045、ピンク・クライシス
砂嘴の見た目からはとても想像出来ない剛力が、100キロの金の鎖を振り回すのを凍上は見ていた。只、振り回すのではなくそれは巧みな動きでピンク頭の少年の刀を搦め取ろうとしている。それは、半ば成功するかに見えた。
が、砂嘴が急に身を退いた。
「あれあれ。思ったより勘が良いね。僕は瓔珞の春彦と呼ばれてる。倒した相手の指で首飾りを作るのが趣味なんだ。仏教でもそんな少年がいたらしいね」
「ふん、悪趣味の極みだな。お前、〝溶かす〟異能の持ち主か」
鷹の目のように鋭い眼光を遣る砂嘴の言葉に、ピンク頭の春彦は、名前に相応しくにっこりと笑った。彼の持つ刀の先端からは透明な雫が垂れ、その雫が落ちた先の地面をジュワと溶かしている。問題は刀のみがその異能を発揮するかどうかだと凍上は考える。それと共に、氷の銃を創造していく。砂嘴の援護射撃の為だ。この銃は通常の銃とは異なり、只、形状と氷の弾丸が出るのみ同じだ。イメージの力で、凍上は氷の銃を操る。
「ほおら、溶けな!」
春彦が刀を振り回すと、乳白色の流動体が砂嘴と凍上を目掛けて襲い掛かる。二人はそれを搔い潜りながら、凍上は発砲する。弾丸は春彦の頬を掠めた。春彦がきょとんとした顔になる。驚くべきことに彼は瞳もピンク色だが、今はそれを頻りに瞬きしている。自分の頬を触り、血を見る。
「僕に血を流させたね?」
「これは殺し合いだろう」
淡々と返した凍上を、ぎっ、と春彦が睨みつける。
「許さない、許さない、許さないっ。僕の血を流して良いのは敦人様だけだ、あの方以外はゴミなんだよ!!」
連射する凍上の氷の弾丸を俊敏な動きで避けながら、春彦は刀を刺突の構えで急襲する。砂嘴が刀を避けて鎖の縛めで止める。ポタリ、ポタリと滴る刀からの雫は剣呑に地を穿つ。凍上はぞっとしない心地だった。春彦は鎖を溶かして縛めから脱し、距離を取った。何本もの金の鎖、そして一辺が100センチの直方体が砂嘴の周囲に煌びやかに生じる。
「どこまで溶けきれるものかな、春彦とやらよ」
嫣然と砂嘴が笑み、春彦は鎖にがんじがらめにされ、更に金の直方体の密集の中に囚われた。
ピシ、と砂嘴が凍上の頬を張る。
「邪魔立てするな。殺すぞ?」
「お遊びが過ぎます」
「黙れ、青二才が!」
険悪な空気が漂う砂嘴と凍上は、金の鉄壁とも言える檻の異変に気付くのが遅れた。
「仲間割れ~?」
は、と二人同時に振り向く。
春彦がピンクの髪をやれやれと掻きながら檻に空けた穴から這い出したところだった。砂嘴の全力の金の総量を以てしても、春彦の溶かす異能には敵わなかったのだ。それは異能の勝負において、砂嘴の完全なる敗北を意味していた。真紅の唇がきりりと噛み締められる。春彦は、ふんわり笑った。それから、握手でもするかのように手を伸ばした。凍上が庇う余裕はなかった。砂嘴の左肩が大きく溶け、損なわれた。肉が蒸発する異様な臭いがする。その瞬間、凍上は自分がこの少年を真っ向から相手取ることを決めた。
砂嘴の叱責や勘気はこの際どうでも良い。この少年は危険だ。統監府の為にも、ここで命を絶っておく必要がある。すかさず砂嘴の肩を氷で固定して止血し、何もない空間から氷の礫を無数に生み、春彦に向けた。
春彦はそのあらかたを溶かしたが、全ては防ぎ切れずに傷を負う。
「砂嘴班長。動かないでください。意識はありますか」
「たわけ。解り切ったことを言うな。それよりこの腕はもう使い物にならん。切断するから新たな切断面を凍らせろ」
「……承知」
凍上は春彦の出方を窺いつつ砂嘴の指示に従いながら、密かに憤っていた。砂嘴楠美は決して上司の鑑ではないが、誇り高く美しい野生の獣のような彼女が、凍上は嫌いではなかった。その彼女が隻腕となる。今後の戦いにも大きく響くことだろう。砂嘴を手負いとした春彦が許せない。凍上は滅多に怒りの念を抱かないが、今だけは静かに沈黙して、その上で激怒していた。
「君を許さない」
「それで? あんたの氷なら溶かせるよ。もう詰みなんじゃないの。あーあー、おねーさん片腕になっちゃった。もうそれじゃあ戦えないねえ。安心して。あんたの指も切り取って瓔珞にしてあげるから」
強化結界内の温度が、ひどく下がったことに春彦は気づいた。信じ難いことに雪まで降っている。それも優しい雪ではない。嵐のようだ。不思議と砂嘴の周囲だけは守られたように雪は避けて降っていた。
「……?」
おかしい。
この雪はどこか変だ。溶かせない上に触れる度、身体が重く、動きが鈍くなる。ああ、美しい殺意が働いていると春彦は場違いに感心した。
凍上がゆっくり歩み寄って来る。氷の銃を発砲しながら。
それらは過たず春彦の身を貫いた。絶妙に急所を外してある。凍上の顔は静かだった。降る雪に似ていた。死ぬ前ってこんな感じだっけと春彦は思う。触れるくらいに凍上が近づいた時、春彦の身体が完全に凝固していた。
「俺と15センチ以内の身近にいる人間は、俺が意図すれば皆、死ぬんだよ」
凍上と15センチ以内に身を置いた者は、凍上の意思如何により体内の液体をマイナス15度にされる。それで生きていける人間はいない。春彦は、身体の深奥から極寒が広がっていくのを感じた。そう言えば、敦人が、催馬楽吉馬を殺したのは凍上の可能性が高いと言っていた。完全数の男を。成程、道理で、と、自分でも妙に感じる程冷静に春彦は得心した。
ピンク色の瞳は、見開かれたまま、その後二度と瞬きすることはなかった。
凍上はもう春彦には構わず、着ていた背広を砂嘴の肩に掛けた。
「すみませんでした」
「何を謝る。篠蛾の手下、よくぞ仕留めた」
「砂嘴班長をお守り出来ませんでした。統監府第三課の人間として面目が立ちません」
「私は生きている。勘違いするなよ、青二才。腕の一本、失ったくらいで私が戦線離脱すると思うな。お前はな、凍上」
お前は、と続けた砂嘴の声は穏やかだった。
「お前はzとやらをだけ、守ってやれば良いんだよ。命を懸けてな」
絵は陰東 一華菱さんより頂きました。




