4-3<悪魔の囁き>
「は、は、は、」
乾いた笑いが漏れる。
照明を消し、一人、寝台に仰向けに身を投げ出し顔を抑える。
どうしてなんだ。
私はどうしてこうなんだ。
やっと、見つけたと思ったのに。
運命だと思ったのに。
運命なんて無い。
神様なんて居ない。
さっきまで胸の内で燃え上がっていた炎は消え失せ、
焼き焦がした心が傷跡になりずきずきと痛む。
痛い、痛い、痛い、
「うっぐ…うう…」
嗚咽が、もれる。抑えた手から涙が滲み出し、零れる。
一度堰を切った涙は次から次へと溢れ出し、零れ落ちる。
止まらない。
どうして、どうして、どうして、
嫌だ、嫌だ、嫌だ、
あんまりだ、酷い、ふざけるな、なんで、嫌だ、たすけて、ゆるして、お願い、やだ、だれか、だれでもいい、助けて、このままでは、狂ってしまう。
乱れた思考が胸の痛みに同調し悲鳴を上げる。
痛みが、ますます酷さを増す。
たまらずうつ伏せになり、枕に顔を埋める
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!嫌、だよぅ………」
そのまま顔を力の限り押し付けて叫ぶ。胸の痛みを吐き出すように。
「助けて、こんなの、ない、私も、私だって、あああああああああああああ!!!」
兎に角大声で叫ぶ。
枕に埋もれたままでは声はこの部屋から漏れはしない。
吐き出したい。この苦しみを。
逃げ出したい。この辛さから。
助かりたい。
幸せになりたい。
彼が愛しい。
彼が欲しい。
でも、
でも、
『諦めるのかや?』
誰も居ない筈の部屋に声が、響いた。
ハッとして起き上がり、涙に濡れた顔を拭いもせず声の聞こえた先を見返す。
『諦められるのかや?』
暗闇の中だというのに、何故かはっきりと見える。
金髪と褐色の肌をした20センチ程の小さな姿。
「おまえ…は…」
ユートの頭の上に居た、妖精。それが無感情な表情を浮かべ、私の前を浮いている。
『本当に、諦めて、良いのかや?』
問いかけてくる。それは………
「だって、彼は、<召喚されし者>で、」
『それは建前に過ぎん。おんしの心に聞いておる。諦めたいのか、と。』
私の、心。
私の、心は、
「諦めたくなんて、無いに決まっている!でも!だけど…!!」
彼は、ソフィーの夫、なのだ。
ずきり、と胸が一層激しく痛む。
そう、ソフィーが、今までずっっっと切望してきた、相手なのだ。
『ならば、無いのか?おんしの想いを遂げる術は、おんしの想いを正当化する術は、』
「そんな物は…」
『ある、はずじゃぞ?』
妙に自信に溢れた、確認するかのような言葉。
ある、はず…
思考が巡る。先ほどまでの悲鳴と違い、具体的な救いを求めて。
そして思い至る。
10年前に、貴族達によって無理やり施行された、だが結果として形骸になった法律、施設。
『火が、点ったの』
「そうだ…、ある。だが、それは…」
『何を躊躇う?おんしの想いを満たし、誰にも後ろ指刺されぬ術があるというのに。』
「……」
『諦めるのは嫌なんじゃろう?どうかや?先ほどのようにその胸の炎を消そうとし、心を引き裂き、踏みにじられるような痛みに苛まれたいのかや?
その術を行使して、誰が傷つく?誰が悲しむ?誰も、誰もじゃろう?ならば何を躊躇う。何を諦めようとしておる?』
いっきにまくし立てる。全く異議を唱えられない、甘い甘い誘惑。
なんなのだ、この妖精は?まるで御伽噺に出てくる悪魔のような………
「その…通りだ。」
『ならば、もう大丈夫じゃな』
「あぁ…」
確かに、胸に灯った新しい炎が、無理矢理消されようとしていた炎を救い、再び燃え広がり始めている。
痛みが薄らぐのを感じる。そして理解した。焼け焦がした心が傷跡となって痛んでいたのでない。
消されかけた炎が、無理矢理殺されかけた恋心が悲鳴を上げていたのだ。死にたくない。と
「お前は、何だ。何が望みだ?悪魔、なのか?」
冷静さを少し取り戻し、問う。
悪魔は願いの見返りに何か大切なものを求めるという。
この妖精は最早そういう存在にしか思えなかった。
『悪魔か、あながち遠からず、といった所かの。何度も言っておろう?魔族じゃ。と』
「何が、望みだ。」
『別に何も望まぬ、と言いたい所じゃが納得いかぬようじゃな、ふむ。では「妾を楽しませてくれ」これでよかろう。』
「私が、この想いに殉じることが、楽しいと?」
『ふん。我が主が幸せに苦しむ姿が楽しい。と言っておこうかの』
「は、酷い悪魔だ」
言うに事欠いて、幸せに苦しむとは。
『魔族じゃ。』
「そうだったな、酷い魔族だ」
『褒め言葉と受けとっておこうかの。』
「ああ…感謝する。私は、救われた。」
『ならば誓約を果たすんじゃな。ククク、楽しみじゃ。』
「期待を裏切るつもりは無い。全身、全霊で挑ませてもらう。私はもう、迷わない」
『その意気じゃ』
「ああ」
『では、もう良かろう。妾はいぬ。』
「ああ、ありがとう」
そう言って小さな魔族は夜の闇に溶け入るように消えていった。
私の涙はいつの間にか止まり、胸の痛みは再び燃え広がった炎に完全に包まれ霧散し、歓喜だけがそこにあった。




