069、統監府カーニバル
πは白いコートをばさりと翻した。薄手の麻で織られたコートは夏でも左程、苦痛とはならない。朱塗りの鞘が艶光る。
「さあ、始まるよ。これは俺たちのカーニバルだ。統監府を舞台に踊ってやろうじゃないか」
若いリーダーの頼もしい言葉に、xたちはそれぞれ頷く。πは猩々緋王の切っ先でくるりと円を描いた。円の繋がる先は統監府の地下6階。番号1、2、3が眠るところだ。
「遅かったな」
傲然と言い放ち、πたちを出迎えたのは砂嘴楠美。黄金の腕が、神話の女神を連想させる。早良波羅道、大山田大二郎もいる。青鎬を欠いた一課課長と班長が揃い踏みだ。それもその筈、眠る男女は統監府にとって秘密の花園への鍵だからだ。砂嘴が金の鎖を振り回す。πたちは三々五々、散る。元よりそうした手筈になっている。
「黒の9、作動」
カレンの声と同時に室内が暗闇に包まれる。
この闇は厄介だ、と砂嘴たちは思う。物陰に潜んでいた凍上は、1、2、3を目覚めさせるタイミングに迷っていた。単純な情報の伝達不足だ。πが来るより先に、彼は眠る男女を目覚めさせる積りだった。だが、砂嘴の占いはそこまで精密ではない。まさか白昼堂々、奪いに来るとは計算外だったのだ。また、彼らを目覚めさせて後、尾曽道に説得してもらうという目算もこれで泡となった。今の彼に出来ることは、氷の銃で行う砂嘴らの援護射撃くらいのものだった。
早良波羅道は無謀だった。
「斬斬、斬斬!」
「こら早良、私たちにも当たるであろうが! めくらめっぽう攻撃の刃を放つでない」
「自己防衛してくれ」
「鎖でぶん殴るぞ」
「にゃあ。面白い人たちだねえ」
この声の主が、空間を暗くしていると凍上は察するが、だからと言って打つ手は思い浮かばない。ただ、時折、砂嘴の黄金の鎖がこの闇の中でも煌めきをちらちらと放っていた。πたちには室内の様子がよく見えていた。カレンの能力はそういう能力だからである。男女が眠る棺のようなカプセルに近づく。ロックがかかっている。当然予測出来たことだ。早良の刃がπの頬を掠めたが、まぐれ当たりに動揺せずロック解除の番号を打ち込んだ。番号は事前に知らされていた。πのパソコンに、正体不明の相手からメールが届いたのだ。πは万に一つの可能性に賭けることにした。ボタンを押す指が微かに震える。そんな自分を叱咤しながらπは暗号を押していった。
プシュ、と間抜けな音を立てて、カプセルのロックが解除された時には、思わず吐息をついていた。
xが中の人物を抱え起こす。次は隣のカプセルだ。
ロック解除に向かおうとしたπの身に鎖が巻き付いた。
「そこだな? πであろう。愛しい私の泥棒鼠」
舌なめずりせんばかりの喜色に溢れた声に、πは不覚にもぞっとした。猩々緋王でも断ち切れない黄金の鎖は、徐々に締め付けを強くしていった。その金鎖を溶かしたのが、Ωの生んだ毒の花だった。急に対象物を失った鎖は力なく地に落ち、砂嘴はたたらを踏み、同時に唇を噛んだ。
「お姉さん、美人なのにおっかないねえ」
「黙れ、コソ泥がっ」
Ωの揶揄に砂嘴が吠える。
やれやれと大山田大二郎が右手を上げた。
「今日もみんなラッキーかい?」
大山田大二郎の手の平には7の文字。青鎬とは反対に、ラッキーセブンなどと言われる縁起の良い数字である。777の番号持ちも統監府に在籍するが、やはり数字が若いほうがその効能は大きい。xが〝偶然、何もないところでこけた〟。πが〝偶然〟コード入力を仕損じた。カレンの能力が不具合を起こし、室内が一気に明るくなった。
「改めてこんばんは、泥棒一味の諸君」
大山田大二郎は自身の上げた成果に、面白くもなさそうに口を開いた。
数美はこの光景を部屋から視ていた。後ろには冴次が控えている。今にも飛び出して統監府に向けて走り出しそうな彼女を、柔らかく押し留める。
「πどのは負けませぬ。信じて待たれませ」
「ああ……。解っている」
言葉とは裏腹に数美の声は不安に揺れている。
駆け出したい。今すぐ、統監府に行って、πを助けたい。〝今の自分ならきっとそれが出来るのに〟。脳裏に浮かぶのは父のことだ。だから、辛うじて自分を制することが出来る。数美の現在の行動は全てそこに帰結する。
また一つ、カプセルの蓋が開いた。
「凍上薫。どこかにいるんだろう。君には彼らを起こして欲しい」
大山田の異能への驚きから素早く立ち直り、πは冷静な声を出した。
「それは統監府長官・尾曽道哩の望むことでもある筈だ」
「…………」
凍上が静かに物陰から出てくる。
「何だと。おい、凍上。どういうことだ」
喰って掛かる砂嘴に、凍上は強いて落ち着いた視線を向けた。
「確かに。πの言う通り、長官から指令を受けました。1、2、3を目覚めさせるようにと」
「莫迦な。それが本当だとして、なぜ今なのだ」
「完全数の少女が一人、死んだことが引き金になったのではないかと。長官は森派閥を警戒しておられます」
森派閥。
その言葉が出たところで室内にそれまで以上の緊張が走った。
「彼らはその過激な思想から、人民を蔑ろにする方策をとろうとしていたと。1と2と3を計略に嵌め、そして俺が彼らを眠らせるに至った。しかしここに来て森派閥は力を増してきている。彼らを抑えるには俺が眠らせたトップ3が必要だと」
「それが統監府の言い分か」
光る眼で凍上を見据えたのはπだった。
「俺は信じない。一度、人を裏切った奴は二度、裏切る。1も2も3も、俺たちで保護する」
「π君。けれど君たちでは彼らを起こせないだろう?」
「有栖先生がいる。きっと起こしてくれる」
「……余り彼女を巻き込むものではないよ」
「なら! 今ここで、彼らを起こしてくれ、凍上薫。貴方も尾曽道長官の意向に同調したからここにいるんだろう」
「なあ。お前らだけで話を進めるな。金髪坊主。πだったな。ここに眠る奴らは皆、うちの職員だ。解るか? 俺たちの管轄であり、お前たちが手出しすることではないんだよ」
苛立った口調で早良が割って入る。
「凍上薫。貴方はどちらに就く?」
「……どちらにも。俺は長官の指令を遂行する。即ち、自らの手で凍らせた彼らの眠りを覚ます。そして、尾曽道長官の思いを伝え、彼らの意思に則って動く」
チッと砂嘴が舌打ちするのが聴こえた。解っている。自分でも呆れる程、甘い理屈を述べている。彼らが尾曽道さえ警戒していることも知っていながら。自分に説得するだけの弁舌が出来るのか、砂嘴の舌打ちを鑑みるだけでも明らかなことだったのである。




