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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
祈られた神々の救済
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ウラギリスの裏切り その〇、迷宮〈無形魔王城ヂアハトリーギ〉第四の番人

 大伯父による裁きの様子を見に行ったことがあった。職能に従って、卑劣で悪辣な犯罪者に罰を宣告するのだろうと思っていた。

 多くを期待してはいないつもりだった。大伯父は、仕事姿を示して、威厳を演出しようという魂胆なのだろう。

 かれには、小さい頃から擦れたところがあった。

 擦れた子供なりに、正義なるものに自分が多少の感動を覚えることだろう、とも予想していた。


 思っていたのと少しだけ違っていた。

 平凡な犯罪者が、非難と嘲りを受けていた。

 死んで当然の人間なのだろう。少なくとも集まった人はそう呼ばわった。

 当人が毅然と立っていることも、人の怒りを煽った。うなだれて、絶望のうちに宣告を待っているべきではないか。


 都市生活にあって、人や社会に害なす人は、隔絶した世界の住人でなければならない。

 安全を信じさせることは、本当の安全にもつながる。乱世では特にそうらしい。


 そうだとして、平凡な犯罪者を、大きな音や高い机を持ち出して脅かす必要があるか? 過去の行為や、生まれた氏族や、属する秘儀を詳らかにする必要が本当にあるのか?

 粛々と審議して、宣告して、執行すればよいではないか。そのための法ではないのか。


 正しく裁くさまというより、暴露して貶めるさまを見るために、人は集っていた。

 人でなしを殺すよう期待する観衆を喜ばせるため、儀式次第は進行した。


 大伯父は何を見せてくれたか。

 予定どおりだった。大伯父は、職能に従って、卑劣で悪辣な犯罪者に罰を宣告した。


 生贄の儀式だった。


 それを目の当たりにして、そして少年は、ひとつ大人になった。

 成年を迎え、ウラギリスとの名を受ける前のことである。




 ウラギリスは儀礼論家だ。

 はるか昔、帝国黎明期を生きたマリニア生まれのヨリアジスのウァコルいわく、刑罰が与えられる過程は、儀礼である。

 後世にいわゆる『公共の儀礼について』には、儀礼論として伝承する系統のほか、刑罰論として伝承する系統があった。写本伝承過程では散逸も付加も改変もあり、その中で正しい読みを確定しようとする試みもなされてきた。

 刑罰論として読まれ伝承されていたものを、ウラギリスは読んだ。



 ある類型の儀礼がある。共同体に吉事や凶事が起こったとき、例外的だと定め置いて不和を弱める機能をなす。

 凶事にあっての浄めの儀礼は特別な儀礼行為を含み、その執行資格が〈責任〉と呼ばれる。その特別な儀礼行為は、〈責任を取る〉と呼ばれる。

 儀礼が正しく行なわれるならば、ある人に責任が帰せられる、という概念が定め置かれる。そして、責任と釣り合う裁量がその人にあると信じられる。

 当人が実際には制御することができない事態について責任が発生することもある。


「地震や竜巻や蝗に、人が責任を持てるわけはない。

 人にできるのは被害を軽減することだけだ。昔の人には区別ができなかったのかもしれない」


 自然災害という凶事の儀礼で責任を担う人物は、自然災害を退ける霊的な力を期待されることもあった。

 責任を取ることは、少なくない場合、生贄として傷つけられ、さらには殺されることを意味した。

 大きすぎる責任には、実際には見合う能力がないと判明するリスクがある。やがて儀礼は無意味と考えられ、祭祀者の収入手段に成り下がり、破綻してしまうことだろう。


 また、ウァコル曰く、罰と反対に賞も儀礼を伴う。たとえば優勝者を讃える競技会は儀礼である。

 誰かを讃える必要がまずあり、その誰かを決める競技を行なうのだ。

 優勝者は、美徳を備えるとされて、表彰を受けるという儀礼行為の資格を得る。競技が測る能力は、賞賛に値する美徳として定め置かれる。

 美徳があるから競技会でそれを測り讃えるのではない。競技会という儀礼で測られ讃えられる能力だから、美徳となる。

 ただし、その基準が人の信じがたいものであれば、祭祀者の収入手段に成り下がるおそれがある。


 この種の賞罰の儀礼で最も巨大なものが王権儀礼である。王は大きな裁量を備え、比類ない美徳を備える者として定め置かれる。

 昔の王には霊的な力があるとされた。気象も操れないようでは上古代の祭政一致国家を治めることはできない。


「王権儀礼は別にどうでもよい。

 ともかく、大昔に、学者は論じてくれていたんだ。公的な裁きは生贄の儀礼と変わらない」


 その考えはウラギリスにとって心地よかった。

 帝国ではしばしば法や政治の権威者が正義を独占したではないか。古い賢人は予見したのかとすら思われた。


 やがてはウラギリスも気づく。

 悪感情を慰めてもらえるかどうかと、論がどこまで妥当で有効かは、無関係である。

 結局のところ儀礼論が教えてくれるのは、公正を維持し信頼を得るべきという当たり前のことだけだった。


「昔は、法の公正と、そう信じてもらうこととが区別できなかったかもしれない。一時は夢中になったとはいえ、古の儀礼論は古の儀礼論だ。

 整然とした法体系や混沌とした政治闘争の面白さは、その先にある」


 後になって振り返れば、大伯父だって、大伯父なりの最善を尽くしたのだろう、と思えた。

 綺麗な解釈をして満足し軽蔑しながら問題を放置する代わりに、ウラギリスは、正義の回復を志した。

 それがかれの一つの決別だった。



 ウラギリスは儀礼論家だ。ずっと後の時代にまで儀礼論は知られた。

 もともとウラギリスは儀礼を論じたかったのではなかった。論じようとしたのは、文明だった。


 文明を論じたと思われる先人の著が『都鄙論』だった。

 帝国の黎明期と同じころ、衰退してゆく東方文明では、多くの論者が堕落を非難した。

 都市社会の市民戦士たちは弱くなっていた。村落の人々は野蛮になっていた。人は奢侈を追い求めた。人は守るべき弱者を軽蔑して罵った。

 ほかの論者と同じく『都鄙論』も都市の退廃を指摘する。返す刀で、ほかの論者が依拠しがちな価値観をも否定する。『都鄙論』の大部分は当時の論者への反論や否定でできていた。


 たとえば当時の論者は言う。


「教育のない新世代の連中が奢侈に走る」


 それに対して『都鄙論』は言う。


「教育を必要とするようだから、奢侈に走る」


 自ら進んで身に付けるべき振る舞いが、教育の中で強制される目標に成り下がった。その時点で堕落は始まっていたのだという。

 しかも、それは人の集まりが盛んな都市社会で必ず起こる事態だと主張した。どんな王権も堕落し潰れると論じた。

 しょせん人間が何をやってもダメと説く姿勢ゆえか、衰退の時代にウケた。帝国崩壊期にも、『都鄙論』をめぐって様々な人が様々なことを語った。



 ウラギリスは人づてに要約を聞くだけでなく、手にとって読んだ。読んでみると大きな問題点にぶつかった。


「王権は一〇〇年を寿命の限界とする、だと。だったらこれは何なんだ」


 大昔の『都鄙論』は、一〇〇年を超える王権を想定していなかった。

 主張を破る例をウラギリスは知っていた。一〇〇〇年近くに及ぶ帝国を生きていた。複数の王朝が勃興し崩壊し、国家は長く存続した。


 ウラギリスは帝国の長命の秘訣を探った。官職や在野での経験が、ひとつの示唆を与えた。

 歴代皇帝の多くは、由緒正しい非効率な権力を抑えて新興勢力を盛り立てた。地方の不満に対し、皇帝が味方としてつく。よき皇帝と強欲な既得権益という図式を、人々は信じる。

 それぞれの皇帝の保身が動機であったとしても、人の流動が健全に機能した。


「支配に対する反抗者の存在がかえって安定を生んだのかもしれない」



 反権力志向の存在が王権を支えることについても、先人は論じていた。賭場の魔女リーラエシア・オッズ・シルヴァードラゴンである。

 彼女の著書の大部分は、賭場の実務の記録である。シルヴァードラゴンは賭場の経営に携わった。

 ウラギリスの時代には神秘主義の書として読まれていた。帝国崩壊期には、実務記録も神秘的に解釈された。


 シルヴァードラゴンが論じるには、権力に逆らおうと各人が意識して、かえって上のたやすく制御するところとなる。

 賭場はしばしば非合法とされた。特に規制で王権が利益を得る場合には、非合法とされることが多かった。

 規制をかわして賭場の安定した経営を目指す中で、王権への服従が自明の背景として受け入れられる傾向が生まれたと、経験を語る。



 ウラギリスは儀礼論家だ。文明や儀礼を論じ、時の超皇帝に献じた。


「奢侈への欲望と退廃は必然なのか、ウラギリス?」


「必然でございます。陛下」


 ウラギリスは超皇帝に対して断言した。


「ただし、奢侈にもよい奢侈と悪い奢侈がございます。絶望する者は、悪い奢侈だけを見るものです」


 かれは人間の可能性を信じていた。しょせん人間が何をやってもダメという風潮に逆らおうとした。


「種々の形態の奢侈のうち、最悪は浪費です。浪費のための浪費、破壊のための破壊は何も生み出しません。

 中間は装飾文化です。装身具や身のこなしを洗練させれば、ときには軍事力によらずに民を従えることもできます。

 そして、最良は、学問です」


 ウラギリスは奢侈の一環と位置付けたうえで、学問を称揚した。


 都市は人を無礼にする。

 神を恐れない行ないに駆り立てる。

 ハッタリをかます者を高みにつける。

 神への畏怖を忘れ、無礼を誇ることは、避けがたい。先人はそれを奢侈への欲望と呼んだ。


 ならば、学問に金を使え。知識の継承を尊べ。

 自由な精神と情熱は人を傷つけるためでなく、凶作や災害の予知と対抗策の探求に向けるがいい。凶作や災害を神罰でなく制御可能な現象に貶めてやればよい。

 また、法律の基礎づけを整備するがいい。神の命令と思われてきたものを、地上の法規範として運用するのだ。

 うまくいけば一〇〇年も二〇〇年も後に人を助けるかもしれない諸々の知識を求め、受け継ぐがいい。

 それが奢侈の最良のものである。


「学問を盛り立てるべきです」


 ウラギリス・ソムクが後世に遺したものの筆頭であった。ウラギリスは役人としてよりも政治家としてよりも、学者として知られる。


 皇帝が実権をなくし、権威を高めようとした、歴史の中の一幕だ。

 皇統は絶える。建築物は崩れる。そして、普遍の理想が残る。


 ウラギリスの儀礼論が可能になったのは普遍帝国の存在ゆえだと評される。


 帝国の偉業をもとに、ウラギリスは、信じてもらうという価値、呪術価値を論じた。呪術価値を生み出す行為の一種として儀礼を論じた。

 頑丈な建築物を造ることと、そう信じてもらうことは別だ。

 安全な交通網を編むことと、そう信じてもらうことは別だ。

 公正な法体系を綴ることと、そう信じてもらうことは別だ。

 ウラギリスが遍歴を経て論じるところ、儀礼とは異界への旅である。広大な領域を治め多数の神々を擁した、つまり多様な異界を含んだ普遍の国土が、かれにその論を立てさせた。




 超皇帝を裏切った後、ウラギリスは獣人反乱の指導者カラッドと行動をともにした。

 カラッドの理想に惹かれたのだ。


「お前たちの姿かたちと、お前たちが従うべき部族の掟とは、無関係である」


 獣人たちにとって、部族の掟に従うことは、身体形状への実感と固く結びついていた。敵対部族とは、会ってそれと分かる人々だった。

 その結びつきをカラッドは否定した。


 狼獣人の特定部族だけ、帝国内の長毛系猫獣人だけ、といった小さなまとまりを越えようとした。

 ウラギリスは感銘を受けた。


「素晴らしい。その通りだ。

 犬系獣人の男も、猫系獣人の男も、獣人に限らずたとえ有翼人の男であっても、みんな同胞ではないか」


 ウラギリスは機微を捉えておらず、分からないなりに感銘を受けていた。


 のちには天教も主神教も同様のことを聖典に定める。自身の身体形状に対する感覚と社会規範とが結びつくことを野蛮として否定する。

 ただし、天教でも主神教でも該当箇所の記載は歯切れが悪い。

 実現困難だからだ。

 カラッドの理想もまた、失敗した。


「なぜだ。なぜお前たちは、自分を縛り付けるものを誇るのだ。

 愚か者どもめ。そんなに部族同士の争いが好ましいのか」


 野蛮さを排除しようとすれば、傷つくのは弱者だった。持たざる人々でも、聖なる義務と結びついた自分の身体にだけは誇りを持つことができたのだ。弱者から、その誇りすら奪うことになる。

 結果的に、弱者の野蛮さを利益のために使う卑怯者がのさばった。


 自分を縛り付けるものを誇るのは、ウラギリスが見た帝国の長寿の秘訣の焼き直しでもあった。




 ウラギリスの文明論の中には、人間集団はいても人間はいない。

 たまに現れる傑出した個人をウラギリスは理論の射程から外す。

 大きな力や意思を持ち既存の機構を大きくはみ出る愚か者を、理論の適用外とする。


 そうした人物が、たとえば、皇帝を暗殺する。

 そうした人物が、たとえば、自身の敵を処刑から救うために戦う。



「魔力点一〇〇ポイント消費」


 高い窓から光が差し込む。反射光が床を照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。


「破砕剣ミジンギリオンを喰らえ」


 反逆罪を疑われた者は、剣を以て正義を示す権利を有する。

 亜竜人ヴィクロム・インヴィットは、ウラギリスのために戦っていた。


「守る」


 押し返す。

 かつて魔王の懐刀と呼ばれた大剣使い、利剣(リツルギ)である。

 その刃は、王権を守護するために振るわれる。


「剣を以て示す、っていうのは剣以外の武器を排除するものではないよな。

 だったら毎度おなじみ魔槍ぶちぬき丸だ。起源譚も聞かせてやるぞ」


「ウァコル師から既に聞いたことがある。結構だ」


 必死の祈願によって怪物を滅ぼした子供の話だ。学士ウァコルは、探索者たちに対してもそれを語った。


「魔槍の起源には複数の伝承がある。お前が知っているのは牛にして猫の怪物が出るやつか?

 それは風変りな地名を説明するのがメインだ。

 有名な槍は、ついでに登場したにすぎない。聞け」



 昔むかし、虫たちの王は最強の高枝切り鋏を作った。

 そのとき世界樹の最も高い枝を採取して使った。

 虫たちの王は最強の高枝切り鋏を掲げて多くの獣たちを治めた。


 やがて獣たちは反乱を起こした。虫たちは小さくされ、高枝切り鋏も破壊された。

 獅子たちが吠えると虫たちは一つ縮み、狼たちが吠えると虫たちはまた一つ縮み、熊たちが吠えると虫たちはまたまた一つ縮んだ。

 今では、小さな虫たちは獣たちの毛の間に食らいつくようになっている。


 破壊された鋏の刃の一方は、神々の剣として鍛え直された。やがて、例の終末の戦いで振るわれることになる。

 そしてもう一方は地上世界に放り出され、槍の先端とされた。



「で、魔槍ブチヌキウスが生まれたってワケだ!」


「名前も変わってるにゃ!?」


 猫の人ミランディは叫んだ。決闘裁判には加勢することが認められていない。


「守る」


「ぐえっ」


 探索者ヴィクロムは押し負けた。

 利剣(リツルギ)は語った。


「魔王教という信仰の中でマリニア出身者を持ち上げるのがおかしいと、お前は言ったな。探索者よ。お前の理解は浅い。

 我が故郷マリニアは、名将や強兵たちを輩出していた。だからこそ神聖視されたのではないか。

 郷土でなく信仰を拠り所とする人々にとっても、我らが末裔にあたる戦士たちは尊敬の対象だった」


 探索者ヴィクロムは、ウラギリスが企んだ恣意的な習合を、ズルと称した。

 習合は、尊敬の対象を変更させるものではなかった。共通の人々に対する尊敬の、異なる謂れを融合させたのだ。

 ガリルスに代表される武人たちを、魔王教徒はマリニアの英雄として尊んでいた。英雄慰霊の徒は悲劇の英雄として尊んでいた。


「お前の理解は浅い。じつに、探索者というのは土地への愛着が薄いと言われる通りだ」


 一般に探索者が特定の土地に愛着を抱きづらいというのは、よく言われている。互いへの信義や歌に語り伝えられる武勇、反骨精神、古きよき冒険者に憧れる志こそ、探索者が尊ぶものと考えられている。

 一方、中古代初期の魔王教で、生まれた土地や家系は問われない。入信儀礼を経て、魔王に絶対の畏敬を寄せる者が、「マリニアの民」なのだ。

 生まれでなく精神性による連帯に対して共感を覚えたがゆえにこそ、ヴィクロムは浅い理解にとどまった。と、利剣(リツルギ)は示唆した。


「全部お前の憶測じゃあないのか。お前らの時代から千年も後のできごとだろ」


 探索者ヴィクロムはとりあえず反論した。

 利剣(リツルギ)は語り続ける。


「お前たちは学士ウァコル師の説明を聞いたのだったな。

 では、我が王が儀礼を行じたとたんに諸部族が王に帰依し、相互の信頼を築いたと思い込んだかもしれない」


「けっこう喋るんだな。何の話だよ」


「族長たちの方針は変わらない。王を利用しようとした。離反して自分たちの利益を図る用意もあった。

 本当に変わったのは、支持する人々だった。じっさいに武器をふるう戦士たちだった。末端から始まって、族長たちの配下の大部分は、王への反抗を望まなくなった。

 祭祀は、王に従う口実を族長向けに用意したにすぎない。実質はここだ。王は我らとともにある」


 戦士たちにとって魔王は、遠くにいるよく分からない権力者ではない。ともに泥に塗れることを厭わず戦ってくれる、信頼に足る人間だった。

 不遇を強いられた高貴な娘であり、強くも危なっかしい戦士であり、絶対の崇敬を捧げる主君だった。

 この子が屈辱を受けるに任せた奴を許せない。この人は自分が代わりに死ななければ命を落としかねない。この方のためになら幸福も安寧も喜んで擲つことができる。


 上古代マリニアの戦士たちは命を捧げて、ともに戦ってくれるという見返りを授かった。



「そうか。奥の手を使うしかないらしいな。これを見ろ」


 亜竜人ヴィクロムは、上着をはだけた。


 そこに、異界があった。




「ユヌさんの、ことですか?」


 太陽の光が木の葉の間から優しくそそぐ。

 ここは迷宮である。樹上積層都市毒樹(ドクジュ)枝節経(シセツキョウ)アーバスキュールである。


「忘れたことなんてありませんよ」


 エニルという人物は語った。市場の物売りの女の人である。

 ユヌというのは、大好きな幼馴染の男の子だった。不幸な事件で死別した。ユヌは身を挺してエニルを守ったのだ。


「最初は、それはそれは悩んだもんですよ。自分が生きているのが間違いみたいに思えました。

 で、気づいたんです。私が生きるのなら、釣り合うだけのものにしないといけない、って。

 幸せを願ってくれたのなら、うんと幸せにならなきゃね」


 彼女はたくさんの人といろいろなやり取りを経て、いろいろな思いを経験したことだろう。


「いっぱい笑って、たくさんのものを手に取って、たくさんのものを人に渡しました。

 今では私も二児の母です。私が暮らしの中で感じることの九割九分は、夫と子供たち、ご近所さん、お客さんのことでできています。

 そしてきっと、最後の一分だけはユヌさんのために取ってあるんです。


 あの人のことは忘れません。きっと今でも見守ってくれているんですよ」




 探索者ヴィクロムの目の前で、剣士は叫んだ。


「ぐはあぁーーッ!!

 俺以外の男がッ、幸せにしたのかァーッ!」


「思ったより効いた」


 高い窓から光が差し込む。反射光が床を照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。


「俺はあの子のことが好きだったんだァーッ!!」


「悲しい物語だ」


 魔王譚文脈の亜竜人ヴィクロム・インヴィットは、気のない相槌を打った。


「今の技は何なのにゃ」


 猫の人ミランディが呟いた。亜竜人ヴィクロムが上着を脱いで見せると、異界があった。意味不明な技である。

 利剣(リツルギ)は叫んだ。


「いいんだッ、あの子が幸せなら!」


「そう、お前は言うんだな」


 利剣(リツルギ)が存在を保つ核として、一人の青年があった。

 呪いの武器の性質と使い手の性格は分かち難く結びつく。

 想いを同じくするがゆえに、大剣使いとして存在することができた。


「魔王の懐刀は、あの子が幸せならいいんだ、などと当たり前のことをわざわざ言わないんじゃあないかな」


「ぐ、お、お、おおぉぉぉッ」


 利剣(リツルギ)は、一体となっての存在を保つことができなくなった。


「ここ、まで、かッ」


【探索者は、第四の番人、利剣(リツルギ)を破りました。】


 かつて魔王の懐刀と呼ばれた大剣使いは、光の粒になって消えてゆく。

 探索者ヴィクロムは、それを見送った。



「終わり、か。苦しい階層だった。

 帰ってパーッとやるとするか。死者も弔ってやらないとな。

 と。そう言いたいのかしら。わたしのヴィク」


 そこに、魔王がいた。

 両脇に巨大なネコ科動物の姿があった。体高で人間の身長の三倍になる。輪郭が文字でできており絶えず流動する。


「うわびっくりした! ネコチャンでかすぎだろ」


 猛獣を従え、二つ結びの癖毛をなびかせる。魔王は、うずくまった一人の有角人の背中にちょこんと跨っていた。

 背中を降りる。

 乗られていた有角人が立ち上がろうとすると、魔王はその頭の横にあたる地面を足で叩いた。足首の装身具についた鈴が鳴り、音を聞いた有角人は再び手足と顔を地につけた。


「あれハシュペフチャじゃない?」


 魔王が乗っていた有角人とは、近古代の王、ハシュペフチャ一世デアゲトリクスだった。ヴィクロムは第三階層で顔を合わせていた。

 亜竜人は、魔王に話しかけた。


「攻略祝いですか? ありがとう存じます。

 その登場は何ですか? 残虐な女王としてのアピールですか?」


「ふむ。俺ならば、自ら残虐な女王に扮したと思われる人物にナメた口を叩くのは、殺される見込みがないときにするな」


 ウラギリスが忠告した。

 魔王が応じた。


「殺してしまおう」


「たいへん失礼いたしました。すみませんでした」


 さらに魔王は言葉をつづけた。


「殺してやるぞ。ウラギリス」


「ウラギリスか」


 もとより殺すつもりだった。ウラギリスを殺そうとして、決闘裁判が開かれたのだ。


「たった今利剣(リツルギ)を倒しましたよ。

 ウラギリスは無罪放免となるのでは、うっ、ぐわあぁぁ!?」


 亜竜人ヴィクロムは目を抑えてもだえ苦しんだ。


「何が未来視だ。

 知らんのか。わたしの図像は当世でも南海沿岸一部地域で、邪視除けの効果に定評がある」


 魔除けの図像として、獣の角や古い王権の証や恐ろしい怪物や性的アピールの戯画は定番だった。


「よこしまな眼でわたしを見て、ただでは済まさぬ。

 安心せよ。今回は視力の一時低下だけだ」


 探索者ヴィクロム・インヴィットは未来視を試み、反撃を受けたのだ。


「さきほどは、ウラギリスの国家反逆を裁くうえで、わたしに正当な権限なしと、部分的に認められたに過ぎぬ」


「全面的に認めてくださいよ。いったい何を裁くのに正当な権限があると言うんですか」


 亜竜人ヴィクロムは非難がましく問うた。

 魔王は答えた。


わたしの民(魔王教徒)の虐殺について、責任を問う」


 ウラギリスは、帝国市民は裁判抜きに処刑されないことを知っていた。

 ウラギリスは、皇帝は神の子ではないことを信じていた。

 ウラギリスは、軍事力を止めうる立場にあった。

 かれが当然の判断に基づいて行動していれば、死なずに済んだ人々がいた。

 過激派の魔王教徒は集団自殺を実践した。かれらは神の子たる皇帝の名のもとに殺害されてきた。


 いわく、魔王は帰依する者に慈悲深い。何があっても力になってくれる。

 ナメてかかる者には容赦しない。必ず惨たらしい死体を晒すことだろう。


 生贄の儀式が再開する。

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