ウラギリスの裏切り その三
「南西部で帝位争いに巻き込まれたんだっけ。皇帝と叔父が争って、ウラギリスは脅されるんだ。東で皇帝を暗殺したのを知っているぞ、と」
「後世の創作だな。皇帝暗殺は我が国の伝統だ。大義があれば、暗殺行為は恥じる理由や脅迫材料とならない」
皇帝時代、最高権力を握る皇帝たちは暗殺されがちだった。暗殺しても国家が大きく揺らぐことはなかった。下部組織がしっかりしていた。
ウラギリスの時代で皇帝暗殺は国家滅亡に繋がる。暗殺が滅亡につながらなかった時期に形成された伝統が、ウラギリスの立場を守った。
皇帝を神格化したからこそ、皇帝をめぐる古い伝統は軽視できない。内乱を経て、名目ばかり神に等しい実権のない皇帝となったあとも、伝統は力を持った。
「やばい国だったんだな」
上古代の帝国は、盛期も衰期も暗殺が横行するやばい国であった。それゆえ非業の死を遂げた皇帝や武将は多い。
かれら往時の英雄たちを悼む秘儀が、南西部で公認された。
人々は社会不安の中で拠り所を求めた。多くの新たな思潮や信仰が現れた。後世にいう天教や主神教が形成されつつあった。後世に残っていないものも多い。
皇帝が実権をなくし、権威を高めようとした、歴史の中の一幕だ。
軍閥が各地で皇帝を立て争い合った。皇帝が乱立し、減らし合って、三人に落ち着いた。
南西部には超皇帝が君臨し、帝国再興を狙っていた。蛮族の族長争いに帝国軍の残党が引き入れられ、便乗する形で立てた皇統である。
「当地にはさまざまな対立があった。最も重要なのは信仰上の対立だ。その中で英雄慰霊を公式に採用したのだ」
「英雄慰霊か。非業の死を人形とかで再現して、人身御供って物言いがついたやつね」
探索者ヴィクロムが相槌を打った。
人身御供と謗られた信仰がいくつかあり、おおざっぱに、批判した側が天教を形成し、批判された側が主神教を形成したと言われている。時代が下っても天教は主神教のことを人身御供の邪教と呼んだ。
「信仰が高じてほんとうに自分たちを傷つける英雄慰霊の実践者もいたぞ」
「そうなんだ」
「色々な信仰が流行った。互いに競合相手の滑稽な一面を強調して邪教認定した。どの宗門でも、一部は熱狂して破滅的な行動や破綻した理論に走った。
もっとも、どこの信徒も大半は穏やかに暮らしている。都市部でも、当たり前に誰もが何かしらの秘儀に属しているものとして日常生活が送られた。
熱狂的な信徒たちは自滅する傾向にあった。穏当な信仰実践は他と混じりあい、何の神を崇めているのかも分からなくなっていった」
「なるほど。当時さまざまな信仰があって、互いにパクり合っていたのにゃ。軍隊が信仰を広めた結果にゃ」
「軍隊が広めた? 帝国軍と土豪の癒着を防ぐ、辺境防衛の配置換えといったやつか。そうなのか、ウラギリス」
「結局、我らが軍と土豪どもとの癒着は起こったな。百年以上も保ったのだから上出来と呼ぶべきか。軍閥時代に入ると、混乱が続いた」
特に乱世にあって、軍人は不合理に見える信仰に走った。
何かしら超越した価値を信じていなければ耐えられなかった。過失の有無にかかわらず隣の同胞が命を落とし、隣の同胞が命を落としても変わらず続く戦闘の場に、耐えられるはずがなかった。
ある人々は名声を重んじた。ある人々は武将や皇帝、あるいは帝国に忠誠を誓った。
戦士の名声や立派な人格者や栄光ある国家が信じるに値しなくなれば、神を崇めた。
ある人々は女神を崇めた。戦場は女神の腕に抱かれていた。
手負いの雌熊の抱擁だった。
逆巻き波立つ海の嵐だった。
怒った山を転がる岩だった。
かの女神は、自然神格よりも抽象的である。同じぐらいどこにでもいる。
破壊と殺戮が、かの女神である。
「南西部には外来の〈魔王教〉または別名〈マリニア宗〉が定着していた。支配者層が嫌いな種類の信仰だ」
抽象的な破壊と殺戮の女神は、具体的な歴史上の人物や建造物を通して祀られた。
その具体的な歴史上の人物の一人が、上古代マリニアの女王、いわゆる魔王であった。
まず傭兵たちの間で「マリニアの民」を自称する人々が現れた。名将や強兵たちを輩出した土地である。
やがてかれらは、帝国黎明期の魔王を神として崇め始めた。〈魔王教〉の成立である。
信徒には、常識で考えて昔のマリニアにいたわけがない文化集団も含まれた。南東方のエルム人が魔王のもとにいたわけはない。西方蛮族の言葉が魔王のもとで話されたわけはない。
そのかれらが現に参加しているということは、生まれによらず「マリニアの民」になることができるということになる。
生まれた土地や家系は問われない。入信儀礼を経て、魔王に絶対の畏敬を寄せる者が、「マリニアの民」なのだ。
いわく、魔王は帰依する者に慈悲深い。何があっても力になってくれる。
ナメてかかる者には容赦しない。必ず惨たらしい死体を晒すことだろう。史実に基づいた、信頼すべき応報の原理である。
「支配者層が〈魔王教〉を嫌った、っていうのは、教義が反権力的だったとかか?」
亜竜人ヴィクロムは尋ねた。
「いいや。教義が反権力的なのは〈魔王教〉に限った話ではない。〈魔王教〉の場合、東方で混乱を起こした邪教という記憶が強く刻まれていたのだ」
ウラギリスは答えた。
東方で〈魔王教〉の信徒たちは、死後千年経つと魔王が復活すると信じ、巫女を担いで反乱を起こした。魔王の正確な死期など分からないため、反乱は何度も起こった。
反乱を起こしたい人々に口実を提供した面も大きい。
やがて過激な信徒は集団自殺を行じ、東方の〈魔王教〉は廃れていった。
東方人や各地の支配者層には危険思想の印象が残った。
「南西部の村落に〈魔王教〉が定着していた。過激な側面は薄れていた。
やっている儀式も、クロノスの秘儀とかアティスの秘儀とかオモネリヤ崇拝に近い」
「知らない宗教を急にいくつも出してくるな」
熱狂的な信徒たちは自滅する傾向にあった。穏当な信仰実践は他と混じりあい、何の神を崇めているのかも分からなくなっていった。
天教や主神教にも〈魔王教〉の影響は長く残った。後世では、そのような昔の邪教の習慣とは思われずに実践された。
「オモネリヤは詩人で、アティスは港町かその守り神か。クロノスは東方文明の神だな」
黒き大地の巨人クロノスは、東方文明の古い信仰の対象である。
帝国崩壊期になると、古い信仰実践は完全に忘れられており、クロノス信徒と称する者たちは独自の秘儀を行じていた。クロノス信徒と称しない者たちも似た秘儀を行じた。
「〈魔王教〉は豊穣の祭儀として受け入れられる傾向にあった。魔王信仰と思いながら豊穣祈願を捧げたわけだ。農耕神である黒き大地の巨人クロノスと習合するのも頷ける。
儀式行為はどれも当たり障りがないから、魔王という名前さえ挙げずにいてくれれば穏便に済むはずだった」
支配者層の中で〈魔王教〉の印象はあまりにも悪かった。誰か、たとえば超皇帝が、村落の支持を得ようとすれば、邪教の実践者として政敵から攻撃を受ける。
村人たちに、その実践は〈魔王教〉と無関係だと説く試みもなされた。結果は芳しくなかった。
村人は言う。
「魔王さまと関係ないわけはない。どうかそう言わないでほしい。あなたは死んでしまうし、私まで神罰を被りかねない」
魔王に殺されるのを恐れず、知った口を叩いて侮る者は、話の通じない危ない人間だと、村人に認識された。
もっと悪いのは、説得に成功した場合だった。過激化するのである。
「おかしいと思っていた。私たちの実践は真の〈魔王教〉ではなかったんだ。真の信仰を求めたい」
「王への態度を誤ったのは本当に恥ずかしいから、自殺しなければならない」
結局、村落の〈魔王教〉は放っておくことになった。穏当に実践し続けてくれるのが一番だった。
「えーと。どうなっているんだ? とにかく、宗教対立か。南西部で支配者層は英雄慰霊を推して、村落には名ばかりの魔王教が定着していたんだな?」
ヴィクロムは整理しようとした。
「おおざっぱには、そういうことだ」
「おおざっぱか。すでにけっこう複雑だと思うぞ」
ウラギリスが知る事情には、もっとはるかに込み入った部分があった。
「できる限りおおざっぱに語ろう。
俺は超皇帝陛下に仕えた。融和政策を企んだ。
じつは英雄慰霊と〈魔王教〉とは相性がいいとすらいえる。非業の死をとげた英雄たちに、中北部地方つまりマリニアの出身者は多かった」
「あれ。マリニアの民に出自は関係ないんじゃあなかったか」
ヴィクロムは疑問を示した。
生まれた土地や家系は問われない。入信儀礼を経て、魔王に絶対の畏敬を寄せる者が、「マリニアの民」なのだ。
それが〈魔王教〉のはずだった。
「過去の時点では違う。皇帝時代にいうマリニアの民とは、もちろん中北部地方のマリニア住民を指した。
当地出身の歴史上の英雄たちを、マリニアの民だったと呼んでも何も間違いではない」
「ズルをされている気がする」
ウラギリスは、それを聞いた〈魔王教〉の信徒が、同胞と捉えることを想定している。
「こういうのばっかだな。先の、皇帝暗殺の位置付けだって同じだ。
皇帝時代と崩壊期でまったく違う意味を持つのを、しれっと同一視したんだ」
「歴史編纂には、ありがちな話にゃ」
猫の人ミランディは軽蔑と警戒を露わにした。
「本当の欺瞞はここからだぞ。俺は我が皇帝の権力のために大きな嘘をぶち上げたのだ」
ウラギリスは面白がりながら言った。
「俺は出まかせを掲げた。我が国の祭祀はもともと魔王から簒奪したものだった、と」
それは、探索者たちが聞いたことのある主張だった。
「皇帝時代半ばの、ガリルスの乱を鎮圧したとき、真実が隠蔽された。非業の英雄ガリルスとともに大義名分をも葬ったのだ。
その時点から数百年前の魔王戦争は、対外戦争として読み替えられた。魔王戦争当時は形をなしていなかったはずの我が国が、すでに確固として存在しており、マリニアを征して併合したことにされた。
もし事実に反してガリルスが勝っていれば、数百年前の魔王戦争は、魔王の勝利による祭祀の統一と国家の成立として解釈されていたかもしれない」
「覚えのある話にゃ」
「ああ。祭祀者ウァコルが同じことを言っていた。魔王側当事者からするとウラギリスの出まかせは真相を当てているわけだ」
「何だ? 俺と同じことを言うやつがいたのか?
魔王と名の付く信仰なら受け入れる層を満足させる必要が俺にはあった。同時に、我が国の祭祀を実現したい層を黙らせる必要があった。
後者の、自称貴族の末裔は面倒だったな。伝統の祭祀など見たこともないくせに無駄に声がでかい。
俺は政治上の目的のために嘘を掲げたんだ」
ウラギリスは皇帝の側近として便利な大義名分を立てた。それは歴史の偶然が重なった結果、千年も前に魔王のもとにいた祭祀者の見解と一致した。
理屈の通る解釈もある。
偉大な魔力を持つ古の王が、自身について抹消された真実を明るみに出したのだ、とする。
夜中にいい子にしていないと魔王に連れてゆかれると、お前は、聞かされたことがないか。
落日の帝国にあって、破綻した体制にあえて従わない民を導くため、わたしは現れたのだ。
「なんか怖くなってきたな」
亜竜人ヴィクロムは話題を変えようとした。
「まあいい。ウラギリス。お前は宗教対立を調停しようと試みた。
それはいいとして超皇帝はどうした。影が薄い皇帝だったのかな」
そう尋ねられてウラギリスは、いっそう疲れた表情になった。
「まさか。我が超皇帝陛下は本物だ。神々しいまでの帝王の器だ」
いかに正しい策を立てても、うまくいくと信じてもらわなければ成功しない、という領域がある。超皇帝には、信じたいと人に思わせる力があった。
「あえて言えば我が陛下には理念が足りなかった。俺には補うことができた。
我が陛下と俺には信頼関係があったと思う。讒言や誣告を寄せ付けない相互の信頼だ」
「いいじゃん」
「いいものか。俺は陛下を裏切った。俺が裏切ったのは生涯でただ一人、我が超皇帝陛下だけだな」
「東方の日月天地大皇帝の暗殺はウラギリスにとって裏切りではないんだ」
ウラギリス・ソムクは、その生涯の中で少なくとも四人の主君に仕え、かつ殺害したと知られる。
探索者たちは、すでに日月天地大皇帝の暗殺について聞かされていた。
「俺の超皇帝陛下に非は一切ない。俺が一方的に信頼関係を裏切ったのさ」
東方の日月天地大皇帝には、非があったから殺した。ウラギリスはそれを裏切りと捉えない。
「なんで、って尋ねてもいいか。超皇帝との間に何があったんだ。嫌なら答えなくてもいい」
「何もなかったよ。あったのは他の者たちだ。たとえば親ウラギリス反皇帝派だ」
「そんなのいるんだ」
「いかにもいそうにゃ」
皇帝が信頼しているだけで立場が安定するわけではなかった。暗殺は帝国の伝統だ。皇帝を惑わす佞臣として排除される危険がウラギリスにはある。
ウラギリスを支持する諸派には、皇帝の権力が膨らむのを好まない者も多かった。
皇帝と貴族層とは対立関係にある。皇帝時代の一時期には、粛清を繰り返して対立を激化させ最終的に殺されるのが、皇帝や宰相の典型的な生涯ですらあった。
「俺の超皇帝陛下は優しかった。粛清をしなかった。
正解だろうな。皇帝時代と違って訳の分からない狂信者も山ほどいる」
派閥は対立を深め、膠着状態に入った。やがてウラギリスは気づいた。
「暗に期待を寄せられていた。
ウラギリスが独断でどこかの信仰組織を殺し尽くせば、丸く収まる。と、少なくない者たちが信じたらしかった。使い捨ての武力も用意された。
笑えるだろ?」
ウラギリスの命令による大量殺人を、諸派は待っていた。
丸く収まるわけがないではないか。虐殺で丸く収まる話がどこにある。
「で、最終的に、俺ことウラギリスによる皇帝暗殺に至った」
「あれ!? 暗殺に至るキモのところは!?」
ウラギリスは唐突に話を締めくくった。
当然の指摘に対して、煩わし気に応じた。
「破綻が目に見えたクーデター計画がきっかけだな。きっかけはどうでもよい」
「どうでもいいことあるにゃ?」
「しがらみゆえに暗殺せざるを得なかったのだ」
「せざるを得なかったかどうかは、詳細を聞かなきゃあ何とも言えねーよ」
「詳細を語る場合、七つの教派とその教義について理解してもらうところから始めなければならない。英雄慰霊の中の三教派と、魔王教の中の二教派と、その他二つだな。長くなるぞ」
「やっぱいいです」
「はー。あほくせー、にゃ。肝心なところごまかしやがったにゃ」
探索者には肝心の部分が語られなかった。
探索者両人には、ウラギリスの危険度を見積もる必要があった。十分な情報は得られなかった。
「皇帝が神の子孫を自称してダサいから殺した。一度亡命してから、また皇帝を暗殺した。
これだけでは危険人物だと断定するには少し早いな」
ウラギリスは、生涯で裏切ったのは独りだけ、と言った。
じつは第一の皇帝暗殺と第二の皇帝暗殺に違いはないかもしれなかった。
二度の殺害の瞬間に、ウラギリスは同じことを念じていたのだ。
「聖なる皇帝は、この穢れた地上世界にいてはいけない」




