ、というよりも初めから気づくべきだったな。


 「旅籠鶴の屋」……伯父上が愛用している店だった。


 「わ、若殿様!な、なにを為さってるんで?!明日は大事な日だと聞いておりやす!……中のお方に気付かれる前に早めにお戻りなさい!」


 小声ながらも必死さがよく伝わる声で俺を叱り飛ばす店主。


 はははっ、中々に器用な真似をするもんだねぇ……。

 って、あれ?

 中のお方??


 俺は思いっきり首を傾げた。


 「翔千代か……どうしてこんなところにおる?今日は一日中館で明日の準備をしておるのではなかったか?!あ?!」

 「お、伯父上……」


 首を傾げている場合じゃなかったね。

 「中のお方」で気づくべきだった……俺は踵を返し、全速で走り出そうとしたが……。


 「待て!こっちへ来い!!」


 伯父上の一喝に勝てる筈もなかった。


 ……

 …………


 俺は首根っこを伯父上に摘ままれ、借りてきた猫よろしく、鶴の屋の奥座敷へと連れていかれた。


 「説教は明日以降の時が空いた時にするとして、今日は何も言うまい。城に送り届ける前に飯だけは食わせてやる。……食い終わったら急いで明日の準備に取り掛かるのだぞ?良いな?!」

 「は、はいっ!」


 俺に否という選択は無い。


 「はっはっは!これは明日を前に面白いものが見れましたな。磯子の鬼義村と呼ばれる義村殿とて甥御には甘いということですかな?」

 「宗哲そうてつ殿……勘弁して下され。某も甥には甘いと自覚はしておりますれば……と、翔千代よ。ご挨拶せい。お前は初めて会うことになるが、こちらが北条の殿の弟御、箱根神社の別当、宗哲殿だ」

 「こ、これは。……は、初めてご挨拶致します。吉良頼貞が猶子、翔千代丸で御座います。以後、何卒お見知りおきのほどを……」

 「これはどうもご丁寧に。拙僧は箱根神社の別当を務めておる宗哲という者です。以後良しなにな」


 箱根神社の別当。

 北条家当主氏綱の弟で、その信頼厚き武将、北条長綱か……。

 対甲斐武田、対扇谷上杉、その戦の全てにおいて一軍を必ず率い、北条一門衆として前線を支える武将だ。

 伯父上の直の将として、その名前と功績の数々は聞いている。

 無論、「伊勢家」の一門としても……。


 しかし、宗哲殿は四十辺りといったところなのに何といった落ち着き様なのであろうな、これが大身として東国支配を企む北条家の一門衆の姿ということか……。


 「はっはっは!翔千代丸殿は酒も肉も平気で食らう生臭坊主をその目で見るのは初めてですかな?」

 「いえ、そ、そのような……失礼しました!」


 俺は恥じて顔を下げた。

 いくら何でも無遠慮が過ぎてしまったようだ……。


 「何、気にしてはおりませんよ。……さて、こうして明日に先立ちお会い出来たのも神仏の思し召し。ここはひとつ、何かしらのえにしを結ばせていただきましょうかな」

 「は、ははっ!」


 ……縁言うても、すでに宗哲殿は俺の烏帽子親となることが決まっていたんじゃないか?

 吉良家当主の烏帽子親、蒔田衆の実質的指揮者として既に内外に喧伝したようなものなのでは?

 これ以上、何を俺に課そうというのだろうか?


 「まず……吉良の家督を継いだとして、翔千代丸殿。居城はどこにするおつもりで?」

 「居城……ですか?それは磯子城以外にどこに移れば?」


 質問の意図が読めないな。

 俺は磯子の町が好きなんだ。ここから移る気はないぞ?

 特に義父殿の居城の蒔田城なんぞ住めたもんじゃない。

 田畑に囲まれた城だとは言え、山の反対側では海も眺めることは出来ない上に、俺のことを毛嫌いしている義兄弟や義母がわんさかといる場所じゃないか?!

 自分から寿命を縮めに行く愚かさは持ち合わしてないからな、俺は。


 「ほう、それはそれは……。吉良家を継いだ貴方は、その気になれば世田谷殿にも蒔田殿にもなれる筈ですが、それでも磯子の小さな館に住み続けると?」

 「ええ、私はこの磯子の宿場町が好きなのです。海と山と煩い人足達と商売人たちとが……」


 馬鹿正直に「自分の命が惜しい」とは言わないが、それ以外で本当の気持ちを包み隠さずに口にすることにした。

 相手は百戦錬磨の武将様だ。

 本心からの言葉以外では届かぬであろうし、最悪「用済み」の烙印を押されてしまうかもしれないからな。


 「ふむ……なれど、吉良家の所領を支える収穫は蒔田城や世田谷城で集められますぞ?兵と米は魅力的には映りませぬかな?」

 「魅力的ではありますが、それ以上に私にはこの内海と新街道が齎す人の流れこそがまぶしく映ります」

 「ふむ……今少し細かく教えていただいても?」


 そういわれ、俺は伯父上の方を見てどうすべきか助言を求めた。


 「……お前の思うままをお伝えせよ」

 「はい」


 伯父上は静かに目を閉じてそれだけを伝えた。


 「私は鎌倉で生まれ育ちました。そして、鎌倉の歴史を学んだのです。鎌倉が幕府として機能した理由、それは決して作物の実りや兵の集まりなどではありません。それは、人の流れです」


 俺は胸を張ってそう宣言した。

 本編開始とともに、本作の主人公である翔千代君の視点で以後の物語が進みます。

 吉良家乗っ取りの旗頭として利用されてきた翔千代君がどうやって戦国の世を生き抜くのか、乞うご期待ください。<(_ _)>

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