表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/76

076、狩人と狩人

 数美は錐雪に手を伸ばし、途中で引っ込めた。

 迷いがあった。安穏と、彼に救出されて良いものかという。創が立ち上がり、そんな数美の肩を優しく押し遣った。錐雪が無言で創を見て、それから改めて数美に手を伸ばす。今度は数美も錐雪の手を取った。まるで市松人形のような、らしくない数美の振袖姿は、敦人の趣味だろうと断じる。


「もてなしはまだ十分ではない」

 

 錐雪は声の主を振り向く。篠蛾敦人。異能の王たる素質を持つ男。はぐれた狼、哀しい鬼。猩々緋王を抜刀する。途端、迫る業火。敦人の異能の一つだろうと察しをつけ、炎を両断する。


「かどわかしておいてもてなしとは、笑わせる」


 錐雪は数美をαに託すと、敦人に真っ向から対峙した。これは狩りではない。どちらも狩る側の人間同士の戦いである。創は、下手な手出しは錐雪の邪魔にしかならないと察した。数美が無事であれば、今は良しとする。

 敦人は顔にはっきりと不快を表していた。四方から錐雪に目視不可能の刃が襲い掛かる。これら全てを錐雪は猩々緋王でいなしてのけた。再び、業火。これをαが消火する。上がる水蒸気。数美は、守られるだけに耐え切れなかった。


「肉よ、肉よ」


 敦人の頬が裂ける。肩が裂ける。

 しかし敦人は、数美には笑みを見せた。そのことに数美はぞっとした。この男は異常だ。異質の中の異質。不変の中の変。見えぬ刃は数美をも襲う。それを錐雪が弾いた。水の本流が溢れる。αの能力開放だ。


「肉よ」

「logの2の8」


 数美の声にすかさず創が反応する。今は手出しするべきだ。敦人がそんな創を興味深そうに眺めた。両腕から出血しているが、動じる様子はない。なぜなら、これは過去にも彼が体験した攻撃だからだ。あの時は亜希がいた。亜希の能力が創に譲渡されたゆえの現状だろう。弾けろ、と言うのは容易いが、それではあの時の再現で、敦人にはつまらない。彼は片頬を掻くと、αに視線を向けた。水使い。消すか消さざるか。敦人には全てが遊戯の延長線上だ。その一瞬の、言わば遊びの隙を錐雪に突かれた。

 猩々緋王がくるりと回る。空間が開けて、数美と錐雪がここから離脱しようとする。


「α! お前も来い」


 創の目には、αが一瞬、逡巡したように見えた。彼は創の腕を掴み、ぐい、と引っ張った。錐雪の作った円内に気づけば立っている。待て。もう少し、ここに用がある。創は言おうとしたが、ここまで表立って敦人の邪魔をした以上、それはもう不可能と判断した。

 少年たちが消えた空間を敦人はぼんやり見ている。やがて配下の人間が押し寄せ、敦人の衣服を脱がせ治療を施す間も、彼は珍しくされるがまま、忘我の体であった。


 これら一連の出来事を、把握する人間は把握していた。


 美里は統監府監察課で書類の束をひらひらと動かしていた。そうすることで、彼は書類内容を瞬時に把握する。サヴァンにも通じる、美里の特技だ。一方で青鎬たちの申し立てを、美里は思案していた。43の苦悩を知る身として、おいそれと彼らの要求には応じかねる。死者を蘇らせたい人間など五万といる。そして、一度、例外を許せば最後、雪崩のように我も我もと人が押し寄せる。秘匿することは非常に困難である。神に等しい力を持つ異能者は、幸せからは程遠いというのが美里の持論だ。2と3の末路を見ろ。そして置いて行かれた1の境遇を思え。何が幸いするかなど、他人に推し量れるものではないのだ。

 美里は溜息を吐いて書類を宙に放り投げた。舞い散る紙、紙。

 その向こうに分厚い黒縁の眼鏡を掛けたおさげ髪の女性。少女にも見える童顔の、地味な容貌。美里が憐れんだ存在。守ってやりたいと願う相手。それでも。美里の艶めく唇が動く。


「それでも貴方は良いと言うの?」


 彼女は、沈黙の後、頷いた。


「吉馬さんは、優しい人でした」

「解っているのかしら。そうして、貴方が〝優しい人〟たちをこの世界に戻せば、今、辛うじてある安寧が脅かされるということを」


 神楽(かぐら)? と、美里は尋ねる。

 (はる)日原(ひばら)神楽(かぐら)。43番の能力者は、再び頷いた。


 ずっと寂しかった。

 神楽の能力は発覚されるや否や、両親の懸命な隠匿により、庇護された。

 それでも露見の時は来る。

 統監府は神楽を放置しなかった。43の獲得は、数学統監府の至上命題の一つだったのだ。重鎮の蘇りを強制させられ、神楽は心を病んだ。能力が自由に扱えなくなるや、統監府は彼女をそれまで以上に束縛して幽閉した。美里が、彼の持てる限りの権限を行使して彼女を助け出すまで、神楽はおよそ人らしい扱いを受けなかった。美里の気遣いも、当初は疑惑の対象だった。やがて美里の人間性を確認し、彼女自身も人間性を取り戻し、ようやく摂食障害も快方に向かった。催馬楽吉馬の存在も大きかった。彼もまた、美里の後押しをすることで、神楽救出に動いた人間だった。死んだと聞かされた時は、余程、蘇らせようかと考えたものだ。それを止めたのは美里だ。一度、その異能を使えば際限がなくなる。美里の言い分は尤もで、神楽は悲しく故人を偲んだ。

 だが、時は動いた。事態も。蓮森征爾の娘の親友である完全数の死。

 青鎬と凍上の想い。いつまでも、美里の庇護下で安穏としていてはいけないのだと、神楽は歩を進めることを選んだ。


「完全数の少女を生き返らせます」

「駄目よ!」


 美里の制止は悲鳴じみていた。


「それをすれば、貴方の」

「良いんです、東雲さん」

「……何も良くはないわよ」


 ぎり、と唇を噛む美里を、神楽は少し悲しそうな微笑を浮かべて見遣った。


 錐雪が繋いだ空間は、数美の部屋だった。敦人との攻防の際は聴こえなかった蝉の声がわんわんと木霊する。密閉した室内は気温が上がっている。

 少女の甘い空気満ちる部屋に、男たちが降り立つ。出来れば、錐雪は別の場所にしたかったが、これが数美を送り届ける最善だった。家にも、日常にも。


「錐雪、有り難う」

「ううん」

「創……」


 創は、複雑な色の目をしている。彼の立場を鑑みれば無理からぬことだ。だから、数美は創の服の袖を掴んだ。


「創も、戻って来てくれて有り難う」


 それは、数美の宣告だった。創を許す、という。帰還を望む、という。冷房をオンにしてから数美は身を翻し、部屋から出た。塔子に無事を知らせる為だ。


「早く戻るぞ、π」


 αは、数美の部屋を居心地悪く感じている。彼の好むものは、もっと粗野で荒っぽい。この空間は穏やか過ぎる。


「もう少し待ってくれ、α。塔子さんのもてなしを受けてから帰っても遅くない」

「悠長だな」

「数美を取り戻した」


 強い、紫の光。

 創は羨ましいと感じた。裏も表もなく、愛する少女を守れる立場にあり、尚且つ彼女に愛される錐雪を羨望の眼差しで見つめた。紫水晶はそれに静穏な感情を乗せて返した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=135533523&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ