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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
祈られた神々の救済
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ウラギリスによる帝国の歴史とその帰結

 過激派の魔王教徒は皇帝冒涜つまり反逆罪による刑死を、数々の通過儀礼の最終段階と位置付けた。一人で巨大な帝国の暴力に向かって立つことで、魔王の神話を追体験する。

 そのとき信仰は完成するのだ。


 入門者の大半は、数々の通過儀礼の中で脱落して穏健な信仰に移行する。最終段階までやり遂げるのは筋金入りの狂信者だ。かれらは自身の命を差し出して神に近づくことに激しい喜びを覚える。

 狂信者は数百人に及んだ。



 兵士たちは忘れない。

 あのおぞましい魔王教への対処の任務を、忘れることができない。


「私はマリニアの王に帰依します。

 魔王は独り供犠を受けるべき神である。皇帝は人の子である」


 過激派の魔王教徒は集団自殺を実践する。しかも、集団の熱狂に身を任せることを否定する。やめたくなった者には去る機会を認める。

 皇帝廟の前で、信仰者たちは殺されるために一人一人進み出た。

 一人出てきては信仰と皇帝崇拝の否定とを宣言し、兵士の殺すところとなる。死ぬと次の一人が進み出る。


 気の滅入る作業だった。

 作業だったという事実が、ますます気を滅入らせた。

 帝国という巨大な嘘を維持するために、市民を殺さなければならないのか。

 皇帝は神の子であるという明らかな嘘を嘘と言った罪で、殺さなければならないのか。


 狂信者が進み出て言った。


「魔王は独り供犠を受けるべき神である。皇帝は人の子である」


 殺した。


 狂信者が進み出て言った。


「魔王は独り供犠を受けるべき神である。皇帝は人の子である」


 殺した。


 狂信者が進み出て言った。


「魔王は独り供犠を受けるべき神である」


 続きを言おうとして詰まり、やがて泣き崩れた。


「ダメだ。私にはできません。死にたくない。神様よりも命が惜しい。残される家族のこともあります。お赦しください。

 皇帝陛下万歳!」


 生かした。問うべき罪はないからだ。


 最後の最後で怖気づく信者は少なくなかった。信者の間で、命を惜しんで信仰行為を完遂しないことは、必ずしも悪いことと位置付けられなかった。

 容易に遂行されないからこそ、最後の通過儀礼を経た殉教者が尊ばれるのだ。死にたくないのは当たり前のことで、人それぞれ相応のやり方で信仰を捧げればよい。

 体制側としても、狂信者と思われた人物がより穏健な信仰に生きてくれるなら、それに越したことはない。


 狂信者が進み出て言った。


「魔王は独り供犠を受けるべき神である。皇帝は人の子である」


 殺した。

 気の滅入る作業だった。



 兵士たちは忘れない。

 あのおぞましい魔王教への対処の任務を、忘れることができない。

 多くの兵士たちは、滅びに瀕した帝国を守るという気概を持っていた。民を殺戮する任務は、期待から大きく外れていた。


 狂信者たちは兵士や市民たちと隔絶した異物だったという、明らかな嘘にすがりついた。

 明らかな嘘だ。軍隊の中にも魔王教徒は少なくなかった。

 最期の文句が耳を離れない。平凡な魔王教徒の祈りの声が聞こえるたびに、兵士たちは最悪の記憶を蘇らせた。


 ある人々は励ました。


「気に病むな。死ぬと分かって進んだ者や、けしかけた者が悪い。一兵卒に罪があるもんか」


 励ましの声は届かない。人々は帝国による暴力を、自動的な反応か何かと捉えている節があった。

 兵士の所行は他人事なのだ。兵士の努力や責務は、あって当たり前の帝国の機能で片付けられた。

 しょせん他人事として言っている、と信じられれば、どんな励ましの言葉も届かなかった。


 ある人々は死者を貶した。


「あの人たちは神様を信じていた。だったら神様のせいじゃあないか。あの神様は狂信者を救ってやるのかな」


 狂信者への嘲笑は、兵士たちにも突き刺さった。

 殺戮者は帝国の神聖さを信じていた。国家維持の務めを任されたお気に入りだった。帝国が殺戮者を救ってくれるかどうか見てやろうじゃあないか。



 やがて兵士たちの一部は魔王信仰に深く帰依した。一部は他の神に頼った。

 そして大部分は、国家や皇帝を篤く崇めるようになった。

 何しろ、あの狂信者たちですら、帝国が自身を殺すことを信じていたではないか。狂信者の最も重要な信仰実践は、帝国秩序が機能することを前提としていた。




 高い窓から光が差し込む。反射光が床を照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。


「誰だ!?」


 侵入者の気配を覚え、探索者ヴィクロム・インヴィットは鋭く呼ばわった。


「ラッオラー! ンザッコラーッ!」


「あっお前らか」


 兵士の返事があった。階層の最初にいた兵士たちである。


「追ってきたのか」


「裏切りカス野郎がいるらしいんでな」


「裏切りカス野郎? いったい何者ス・ソムクのことだろうか」


「そいつだよ。

 女の尻を追っかけて日月天地大皇帝陛下を暗殺した、ウラギリス・カス野郎・ソムク閣下だよ」


 兵士のうち比較的よく喋る者が応答した。

 ヴィクロムは苦笑した。


「女の尻を追っかけて、か。出たよ。非難を受けているやつの固有の事情や悪さを放って、性的なスキャンダルに飛びつくんだ。つまんねえの」


 猫の人ミランディも言った。


「都合よく利用されがちな大衆の性質にゃ。つまらないにゃ」


「まあ本当に痴情のもつれの可能性もあるか。ウラギリス・カス野郎は重要な情報を伏せることがあるしな」


 ウラギリスは第二の皇帝暗殺について肝心の経緯を教えてくれなかった。探索者は仄めかした。

 裏切りカス野郎と呼ばれたウラギリスが口を開く。


「つまらないばかりでない。有害だ。こんな凡俗の輩に政治言論を展開する資格はない。だから言論弾圧が必要なのだ」


「弾圧はするなよ」


「弾圧はダメにゃ」


「さて。申し開きがてら、兵士諸君にも我が国の栄光と精神の歴史を聞かせてやろうではないか」


 ウラギリスは語りだそうとした。


 探索者は静かに緊張を高めた。

 古の賢人、つまり魔法使いの話を聞くのは、その時点で敵対者にとって不利である。

 無理やり遮って話を止めることがもしできれば最も安全で、試みれば往々にしてうまくいかない。より危険な事態を招く。今回のように敵対者とはっきり分かっていない場合は特に避けるべきである。

 語らせながら、茶化し、相対化し、または割り引いて聞くのが定石となる。



「まず親分子分の基本原理を述べておく。

 利益獲得の機会を逃さず、子分への恩恵を増やしてゆくのは親分の義務である。

 利益獲得を目指さない親分はその座を引きずり降ろされやすい」


「賊と同じか」


 賊たちは自由に見えてしがらみが多い。殺しすぎると敵が増える。殺さないと部下がナメて反旗を翻す。

 施しを与えることで、直接の暴力を控えることができた。与える者を上位とする考え方は戦う者たちにとって一般的だった。


「上級役人はこういうこと言いがちにゃ」


 上級役人が中心となって書かれ伝承された論は、自己弁護を含む。役人が高邁な理想を抱いたとしても、下々の有力者が一族郎党の利益を増やそうとするから、不正を余儀なくされる、などと主張する。猫の人ミランディは、古典に含まれがちな役人の自己弁護を蔑んでいた。

 探索者たちに対してウラギリスは語った。


「統一戦争後から語り起こそうか。あまり遡っては話が長くなる」


 魔王が暴れた後のことだ。西都の地を中心とし、マリニアの祭儀を採用して、多くの部族が連合した。


「多数の困難が残された。一つが、戦士たちの処遇だった」


 先ごろまで戦争をしていて、安楽に暮らしたいと考えた。これはよい。

 将たちは義務として配下に豪勢な暮らしを提供しようとした。これもよい。

 彼らは暴力の行使にためらいがなかった。これがよくない。街にいてもらっては治安が悪化した。


「基本原理により、徒党を組んでものを奪うに至った。積極的に暴力を振るう親分が、よい親分だった。

 楽観的に、その世代が衰えれば治安が回復する、と構えた者もいたことだろうか。結局はそうでもなかった。次世代も、戦争など知らない世代も、荒くれの精神を引き継いだ。

 門閥貴族の、平民を巻き込んだ対立は絶えず、暴力の需要も絶えなかった」


 貴族の門閥は争い合った。こちらも親分子分の類型である。貴族は傘下の民草に恩恵を与え続けなければならない。施しの少ない貴族は支持を失い、外から奪って子分を潤す機会を逃さない貴族が勢力を伸ばした。

 暴力を欲した貴族と、暴力の使いどころを求めた荒くれ者とで、利害は一致した。


「統一の功労者たちが治安を乱すか。たまにある話だな。強引に武装解除するとか、どこかに追いやるとかで対処したのかな」


「後者だな。ちょうど政情の点で東方遠征をやれそうだったのだろう。東方の政情をさらに八〇〇年ほど遡って解説してもよいぞ。聞くか?」


「聞かない。東方諸都市の侵略だな。粗野な西の新興国家が、成熟した東都を併合し文化を吸収したという」


 西都の勢力は東都を征服し、文化を吸収した。後世には普遍帝国の東都時代と西都時代として語られる。


 ちょうど東方文明は斜陽と分裂の時期にあった。

 ある人々は、伝統の掟による統治を目指した。実態は門閥による利権の独占だった。

 ある人々は、貧富の差の解消を訴えた。実態は没落貴族の復権と敗者からの略奪だった。

 ある人々は、和平と通商の安定を掲げた。実態は新興富裕層による奴隷使役だった。

 西都勢力は食い違いを利用して対立を引き起こしたうえで介入した。


「政治文化の面も面白いがな。いま、むしろ俺は我らが兵士たちの精神を語ろう。

 安楽に暮らせるかと思ったら、戦争に駆り出された。不満もあったろう。

 そして、不満を覚えた以上に、高揚や一体感を覚えたようだ」


 帝国黎明期の東方征服行は、けして苦しいばかりの道のりではなかった。

 仲間とともに困難に立ち向かった。攻略計画を立て、着実に実行した。音に聞く偉大な東方の財物が、征服者を待っている。

 その苦難と成功は輝かしい記憶として後代まで語り継がれるのだ。


「後代では美化されたものだ。あの頃の兵たちは我が国のために困難に立ち向かった、とな」


 皇帝時代以降の帝国兵は面倒を嫌った。

 昔を懐かしむ者はその気質を非難した。今の帝国兵は栄光のおこぼれに与りたいだけで、国家に身を捧げる気概がない。黎明期の勇敢な戦士たちと大違いだ、と。


「うーん。黎明期に、一つの国って意識が果たしてあったものかな」


「素晴らしい。まさにそこだよ。

 遠征の兵たちは東方諸都市攻略という共同作業を通じて、〈帝国兵〉になっていったのだ」


 東方は防衛のために離間を企てた。いつもの手だ。出自や動機はさまざまと見えたから、仲間割れを誘うのは当然の戦い方だった。

 そして、離間は失敗した。


 同じ釜の飯を食う仲間だから信頼し合える。同じ村を略奪した仲間だから背中を預けて戦える。戦士集団の結束は固かった。

 現に一つの戦士集団として結束しているということは、何か結束を促す力があるのではないか。人々は、栄光ある帝国の兵士として自らを規定し始めた。


「東方諸都市を征服したところで、問題の先送りでしかない。我が国の評議会は、さらに北方遠征にやった。北方でも同じことだな。

 遠くに住まわせたところで、荒くれ者は消えはしない。我が国の中央貴族の争いは絶えず、乗じて我らの征服地での反乱が起こりがちだった」


 北方遠征は東方ほど盛り上がらなかった。寒さも地形も険しく、敵も散在しており、略奪品にも大したものがない。士気は下がった。軍のストライキも発生した。いい親分とは、はっきり要求を出せる親分のことだった。親分は子分に施しを与え続けなければならない。

 征服地が失われかねない状況で、貴族も軍隊も足を引っ張りあった。


「そして、我らが〈皇帝〉は創作された」


 捏造ではない。

 皇統とされたのは、たしかに最古の名門だった。争いで他の古い名家が没落した中で生き残ったからである。


 門閥の争いは激しかった。

 少し前から都市部で地縁や血縁の原理が断ち切られていた。一族とか同郷とかいった繋がりは、貴族の利害によって分断された。

 親分子分関係をもとに縦割りの社会が編成されていた。

 その頂点に、〈皇帝〉が立つ。


 貴族の力は皇帝の手で縮小させられ、門閥争いは歴史の前面から退いてゆく。

 旧来の門閥貴族に代わり、皇帝にまつわる利権が焦点となる。


 家門を問わず実力のある者が褒賞を得た。因習を引きずる貴族は没落し、活気は増した。

 戦士の処遇という問題に対する答えでもある。荒くれ者たちは、いけ好かない貴族をさしおいて皇帝陛下の信を得た。満足し、忠誠を誓った。

 親分の義務として収奪を競う代わりに、皇帝への服従を競った。忠義篤い親分が、いい親分だった。

 皇帝時代の始まりである。



「部族連合時代、皇帝時代、軍閥時代と分けたときの二番目か。ウラギリスが生きたのは三番目の軍閥時代だ」


 探索者ヴィクロムは記憶を確認した。


「軍閥時代か。そうかもしれないな。

 まず皇帝時代の第一王朝からだ。目立った戦争もなく平和な時代だった。六人の皇帝のうち四人は暗殺された」


「平和について考えさせられるなあ」


 皇帝時代、実権を持つ皇帝たちは暗殺されがちだった。暗殺しても国家が大きく揺らぐことはなかった。基礎がしっかりしていた。


「文化面では、三代皇帝ツナグスが女流詩人オモネリヤを使って我が国や皇帝たちの偉大さを強調した。

 二代皇帝ツグスは詩人プラデュスとともに宣伝を行なっていたから、その延長にあたる」


 詩人オモネリヤは愛国詩や武勲詩を残した。古代の神話や信仰実践について重要な情報源となっている。

 詩人プラデュスは引退後の田園詩で知られる。若いころは政治家として皇帝のもとで活動した。


「やがて六代皇帝暴君コロシウスが圧政を布き、後継者争いで揉めて第一王朝は断絶した。断絶に乗じて、ガリルス率いる我が国の北方軍が巫女を担いで反乱を起こした。

 第二王朝はその鎮圧から始まった」


 ガリルスの乱である。最初は軍の待遇改善を要求していた。やがて都の混乱と呼応して拡大し、一時は帝国を掌握するかと思われた。

 反乱軍が内部分裂を起こしたところを鎮圧することに成功し、鎮圧者が皇帝として即位した。



「第二王朝期といったら詩人カタリナオスが著名だな」


 亜竜人ヴィクロム・インヴィットには古典の素養があった。

 武人ガリルスが中北方の精神の代表なら、詩人カタリナオスは東方の精神を代表した。

 東方文明の神話を語りなおし、西都の国家神話と融合させた。オモネリヤの流れを汲むともいえる。


「カタリナオスとオモネリヤって同時代人じゃあなかったのにゃ」


「そうそう。意外とカタリナオスの方が百年ぐらい後なんだ」


 当世では、はるか昔の人物の先後関係など広くは知られていなかった。

 ウラギリスが再び話を続ける。


「以前から我らが軍の再編成が要求されていた。反乱を機に第二王朝のもとで改革が推し進められた。

 士気が高く土地勘があるからといって郷土で使うと、我が帝国に反抗すると考えられた。

 出身地混成の軍団を運用した。また、地縁で繋がりがちな徴兵や募兵よりも、給料で働く傭兵に重きを置き始めた」


 兵たちは金のために戦う、帝国を盛り立てる気概がない、と同時代の市民には非難されがちだった。



 ある笑い話が、軍事ストライキを揶揄して語る。

 しばしば軍人たちは未払い賃金を請求し、待遇改善を要求し、任務を放棄して示威行動に出た。

 地面に溝を走らせる代わりに山車を走らせ、槍を鳴らす代わりに笛を鳴らした。お祭り騒ぎだ。

 ある兵が文句を言う。


「俺たち、お芝居でお金もらうために軍人になったんじゃあないはずですよ」


 じつは役人たちとの間で話はおおむね決まっていた。兵たちが適当に騒いでみせたら和解が成ると、互いに最初から分かっていた。茶番である。

 経験を積んだ兵が応じた。


「貴様らが泥水啜って殺し合いせずに済むように、示威行動だけで軍役が終われば最良だって、先人は頑張ったんだ。

 俺たちの世代は、戦場で苦労した爺様方の話を聞かされた親父や親分の話を、聞かされてきたもんだ」


 登場人物は二人とも戦場を知らないのだ。平和な時代の話だった。



「以前から存在した配置換えの制度を、第二王朝の皇帝たちは、地方との癒着を防ぐために使った。未来人どもはこれを知っていたな?

 軍や行政官の任期は短い。地方民は苦しめられた」


 支配者層にとって被治者の苦しみは他人事だった。文官も武官も、任地をいかに利用して稼ぎ出世するかに関心を向けた。親分の義務として、取れる財産は取らなければならない。

 任地の民を思いやらないのは、配置換えが機能を果たした結果でもあった。


 それが第二王朝だった。



「そして英明諸帝の時代がくる」


「あれ。王朝は断絶したのか? 第二王朝と英明諸帝って別物だっけ」


 ヴィクロムが尋ねた。


「後継者選びの基準を、血統よりも実力に傾けた。ゆえに王朝と呼ばれない」


 英明諸帝の後継原理では、従来に比べて血統が重んじられなかった。実力のあるものを皇帝とした、と後世で讃えられることもある。


「それで皇帝が神の子として祀り上げるのが嫌だったのにゃ」


 ウラギリスは皇帝の系譜を神聖視し、侮辱行為を許さなかった。

 皇帝は東方の十二神の血を、直に引く子孫なのだと、誰かが言い出した。皇帝までも乗り気だった。

 神々の血を引く君主など、千年の皇統への侮辱だ。だから殺した。


「関係ないな。何であれ、我が皇帝を神々の子孫として神聖視するなど、呪わしい醜悪なのだ」


 言ってからウラギリスは日の光の方向へ顔を向け、胸を反らして、右手の指を上下に動かした。呪いを吐いたあとの、決まった動作である。

 向き直って話を続ける。


「英明諸帝はそれぞれ理想を追求した。一貫した方針があるわけでもない。

 傾向ならある。かれらは因習を廃した。また、苦しむ地方の民を救済しようとした」


 当時、伝統の祭祀も神話もとっくに形だけになっていた。いくつかの家門の利権としてのみ存続していた。皇帝はそれを弱めた。

 一方、帝国の威信は必要とされた。皇帝は地方官に、帝国の栄光の担い手としての使命を自覚させようとした。それは臣民への圧政を排除するという目標と一体だった。

 対外戦争には消極的か、積極策を取っても負けることが増えた。代わりに国内を豊かにした。後世にいう全盛期である。


 聞いていた兵士が言った。


「英明帝の時代か。ふん。自分さえ、今さえよければいい、って風潮が広まった時代だ。何のおかげで不自由なく暮らせるかを忘れて、いい気なもんだ」


 奢侈にふけった退廃的な時代と評する者は、当時から少なくなかった。兵士に言わせれば、軍事や土木が軽んじられた時代となる。


「そう。当時の西都で我らが英明帝たちは評判が悪かったらしい。

 理不尽に金を巻き上げて怠けものに与える暴君とも呼ばれた。

 理不尽を覚えた者を中心に、東方文明の学問や秘儀が流行した。我らが皇帝の権威を絶対視するのをやめた」


「ああ。自覚なき既得権益とはそういうものにゃ。しょォがないにゃ」


 当たり前に享受してきたものを、正当でないとして取り上げられれば、いかに理屈が通ろうと納得できないことはある。獣人ミランディは実例をいくつか知っていた。


「結果として我が皇帝たちは、中央で侮られた。周縁部では篤く敬われた。やがて食い違いは英明帝の時代の終わり、オルヴェラ河の戦いで分かりやすく現れることになる」


「現実の見えない田舎者どもは皇帝陛下を神と思ってしまったわけだ」


 兵士は苦笑いして言った。

 崩壊期の兵士たちは、当時じっさいに普遍世界皇帝の位にある人物が何の力をも持たないヨボヨボのジジイだと知っていた。それでいて、皇帝には神々しい力があると信じられていた。

 探索者ヴィクロムは素朴な疑問を提示した。


「民の救済とは、さんざん苦しめられたのが前提にあってのことだ。皇帝の地位や財源だって、地方からの収奪に基づいているのは無視できない。

 その頂点にある皇帝が、篤く敬われたのか」


 猫の人ミランディが応答した。


「ヴィク君。苦しんでいるのは仕方ないと思う方が、悪がまかり通って苦しんでいると思うよりも楽な状況は、あるにゃ」


 歴史語りの最中のウラギリスが応答した。


「それもあろう。そして、じっさいに我らが皇帝の力は地方の民を救済した。

 あの地方行政官は皇帝陛下の方針に背いている、と告発すれば民は圧政者を倒すことができたのだ」


 それが英明なる皇帝の策だった。地方民は行政官に対する武器を得た。

 皇帝が神格化されたのは、現実が見えていないからではない。皇帝がよい暮らしを配慮して地方民を助けてくれたのは、本当のことだった。

 当人たちにとって、想像も及ばない高みにある皇帝が傲慢な人間に罰をくだすのは、本当のことだった。

 そうして優しい皇帝と横暴な行政官とが対比され、一方で帝国の支配や勝手に決められる税制は、動かせない当然の前提として背景化していった。



 きっかけは軍隊の中の亀裂だった。

 ウル勢は反発を強め、もはや皇帝に資格なしと断じた。

 当該地方を含む南東一帯にはもともと、王が道を誤ると神が新たに正しい王を選ぶという王権観があった。さらに皇帝の支配は、各地の伝統と擦り合わせて、神格化され受容される傾向にあったのだった。

 ウル勢は勇猛な将を推挙して皇帝とし、正当性を主張する。戦争の始まりである。


「オルヴェラ河の戦いは始まりに過ぎない。皇帝僭称の前例ができたら、続く者も現れた。

 たとえば皇帝になる見込みの薄い皇子が、叔父と協力し、獣人の傭兵を利用した」


 概して、正統と思われる後継者は、当人の意思によらず反乱の神輿に担がれるものである。獣人傭兵隊長の名をとって、後世ではジーラの反乱と呼ばれる。

 帝国は乱世の軍閥時代へ入ってゆく。


「なるほど。帝国の統一や国防の機能が保たなくなって、いわゆる夷狄の侵入を受けるんだな」


「探索者。侵入を受けたとは、おかしいと思わないか? 軍閥が我が国の辺縁部で権力を持ったら、夷狄に弱くなるのか?」


 ウラギリスが問いかけた。

 オルヴェラ河の戦いのしばらく前から、外敵への対処や交易秩序の整備を、諸地方勢力が主導していた。

 広がった領土の隅々までを中央が管理できるはずもなかったからだ。

 軍閥が権力を持った背景には、夷狄の侵入を防ぐという差し迫った目標があった。


「たしかに。

 ああ、いやいや、違うな。物資の輸送は滞るんじゃあないか。あんたの大好きな街道網だ。

 いくら軍が結束を固めたって、ものがないでは戦にならない」


「それもある。侵入を受けたという面は、もちろん無視できない。

 夷狄が侵入したというのは一面的な見方に過ぎない、と俺は言おう。

 昔から、公式に権限を認められた既存勢力に皇帝の最高権力を侵犯させないための常套手段として、非公式の新興勢力を使ったものだ。武勲ある兵士だった。奴隷出身者だった。そして夷狄が取り入れられた。

 夷狄は侵入しただけではない。招き入れられたのだよ」


「ああ。そういう話ね。

 いわゆる皇帝時代の帝国史はこれで一通りか?」


 魔法使いの長話は、魔法の行使に近い。

 意味内容よりもむしろ効力がものをいう。何を伝えようとしているか、というよりむしろ、この発言行為によって何をしていることになるかが、ものをいう。


「長い話だった。とはいえ上古代の帝国史を描き出すにしては猛スピードと言えるよな」


 ウラギリスは重要な皇帝を何人も飛ばして語った。

 身分制も土地制度も税制も貿易も技術史も語らなかった。


「ウラギリスは個々の皇帝のなしごとにも、大した関心を払っていなかったよな」


 第一王朝、第二王朝の皇帝たちも、英明諸帝も、それぞれ個性あふれる人物である。昔から多くのエピソードをまとってきた。


「探索者よ。我が国が個人の判断に頼るならもっと速やかに滅んでいる。

 後継者はどうする? 我が皇帝陛下に必要な情報を取捨選択するのは誰だ? 権力は一人では行使できない」


 ウラギリスは個人としての皇帝の行為に注意を向けなかった。大きな流れを描いた。

 軍に人や金を浪費する悪帝たちを退けた。だから、効率化を図った軍隊が特定の辺地と癒着した。

 軍や代官と土地の有力者とが結びつくのを否定した。だから、地方は収奪の対象とされた。

 苦しむ民の救済を進めれば、皇帝の地位は絶対のものとなった。皇帝として支持を得るのに血統の原理は必要なくなった。そも、古くから、実力と実績によって出世することは尊ばれてきた。だから、軍閥がのさばり皇帝が乱立した。



 探索者は思案した。

 帝国はもう終わっている、しかもそれは何かが間違ったのではなく正しく動き続けた結果だ、という話にウラギリスはしようとしている。それが魔術効果の一部をなすと判断される。想定される企みは責任回避か。


 魔法使いの長話に対して不明点を詳らかにするのは、下手な対応である場合がある。聞き手が頑張って情報を引き出し理解する、という形にはまると、魔法使いの展開する世界認識に呑まれやすい。

 論の内容の当否にかかわらず検討に値しないとして退けることができれば、最もよい。

 聞き手がとる定石は、想定されていない論点や、論者が当たり前と思っている前提を突くというものである。


「皇帝時代はじめの詩人が出てきたな。

 国家の宣伝を、二代皇帝ツグスが詩人プラデュスとともに行なった。三代皇帝ツナグスは詩人オモネリヤを使った、って言い方をしたと思う。

 ふつう逆じゃない?」


 オモネリヤは国家への忠誠を抱いて熱烈に賛美した。

 一方プラデュスは生計のために皇帝に仕え、詩を作った。隠遁後の方が精力的に詩作に取り組み、田園風景と権力批判を歌った。

 プラデュスに比べてオモネリヤの国家讃美は当人の意にそぐう可能性が大きい。

 詩人プラデュスを使った、詩人オモネリヤとともに行なった、と言う方が当世の探索者ヴィクロムの印象には合った。


「むしろオモネリヤが国家の宣伝をした、って方がしっくりくる。三代皇帝ツナグスって帝国の拡大や神格化には慎重だったと思うし」


「それでは名門貴族の出身でもない女流詩人が政治にかかわったと聞こえるではないか」


 ウラギリスの常識ではありえない話だった。

 論者が当たり前と思っている前提である。


「なるほど、身分制と古代家父長制か。

 名門でもない女の人々の従属的地位は、自明だったわけだ」


 自由市民男子が屋敷を構えて家族の主となれば、妻子眷属に対して全面的な権限と責任を持つ。それが家父長権である。

 妻子眷属とは、妻子、甥、姪などに加えて住み込みの奉公人や奴隷を合わせたものである。これらが権限を侵せば、家父長の一存で殺しても、理論上は合法になりえた。


 探索者は思案した。

 古の賢人が想定していない論点、当たり前と思っている前提としては、ベタである。お前は身分制や古代家父長制を信奉しているという指摘を、古代人相手に言っても、効果は薄い。


「それで言えばジーラの乱もにゃ」


「獣人の傭兵隊長ジーラが皇弟を説得し、皇子を担いで反乱を起こした。たとえばそう語るな。当世だと」


 皇帝になる見込みの薄い皇子が、叔父と協力し、獣人の傭兵を利用した、とウラギリスは言った。

 しばしば獣人の地位は過小評価されがちで、皇統に属する人間の役割は過大評価されがちだった。


「ヴィク君。ちょっと思いついたことがあるにゃ」


「どうしたのにゃ、ミランディ」


 訛りが移っていた。


「この時期の南西部には寵姫政治があった可能性があると思うにゃ」


 ウラギリスは南西部の超皇帝を暗殺した。兵士たちは、女の尻を追いかけて皇帝暗殺に及んだと非難した。


「なるほど? うーん。

 なあ、ウラギリス先生ぇ~。超皇帝陛下に侍る姫様や娘さんっていうのがいたんじゃあないかな」


「まとわりつく、と言った方がいい。貴族も蛮族の姫も、商家の娘もやってきた。それぞれ自分の家に利益を誘導しようとしたものだ。

 もちろん俺の陛下は色香に惑わされることなどなかった。むしろ民草の情勢を把握するために情報を有効活用したのだ」


「やっぱりにゃ」


 権力は一人では行使できない

 歴代の皇帝たちは貴族や官僚を弱めるべく、公式な権力を持たない勢力を使ってきた。かつて武勲ある兵士、奴隷出身者、夷狄が取り入れられた。

 寵姫政治はその一種でもあると言いうる。


「その話一言もしなかったよな。もう一つ質問だ。

 ウラギリス閣下。あなたは、宮廷に出入りする女の人と、性交渉に及んだことがありますか?」


 諾否疑問文である。はいかいいえで答えることができる。

 ウラギリスは沈黙した。

 沈黙が、答えだった。


「は。

 本当に痴情のもつれかよ。×××(男性器俗称)野郎。

 兵士諸君にも謝らないとな。先入観で、つまらない奴などと決めつけてしまった。

 おかしいと思ったんだよ。暗殺に至る経緯を説明するのに七つの教派の前提知識が必要だとか言ってさ」


 ウラギリスの賢人としての威信が急速に貶められてゆく。

 対人殺法と呼ばれる技だ。魔力ある弁論を却下するために、術師の属性に訴える強力な技である。


「待て。痴情のもつれと俗に呼ぶ事象があったとして、皇帝暗殺とただちに関係があるとは言えまい!?」


「自分に不利なこと伏せていそうだよなあ」


「絶対に伏せているはずにゃ。それを習慣としてやれないと、権力なんて握れないにゃ」


「寵姫政治など政治のうちに入らない。私事だと判断したから省略したッ!」


 ウラギリスは食い下がった。このまま、色情のためだけに皇帝を殺したと片付けられて終わるわけにはいかない。


「皇帝の寵姫に手を出して私事で済むわけないだろ。淫乱な男だよ」


「く、こっ、言葉がおかしいぞ。淫乱という語は女と獣人にしか使わぬ」


 ウラギリスは時間を稼ごうとした。

 自分の威信を回復するには、単純な方法がある。皇帝暗殺の大義をぶち上げればよい。暴君への反抗者とか正義の忠臣として自身を演出すればよい。

 その単純な策を、ウラギリスは取ることができない。

 ウラギリスは裏切り者だ。超皇帝はまぎれもなく王の器だった。偉大な皇帝を悪と読み替えることを、ウラギリスは自身に許せない。帝国と皇統の偉大さこそは、皇帝を暗殺してでも守らなければならない最上の価値だったからである。


「何が言葉の誤りだ。お前が蔑む人間に、お前自身が近づいたんだろ」


「ふん。声が震えているぞ、探索者」


 探索者ヴィクロムにとって、淫乱の語は女にしか使わないという答えは、予想の範囲内だった。女と獣人にしか使わないという答えは予想を、野蛮側に外れていた。


「震えているさ。義憤でな。ここにいるミランディさんには義務があるんだ。侮辱に血で報いる義務だよ」


 ある獣人たちは侮辱を受けた場合、とくに身体にかかわることがらを揶揄された場合、流血で報いる義務を持つ。

 居合わせた一人の獣人の望むと望まざるとを問わない。神に対する義務は当事者間の関係や当人の心情に優先する。


「その猫獣人は奴隷と名告ったのではないか?」


「奴隷にそんな責任はないって言いたいのか?

 だったら俺が果たす。

 獣人をおしなべて侮ったという真実にしたがって、ウラギリスは額に傷を得て血を流せ」


 すると、ウラギリスは額に傷を得て血を流した。

 浅い切り傷が目の上を走った。


「驚かせるな。死ぬかと思ったぞ」


 まともに受ければ、頭をかち割られて死んでいた。

 ウラギリスと同時代の多くの獣人は、侮辱に殺害をもって報いる義務を持った。当世よりも野蛮な時代である。ウラギリスにとって、そちらの方がなじみ深い。


「部族の掟による裁きで俺は殺せん。我が国の市民は正式な裁判によらねば死刑に処されないからな」


 大いなる力には大いなる手続きが伴う、と形式魔術学派が言う通りである。

 帝国の法秩序がウラギリスを守り、単に言葉通り血を流すだけで済ませた。


「効かないか。俺もあまり信じていないから、かな」


 術者である亜竜人ヴィクロム・インヴィット自身は、獣人の聖なる報復の義務をあまりよいものと思っていなかった。それゆえに確かな効力を引き出すことがなかったと解釈することができる。


「それは美徳でもあるにゃ」


「ありがとう。聖なる掟を勝手に使ってすまなかった」


 かれらに対して、ウラギリスは額の血をぬぐって言った。


「反撃だ、探索者よ。お前の方が×××(男性器俗称)野郎だ」


 定番の反撃方法である。

 対人殺法に反駁して、自分はそれに該当しない、と言っても効果は薄い。たいていは、相手に対人殺法を返す方がよい。


「何だ。俺が女の人に背中を踏まれて興奮する話でもするのか?」


 亜竜人ヴィクロムは先手を打って開示した。開き直るのは対抗策の一つである。

 ウラギリスは続けた。


「その通りだ。お前の能力実績(ステータス)表にはサキュバス権限でのみ開示される欄があるな?

 俺が開示してやろう。我が陛下にまとわりつく寵姫どもは淫魔に等しい。俺ことウラギリス・ソムクはその一人をものにした。よって、その権限において開示する」


 理屈が通っていない。


「は? 家父長権が及ばないからサキュバスは魔性なんだろ」


 ヴィクロムの反駁を無視し、ウラギリスは短い呪文を唱えた。


「ステータス、オープン」


 すると能力実績(ステータス)が開示された。


 好んで足蹴にされた回数が示された。

 搾り取られた経験点の合計が示された。

 掛けられた状態異常の履歴が示された。

 探索者ヴィクロムが積み重ねた行為の軌跡が空中に文字と図形として現われた。それらの項目は、およそ性的と位置付けてなしてきた行為を明らかにする。


「お前、お前ェーッ!

 面白いと思ってんのか? 信義に背を向けるのは皇帝暗殺だけにしろよ!

 サキュバス権限ってステータスは俺自身も見れないんだ。相互の信頼や礼節ってものがあるんだよ! 勝手に開示するな! 彼女たちに謝れよ!」


 形成は逆転しつつあった。対人殺法のリスクだ。人の属性に訴えた攻撃は、同じ属性が攻撃者に見出されることによって、呪い返しを受ける危険を帯びる。

 兵士があざける声を発した。


「聞いたか、彼女たちだとよ!」


「お前にまで笑われるのかよ」


「ンザッハハハ! オラハハハハ!」


「笑い方気持ち悪っ」


 帝国兵には、古代家父長制を前提とした男としての規範があった。探索者ヴィクロムはそれを軽んじており、態度にも表していた。

 その反感と、開示された情報の滑稽さは、ウラギリスへの憎悪にまさった。


「好んで女に屈服するなら、その娘に庇ってもらえばいいだろ探索者ちゃんガハハハハ」


 こうした時の帝国兵の嘲笑には際限がないものであった。


 そして、天の声が降りた。


【魔王の名において、汝ら兵士どもを譴責する。

 付帯テキスト:淫魔たちとは、わたしの眷属も同然である。その者たちを蔑ろにすることは許さない。】


 効果は劇的だった。


「ああああああ!!」


 これまで一度も口を開いてこなかった一人の兵士が、叫びを上げた。


「助けてください。仕方がなく、いや違う。助けてください。

 俺じゃないんです。俺じゃない。俺じゃない。俺じゃない。俺じゃない。俺じゃない」


 かれは蹲って震え、啜り泣き始めた。

 これまで調子よく喋ってきた兵士も、怒声の大きな兵士も、魔王つまり神の声の前に、畏まって黙っていた。


 客なる神には、機嫌よく帰っていただかねばならない。異界から来訪者があれば誠意を込めてもてなす必要がある。何かあれば恐ろしい災いを被りかねないからだ。

 この信仰習慣はやがて中古代を通して各地の村落で、客人や巡礼者への歓待儀礼として根付いてゆく。


「ていうか俺を庇うわけではないんだな。淫魔たちは眷属も同然だから、か」


【ヴィクロム・インヴィット、五点減点。あなたの魔王城ポイントは一一二九八〇点です。

 付帯テキスト:甘えるな。】


「いつの間にかポイントがめちゃめちゃ増えているにゃ!?」


 猫の人ミランディは驚きを露わにした。驚きのあまり尻尾も真っすぐになった。


「そうなんだよね。ありがたい話だよ」


 探索者ヴィクロム・インヴィットは落ち着いていた。周囲の全員が大きく取り乱していたせいだ。逆に落ち着いた。


 魔王の声が全員の心に浸透してゆく。

 お前たちは、何も見なかった。

 何の項目があり何の位階や数量が添えられていたか、お前たちは思い出すことがない。


「助かりました。ありがとうございます」


【ヴィクロム・インヴィット、五点減点。あなたの魔王城ポイントは一一二九七五点です。

 付帯テキスト:甘えるな。お前のためではない。】


「肝に銘じておきます」


 亜竜人もいつになく畏まっていた。


【魔王の名において、ウラギリス・ソムクに申し渡す。】


 迷宮内アナウンスは止まることなく、今度はウラギリスに矛先を向けた。


「なんか嫌な予感してきたな」


 亜竜人ヴィクロムは目を閉じてまじないを念じた。

 魔王の声が続く。


【ウラギリス・ソムクは計画のうえ皇帝を暗殺したこと二度にわたった。また、皇帝の愛人と通じた。当愛人の権限を詐称した。これらは重度の反逆罪にあたる。】


「まあ、たしかにそう、だろうなあ」


【以上により、ウラギリス・ソムクを死刑とする。】


「え?」


 そして、ウラギリスの一方の耳から他方の耳までを、巨大な鉄の板が通過する。首が落ち、遅れて胴が倒れる。

 裏切り者の報いの刑死だ。


 ウラギリスの死を見て、亜竜人は言った。


「〈未来視〉を終了する。魔力点を五〇ポイント支払う」


 それが、魔法の完成だった。



 迷宮内アナウンスは止まることなく、今度はウラギリスに矛先を向けた。

 魔王の声が続く。


【ウラギリス・ソムクは計画のうえ皇帝を暗殺したこと二度にわたった。】


 魔王譚文脈の亜竜人ヴィクロム・インヴィットは割り込んだ。


「その申し渡し、待った。不服がある。帝国市民は裁判抜きに処刑されない」


 探索者ヴィクロムはウラギリスを庇った。ウラギリスは探索者の方を向いた。首が胴についた状態である。当然だ。ウラギリスが首を断たれるのは、ヴィクロムが見た、介入しなかった場合の直近の未来のできごとに過ぎない。

 それを〈未来視〉で知ったから、かれは割り込んだのだ。


「何を言い出す、探索者?」


【ヴィクロム・インヴィット、五点減点。あなたの魔王城ポイントは一一二九七〇点です。

 付帯テキスト:お前はわたしに向かって汚い手を使ったな。】


 すかさずヴィクロムは言い返した。


「汚い手を使ったのはあんたの方だ!

 ところで今の二回は本当に減点だな。加点タイミングと減点タイミングが別で、後者だけそれと示してくれるのかな」


 悠長な感想を付していた。

 かれほど悠長に構えていないウラギリスと兵士とが、詰め寄った。


「正気か貴様!?」


「バカな真似はやめろ! 頼むから退いてくれ! 俺たちまで祟り殺されるだろ!」


 客なる神に歯向かうのは正気の沙汰ではなかった。

 探索者ヴィクロムは退かない。


「止めなきゃあウラギリスが殺されるんだよ」


「いいことだろうが! 何が裁判だ。反逆罪なんてまともに裁かれる方が珍しいんだよ!」


 兵士たちは知っている。反逆罪を犯したらその場で殺してもよい、といった例外規定を濫用する事態は多かった。

 邪悪な政治屋を裁くときだけ都合よく原則を思い出すのは、正義というものに対する冒涜とすら思われた。


「裏切りカス野郎を生贄に捧げて神様魔王様を祀れば、全員が幸せになって話は済むんじゃあないか!」


 兵士たちは必死だった。

 神として祀られた魔王やその熱烈な信奉者を、ふだんはうっすらバカにしてきた。紛れもなく当の神が語りかけてきたというのなら、話は別だ。

 生贄を捧げてでも、おそるべき客なる神には、機嫌よく帰っていただかねばならない。


 探索者ヴィクロムは言った。


「強そうな相手には弱気か、臆病者? ××××(雄性生殖腺俗称)ついてんのか、と言っておこう。

 お前が信奉する男としての規範に、違反したんじゃあないか。この真実にしたがって、お前の生殖能力は失せよ」


 すると、兵士は女になった。

 兵士は自身の身体の急激な変化を覚え、恐るべき事態を把握してゆく。

 その肩、その胸部、その腰、その力の入りようを把握してゆく。


「何だ、これは! 俺に何をしたんだ!?」


 手のひらで身体の各部に触れ、高音に移り変わってゆく声で、兵士は問うた。

 探索者ヴィクロムは答えた。


「いや知らん! なにそれ!? こわ」


 術者にも計り知れない効果だった。

 古代の兵士が当たり前に信奉した価値観が、当世のひねくれ者であるヴィクロムには想定すらできなかったのだ。

 兵士にとって、男の行動規範からの追放が、女の行動規範の受容を意味することは自明だった。加えて前者が生殖能力の喪失と結びつくならば、女になることを意味すると当人には認識され、身体の変化という効力が実現した。

 なってしまったものは仕方がない。みだりに人を呪詛してはならないことが、よく分かる。


「ギャハハ! ガレンティナ!」


 兵士に、かつての名前を変形した女性名が付された。


「うう。俺は、私は今日からガレンティナとして生きてゆくのね」


「それはそれとしてウラギリスだ」


「それはそれとするな! しないでよ!」


 依然としてウラギリス・ソムクは正当でない裁きにより処刑されそうな状況であった。


「たとえその死が正義に適うと誰もが認めても、その仕方で殺されてはならない。

 ウラギリスが上古代マリニアの王の権限で処刑されることは正当でない。

 国が滅んで王権が残るなど滑稽だ。そうだろう、ウラギリス」


「まあそれは実際そう」


「もう魔王様にはお帰りいただいていいんじゃあないか。それからガレンティナさんの責任を取る方に移ろう」


【帝国の正統なる法に基づいて、反逆罪にかかわる決闘裁判を求める。】


 天の声は止まなかった。


「まだあるのか。正統なる法なのか、ウラギリス?」


「重度の反逆罪を裁くとき、反逆を疑われた者が剣によって正義を示す慣習は、たしかに正統な法に認められる」


「マジかよ」


 すると、その部屋の床に、中央から紋様が広がった。

 光の曲線が蔓状に分岐を生やし、右回りと左回りを数度繰り返し、床を埋める。

 埋めるかと思えば、出発点から順に消えていった。

 床を埋めた紋様が消えると、外周から中央へ数条の線がうねって伸び、放射状の模様を作った。


 蜘蛛の巣に似て蜘蛛の巣と異なる。雪の結晶に似て雪の結晶と異なる。

 魔術のための記号化された紋が、ひとりの戦士を喚起した。


【第四の番人、利剣(リツルギ)が立ち上がりました。あなたは試練を受けなければならない。】


 その剣こそは、ならなかった未来でウラギリスの首をはねた処刑の道具である。


「君を守る」


 大剣をそなえた鎧武者が、探索者たちと相対した。


「ようやく俺の分かる話に近づいてきたな」


 探索者ヴィクロム・インヴィットは、息を吐いて吸い、高らかに宣言した。


「迷宮探索者として、ヴィクロム・インヴィットは、階層主の討伐を開始する」

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