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053、ひとりぼっち

挿絵(By みてみん)

 昔、あるところに神社がありました。切り盛りしていた神官一家は、両親とその幼い子供。神社は地域の人の厚い信仰を受け、神官らもそれに応えるべく祭事を執り行っていました。しかしこの神官一家には秘密がありました。一人息子の男の子・初音が異能を持っていたことでした。まだ旧弊な開けていない土地柄のことです。異能を持っていること、それを使うことを両親は初音に秘し、禁じました。ある時、神社の近くで火事が起きました。氏子の家が焼けています。初音はこれを見過ごすことが出来ませんでした。彼の異能の属性は水。鎮火の為に、彼は両親の制止を振り切り、現場に駆け付けると刀を振るいました。火はみるみる小さくなって、初音は鎮火に成功したことを確信し、後ろの、家から逃げ出た人たちを振り向きました。

 そこにあったのは猜疑、畏怖の眼差し。

 小さな村のことです。初音の家は村八分に遭い、両親はそれを苦に、自殺しました。初音はそれ以来、人というものを信用しなくなりました。初めて同胞だと思えたのは篠蛾敦人と名乗る青年でした。彼は初音の全てを肯定し、お前は悪くないと言ってくれました。初音の、暗く閉ざされていた道に光が射したようでした。それ以来、彼は敦人の為に働くようになりました。それが両親の供養になると信じて。


 青鎬の腰骨を切り裂いた時、初音の中に一点だけ曇りが生じた。彼は音叉を死なせまいと必死だった。自分の命と引き換えにでもそうしようとしている有様が明らかに見て取れた。だが、それが何だ。どうした。全ては敦人様の為に。目まぐるしく考えていた初音は気づかなかった。自分の背後に金色の少年が降り立ち、刀の切っ先を自分に向けていることを。は、と振り向いた時には遅かった。これが凡庸な遣い手ならば違っただろう。しかしπは、凡庸とはかけ離れていた。袈裟懸けに猩々緋王を一閃。

 初音がどうと倒れた。


 πと、それからxが事ここに至るまで様子見していたのには理由がある。彼らは、あわよくば統監府側と異能の王を名乗る敦人側の共倒れを望んでいたのである。しかし逡巡はあった。青鎬には個人的に情がある。しかもこの襲撃は一方的なもので、卑劣なことに敦人は、自分は戦線に出ず、チェスの駒を操るように人命を弄んでいる。ゆえに、遅きに失したかもしれないが、πたちは青鎬らを救う為に動いたのだ。

 音叉と青鎬の容態を診たxがπに首を横に振る。


「有栖先生のところに飛ぼう。それとも、今の俺たちを邪魔するかい、篠蛾敦人?」


 諸刃の剣がπ目掛けて飛んでくる。黒漆の槍で弾き飛ばしたのはxだ。

 πはもう息のない初音に束の間、哀れみの視線を向けると、猩々緋王の切っ先でぐるりと円を描いた。


 父上様。母上様……。


「? π、何か言ったか?」

「いや、何も。円の加護。強化その三」


 猩々緋王の先から炎が現れ、初音の身体を包んだ。πは初音を荼毘(だび)に付したのだ。πには初音の残留思念が流れ込んで来た。迷い惑わされ狂った、哀れな男だった。


 この光景を他にも視ていた人間がいる。

 亜希だ。彼女は、自室で机の前に座り、手を組んで青鎬たちの戦いを視ていた。自分が出るべきかどうか。何が数美と創の為になるのか。思い悩んでいたところにπたちが来てくれた。その時には良かった、と肩の力が抜けた。自分は数美と創を誰より何より優先する。だから、彼らの危難においてしか動かない。その方針を新たにした。


「あれ? はろ~π君」


 有栖が蜜柑を呑気に食べながら挨拶する。良かった、いてくれた。気配を察して数美も部屋から出てくる。青紫のストールを首に巻いて、白いフリルブラウスに生成色のカーディガンを着て下にはデニムを穿いている。可愛い、とこんな場合でもπは見惚れる。その間に、有栖がxが運んだ音叉と青鎬を診ている。塔子は慣れたもので、お茶淹れるわね、それともジュースが良いかしらとπたちに尋ねる。xはお茶、πはジュースと答えた。出来れば国産林檎100%の、と言ってxにはたかれる。塔子はくすくす笑いながら、丁度家にあるわと台所に行ってくれた。


「あ~こりゃ酷いね。二人共。女の肌に痕残そうだなんて極悪非道もあったもんよ。それより」


 有栖が青鎬のほうを見る。


「こっちは重症だね。今、止血はしてるけど」


 何もしていなさそうに見えて、有栖は同時に音叉の治療も行っているらしい。


「命は助かりますか」


 訊いたのは数美だ。数美はすっかり青鎬に情が移っている。そのことに、πの嫉妬心が(うず)いた。カーペットに横たわる青鎬は、有栖の〝手当て〟を受けている。俯せに横にしているが、血はカーペットに残るだろう。塔子は、しかしそんな度量の狭い女性ではなかった。


「助かるけどね。場所が悪いよ。……下手したら下半身不随になるかも」

「そんな!」


 有栖の言葉に誰より反応したのは、火傷が癒えつつある音叉だった。πとxはそんな診断を冷静な顔で受け止めている。人が戦うのであれば傷を負うのが常だ。πもxも、身体には無数の傷痕がある。


「はい、音叉ちゃんはもう良いよー。あとはアイスノンとかで冷やしてあげて」

「そんなので良いんですか?」

「π君。君は私を誰だと思ってるのかな? これでも119番の有栖だぞ?」


 胸を張って言う有栖には異能者特有の自負があったが、不思議とそれを嫌悪する気にはならなかった。数美は、汗ばんだ青鎬の前髪を梳いている。ぷつん、とπの中で何かが切れた。後ろから無防備な数美を抱き締める。xも、有栖も、音叉も、塔子も見ている前でだ。我に帰ったのはxの歓声を聴いた時だった。


「よくやった、π! それでこそ男だぞっ。でも時と場合と状況は考えような」


 は、と数美の身体を離す。女の子の身体は柔らかくて細くて良い匂いがする。そんなことを考えた自分の邪念が憎くて、πは自分を殴った。


「π!?」


 数美は、決して嫌ではなかった。只、いきなりのπの大胆な行動に驚いただけだ。鼓動が速く脈打つ。そんなことより、青鎬の今後が問題だった。



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