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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
祈られた神々の救済
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猫の人は信じた

 中古代初期、つまり普遍帝国崩壊期のこと、日月天地大皇帝と普遍世界皇帝と超皇帝とがいた。

 皇帝が実権をなくし、権威を高めようとした、歴史の中の一幕だ。



「ミランディには感謝しどおしだな。俺が祭を抜け出そうとしたタイミングで現れたのにはびっくりした」


 探索者たちは回廊を歩いていた。

 天井は高く、壁には神々が彫刻されていた。高い窓から光が差し込む。反射光が床を照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。


「ヴィク君。礼には及ばないにゃ。亜竜人たちが快く軋轢なく暮らす状態は、たぶん神様の意にかなうにゃ」


「海の戦士の件もありがとう。紹介してくれた文献は読んだぞ。詩の作法に従えば罵倒してよいとされたのは本当らしい」


 中古代、つまり帝国崩壊期から第一次祭祀改革期にかけて、あちこちに賊たちがはびこっていた。賊たちは自由に見えてしがらみが多い。殺しすぎると敵が増える。殺さないと部下がナメて反旗を翻す。

 戦士の義務では侮辱に原則として死で報いる。礼を逸した侮辱は発言者自身の生命や名誉を傷つける。人をこき下ろすには、複雑な作法が必要となった。口論詩はその一つだ。形式に則っていれば罵詈雑言を吐くことができる。詩の力は士気に影響し、戦いの趨勢を左右した。


「それから入院費か。祭での諸々もだな」


「あとで聞くにゃ。ほら。そこを曲がったら中庭があるにゃ。絶対何か出てくるにゃ」


 探索者たちは回廊を曲がった。

 そこに武装した男たちがおり、地図をにらんでいた。一人が侵入者ヴィクロムたちに気づく。


「あ? 何奴テメ!? やんのか獣人ッラ!?」


「何言ってんのか分かんねえよ。迷宮内でこれまで、古代語話者もとりあえず当世の言葉でしゃべってくれていただろ」


 兵士は言語としての意味が薄い、威嚇や恫喝の効力をもった音を発していた。

 別の兵士が話しかける。


「獣人を連れているな。奴隷か? 奴隷ならいいとして、自由市民の獣人であれば、お前たちを生かしておくわけにはいかない」


 ヴィクロムは少し悩んでから口を開いた。答えを発する前に、当の猫の人が割り込んだ。


「奴隷にゃ」


「えっ!?」


 亜竜人ヴィクロムは反対の方を言おうとしていた。全員と戦ってどの程度の損傷を負うか悩み、自由市民と答えてから考えればいいと決意したところだった。


「ほう。ふむ。怪しいな。奴らの配下でないことを示してもらおうか。カラッドの首を取ってこい」


「何? 誰? なんでお前は俺に命令しているんだ?」


「カラッドは昔の獣人反乱を主導した人にゃ」


「知っているのか、ミランディ」


 カラッドの乱は帝国衰退期の争乱の一つである。当時の多くの事件の中で、大したものと見なされない。例外的に、一部の獣人の間では象徴的なできごとと位置付けられている。獣人たちが獣人たちのために諸部族混成で戦った最初の戦いなのだという。


「これってあの何があったのかよく分からない時期か。帝位僭称者が乱立して、どれも実力がないから見栄だけ張った、歴史の中の一幕だ」


「そうだ。我らが普遍世界皇帝陛下はヨボヨボのジジイだ。誰もあんなのに広い帝国を任せられるなどとは思わん。ここまではいいな?」


 普遍世界皇帝というのが、もはや廃墟と化した西都地域の中央に住んでいた。南西方にも東方にも別の皇帝がおり、それぞれ強そうな称号を持っていた。


「カラッドとかいう犬と仲間たちにとっては、頼りがいのある飼い主に見えたらしい。普遍世界皇帝への臣従をわざわざ宣言し、他の部族と連合したんだ」


 いつの時代も、獣人の部族間では対立が激しい。非常に威信の高い旗印を用意して、やっと協調することができる。

 このとき、普遍世界皇帝がその役割を果たした。


「なるほど。落ち目の皇帝と、箔付けが必要な新参の有力者とで利害が一致したってところか」


 皇帝は実権をなくし、権威を高めようとした。そこには上の動機もあれば、下の動機もある。

 周縁部の諸勢力は皇帝への臣従を競った。皇帝陛下がついているぞと威張れば勢力を広げやすく、配下の離反を防ぎやすかった。

 実権がないからこそ舞台装置として便利だった。全盛期に皇帝の認可など求めようものなら、たちまち帝国軍が来て、使い走りにされる。軍を送る体力などないと確信しているからこそ、権威を利用することができた。

 神に等しい偉大な皇帝の正体がヨボヨボのジジイだとバレていないうちは、こういうことがあった。


「よし! せっかくだからカラッドをシバいて、こいつらもシバくか!」


「ヴィク君。カラッドが敵なら、助力はできないにゃ」


「いてくれて敵側に立たずにいるだけで助かるよ」


 探索者たちは方針を定めた。

 兵士たちは言った。


「カラッドの本拠地ならそこの回廊をまっすぐ行って次の角を曲がったらあるぜ」


「ここの空間構造どうなってんだよ。こいつらの認識も何なんだ」


 探索者は回廊をまっすぐ行って、次の角を曲がった。



「お待ちしておりました。あなた方が、カラッド様を止めようというのですね」


 猫の人だった。ミランディに比べて小柄で、簡素な衣服を身につけていた。古代帝国の奴隷よりは厚く、天教の聖職者よりは薄い。


「私はカラッド様の奴隷です。タマリンドと申します。ご案内いたしましょう」


「連れて行ってくれるんだ」


 探索者ヴィクロムとミランディはあとをついて歩いた。

 道中には誰もいなかった。


「カラッド様は人を信じておられません。裏切ったら殺せる人物だけをそばに置かれます」


 猫の人タマリンドはときおり立ち止まって罠を解除し、侵入者を招き入れていった。

 道は屋内の廊下になり、洞穴になり、林になり、天幕にたどり着いた。


「この先にカラッド様がいらっしゃいます」


「案内してくれて助かった」


 探索者が進もうとすると、奴隷タマリンドは阻んだ。回り込んで進もうとすると、回り込んで阻んだ。


「通してはくれないのか」


「はい。通しません」


 わざわざ案内し罠も解除したうえで、通さない、とタマリンドは言った。


「変だとお思いでしょう。変ですよね。これは私なりの折り合いです。あの人を狙う人に、道の複雑さや罠は障害にならなくていい。阻むのは私ひとりでいい。

 カラッド様は人間のクズです。生かしておけば世界を悪くします」


「そんなこと言われる人なのか。なあ、ミランディ」


「そんなもんにゃ」


 当世を生きる、ある獣人たちにとって、カラッドの乱とは獣人が獣人のために戦った最初の戦いだった。


「カラッド様は自部族も他部族も憎んでいます。獣人と非獣人とに関係なく、誰の意思も行動も尊重することがありません。自分の身を滅ぼしてでも、皆を不幸にしたいのだと仰っていたことがあります。きっとご自身のことも、信じていないし愛していないのだと思います。

 そして、たった一人の私のご主人様なんです。

 だから、この先へ進むなら私を倒してから、です」


 猫の人タマリンドは宣言した。

 寂しく、悲壮な、笑顔だった。

 道中でタマリンドがずっと穏やかな笑みをたたえていたことを、このとき初めて、亜竜人に思い起こさせた。


「悲しいな」


 ヴィクロム・インヴィットは猫の人タマリンドを倒した。

 タマリンドは意識を失った。



 昔むかし、献身の聖者イオノスは盗賊に襲われた。盗賊は街道で車駕を止め、イオノスを殴り倒して持ち物を漁った。

 神はそのもとへ狼を遣わし、盗賊を追い払わせた。狼たちはイオノスに目もくれず盗賊を遠くまで追い払った。

 しばらくしてイオノスは目を覚ました。目を覚ましたとき車駕は、坂を崖に向かって転がろうとしていた。イオノスは飛び降り、難を逃れた。

 このように、神は徳高い者を助け給うのだという。



「私は神様を信じます」


 猫の人タマリンドは立ち上がった。

 帝国末期には後世にいう天教や主神教が形成されつつあった。この時点で教義や典礼や聖堂組織は整備されていない。人々は社会不安の中で拠り所を求めた。


 帝国の秩序が崩壊すると、努力は実らず、略奪者がのさばった。神に等しいはずの皇帝は、有効な対策や支援策を打てなかった。天災や凶作や略奪の被害は、皇帝に見捨てられた。つまり神に見捨てられた。

 苦しみ助けを求める者を、過去の栄光にすがる人々は罵った。自分で努力して助かればよいと評した。栄光ある帝国にあって苦しむ者とは、苦しんでしかるべき者しかいないはずなのだ。


「私は神様を信じます。神様は咎なき人に苦難をお与えになるからです」


 善行や悪行が報われるべきだとかいった人間の理屈を、神ははるかに超越している。だから、苦難にあるのを見捨てられたと決めつけるのは、人間の誤判断である。

 帝国末期には後世にいう天教や主神教が形成されつつあった。教義や典礼や聖堂組織は整備されていない。

 ひた向きな信仰があった。諦観と似て異なる、現状を受け止め前に進むことを可能にする、ささやかにして強力なまじないがあった。


「倒れていてくれ。頼む」


 ヴィクロム・インヴィットは猫の人タマリンドを倒した。

 タマリンドは足の骨を折って崩れた。



 昔むかし、歩けない者シェロスは聖者エンバロスを罵った。お前たち山師は、神様などと都合のいいことを言って騙すものだろう。救いなど求めていない。よそへ行け。

 聖者が去ろうとすると、シェロスは呼び止めた。今さっきは邪険にしてしまった。やはり少しもてなしてやろう。

 聖者エンバロスはとどまった。歩けない者シェロスは聖者のことを密告した。嘘の神を掲げて帝国秩序を乱す者がいるのです。

 役人が来て聖者を連れて行った。シェロスには報酬が与えられた。役人は口々に言った。×××(侮蔑語)のくせに役に立つではないか。お前は××××(侮蔑語)のわりに感心なやつだ。

 シェロスの聞きなれた呼び方だった。


 のちに、聖者エンバロスは牢獄を出た。歩けない者シェロスは恐れおののいた。必ず仕返しにくるに違いない。

 人に逃がしてもらおうとした。車運びを呼ばせた。すると、聖者エンバロスが現れた。

 歩けない者シェロスが言い訳を考えていると、聖者エンバロスは言った。


「あなたは無事だったか」


 シェロスには何を言われたか分からなかった。聖者エンバロスは案じて言った。私を連れてゆく役人たちに、意地の悪いことをされなかったか。人に罵られはしなかったか。不便なく暮らしているか、と。

 想像もしていなかった。歩けない者シェロスは、聖者を売り飛ばしたのだ。その聖者が、自分のことを案じていた。シェロスは自分の卑しさに気づき、聖者に対して帰依を表した。

 すると、足は癒えた。


 そこでシェロスは巡礼の旅に出て、聖者エンバロスの霊験を語り継いだのだという。



「私は神様を信じます」


 猫の人タマリンドは立ち上がった。

 帝国末期には後世にいう天教や主神教が形成されつつあった。人々は社会不安の中で拠り所を求めた。理不尽な世界にあって、信仰者は安らかでいた。神様は人を見捨てなどしないと、知っているからである。


「私は神様を信じます。神様は悪をなす人の心に一かけらの慈悲を生じさせ給うからです」


 論理が通っていない。神が人に働きかけるなら、神の存在は結論ではなく前提になるはずだ。

 後代の学僧たちは合理的解釈を試みた。複雑な教義の体系を築いた。

 敬虔な信仰者にとって論理の転倒や飛躍はない。現実の観察の上に妥当な推論を重ねた結果、そう言っている。神様が働きかけていることを実感し、ということは存在するのだ、と考えただけである。


 タマリンドは覚えている。

 すべてを失い、誰も味方につかず、自分に非があったとさえ信じたことを覚えている。

 何もかもを憎むという無頼漢が、気まぐれに与えた食物の味を覚えている。

 庇護者に懐いていたのか必死で媚びていたのかも分からないまま、支えた日々を覚えている。


「やめろよ。立ち上がらないでくれ。殺さないといけなくなってしまう」


 探索者ヴィクロムは言った。当世の多くの探索者と同じく、熱心な信仰者に対しては信仰対象を問わず敬意を覚えた。


「あの人は地獄に落ちるのですから、私も同じ責め苦を受けたく思います」


 タマリンドからは安らかにして決然たる答えが返った。

 そして、亜竜人ヴィクロム・インヴィットは、奴隷タマリンドを殺害した。

 猫の人の身体が傾ぎ、力なく倒れた。


「ああ。俺も地獄行きだな。羽の生えた化物に全身を粉々にされる前に、慈悲を乞う文句でも考えとくか」


 亜竜人は跪き、死者への祈祷の用意を始めた。

 これも当世の探索者に珍しくない心性である。場合により人を殺すことはあるとして、殺した後祈らずにおくのは著しく良心に反することだった。とくに強く悼むときは、声に出して唱える。


「ヴィク君もそういうのやるのにゃ」


「そりゃあ、お祈りぐらい上げるだろ。人として」


 猫の人ミランディに話しかけられて、答えた。

 ヴィクロム・インヴィットは天教に属し、不真面目であった。数年にわたって典礼に参加せず、生活規定も無視している。存在しない神への欺瞞の信仰と評したこともある。それはそれとして天教の聖句は覚えていたし、ときには口をついて出た。別の見方をすれば、天教と無関係な規範のために聖句を濫用した。


 亜竜人は長い祈祷を、省略なしに朗誦した。聖句は繰り返しによって朗誦者に落ち着きをもたらし、終わりに近づいてゆく。


「風より生じたるもの、風の中へ還れ。

 火より生じたるもの、火の中へ還れ。

 水より生じたるもの、水の中へ還れ。

 土より生じたるもの、土の中へ還れ。

 汝が霊に安寧あれ。汝が魂に祝福あれ。

 もはや汝に戦いはなく、ただ安らぎがあるからである」



 昔むかし、文人アイゼク、後世にいわゆる死者蘇生の魔術師アイゼクは、谷で道に迷った。霧の中を進み、不気味なところに迷い込んだ。周りには人骨が散らばっていた。

 アイゼクは、それらを繋ぎ合わせることができそうだと思った。手に取ってみると重く、人骨を模した石か何かだった。

 繋ぎ合わせて人の形にすると、アイゼクは憐れみを覚えたので、祈祷を唱えた。すると、それは喋った。私はあちこちに散らばって死んだ人々である。一つになって甦る日を待っている。お前が、アイゼクよ、憐れんで祈祷を唱えたから、私は一時の生命を得た。復活の日は今、定め置かれた。将来お前は魔術師として恐れられるであろう。それから、人がお前を恐れるのをやめた頃に、私は再び動き出すであろう。今お前がこの谷を抜けるには、私の左手の指す方へ進むがよい。

 アイゼクは谷を抜け出した。その後アイゼクは、ときおり筆を持つ指に違和感を覚えることがあったのだという。

 魔術師アイゼクの姿は絵画において、石の人形とともに描かれる。



「私は神様を信じます。神様が氏族を問わず、人々を均しく統べられるからです」


 猫の人タマリンドは立ち上がった。

 気絶から立ち上がり、骨折から立ち上がり、死から立ち上がった。


「立ち上がるかよ。もうやめよう。俺が悪かった。他の道を探すから、健やかに生きていてくれ」


「そうですか? あなたには、方策が思いついているのではありませんか」


 猫の人タマリンドは言った。

 じつはその通りだった。亜竜人ヴィクロム・インヴィットには、方策が思いついていた。


「一つだけあるにはある。本当に何もなくて他の道も探せないなら、取らざるを得ない。他の道を探すから、たぶんその間に何か思いつくかもしれない」


 タマリンドは亜竜人ヴィクロムに対して言葉を発した。


「阻むのは私だけです。私はそう宣言していました。

 ならば神様が阻むのはおかしいと、あなたにはそう主張できるのではありませんか?」


「やめろ、やめろ! そんなことはない。あなたの技が決まっただけだ」


 それがヴィクロムに思いついた方策だった。神の力を借りたのはおかしい。神に味方されることなく、強者に道をゆずれ。

 亜竜人はそれを言いたくなかった。熱心な信仰者に対して敬意を覚えていた。

 猫の人タマリンドは言い当てた。


「私の技、というのは、信じない方の言い分ですよ。私にとってはまぎれもなく神様のおかげです。

 私は神様と離されて生きるより、神様に命をゆだねることを選びます」


「そんな二択があるものか。神が人に味方するとは、奇蹟を起こすことだけではないんじゃあないのか」


「あなたは親切な人なのだと思います。ヴィク君さん。あなたの説得行為はきっと称賛に値するのでしょう。

 そして、それって、ただの言葉ですよね」


 ヴィクロムは沈黙した。猫の人タマリンドは高らかに宣言する。


「お力をお示しください。生かし殺す神、与え奪う神、創り壊す神、すべてを在るように在らしめる神にお祈り申し上げます。

 もし神様が私に味方してくれたのなら、私の上に致命傷をお置き定めください」


 すると、猫の人タマリンドは倒れた。

 倒れた身体の下に、血だまりが広がっていった。

 亜竜人は、奴隷が死にゆくのを見て呟いた。


「なんでこんなことが起こらなきゃいけないんだ。生き続けたっていいだろ。

 せっかくだからで挑みに行ったやつは誰だよ。俺だよ」


 静観していたミランディ、もう一人の猫の人は、言った。


「しょォがないにゃア。同胞への義務を果たすとするにゃ」


 猫の人タマリンドのもとへ歩み、屈んで、その手に手を重ねて言った。


「フイスト氏族の儀軌により、ケー・ミランディン・フイストートが、タマリンドを看取り、想いのひとかけを継ぎます」


 フイスト氏族は獣人の部族社会にあって、外れ者の集まりである。名告るにあたって血統や法統が必要とされない。移民に多いと言われている。フイスト氏族の成員には部族の垣根を越えて儀礼を行じることが認められていた。

 ミランディは死にゆく者と言葉を交わした。内容を漏れ聞かせてはならないとされる。一通り聞くとミランディは深く頷き、懐からナイフを取り出して、タマリンドの心臓を刺した。慈悲の一撃とか介錯と呼ばれる形式ばった殺人行為である。


 これらの一連のよどみない行為は、相手がすでに死んでいても行なわれる。

 無駄に洗練された無駄のない無駄な動き、つまり儀礼行為である。

 例外的な吉事や凶事を日常生活から離しておくのが儀礼の機能の一つなら、たしかに殺人は儀礼を要した。


「死者の想いは、わずかなりと、継がれました」


 猫の人ミランディは定型句を発して、立ち上がった。

 ミランディに対して亜竜人ヴィクロムは言った。


「ありがとう」


「礼なら神様に捧げるにゃ」


 それから探索者は黙祷して、天幕に向かった。この先に、カラッドがいる。




「カラッドとは俺のことだ」


 いた。

 カラッドは傭兵出身の反乱指導者である。帝国崩壊期の反乱としては典型的だ。


「俺の首を取りに来たのか? 防備は役に立たなかったらしい。罠のみで誰も配置しなかったから、無理はないな」


「タマリンドって子がいたぞ」


 探索者ヴィクロムは指摘した。奴隷タマリンドは唯一の難関だった。

 カラッドは答えた。


「誰だ?」


「なんで知らないんだよ」


 反乱者カラッドは何も信じていない。誰にも信頼を置いていない。


「お前の奴隷だよ。心服しているふうだったぞ。命を張るほどだ」


「奴隷は侍らせておくと便利だからな。厚遇をもって接していればアピールにもなる。軍隊を動かすのに比べて安上りだ」


「奴隷一般の話はいい。タマリンドのことは覚えてやってくれ」


 カラッドは鼻で笑った。


「知らんな。心服だと。底抜けのバカだ。奴隷に期待するのは恐怖と従順だけだ。お前が殺したのか? 確かに惜しまれるな。それが本当なら、そんなに都合のいい奴隷は得難い」


 カラッドは、奴隷タマリンドのことを知らないと言った。


「いいから覚えてやれ。お前がこれから地獄に行ったら再会しようって言っていたぞ」


「ヴィク君。少し違うにゃ。地獄で同じ責め苦を受けたいと言っていたのにゃ。私見では、たぶん再会を期待してはいないにゃ」


 猫の人ミランディが口を挟んだ。当世の猫の人は、中古代の同胞の想いを継いだ。


「失礼した。けっこう違ったな」


 カラッドは猫の人ミランディの方を見て言った。


「喋り方が変だ。その、にゃーって言うのは何だ」


「そこは今どうでもいいんだよ。カラッド。俺は情緒がめちゃくちゃなんだ。これから俺がお前を殺すまでにタマリンドのことを思い出すよう努力しろよな」


 亜竜人ヴィクロム・インヴィットは苛立ちを露わにした。


「それこそどうでもよい。思い出せぬものは思い出せぬ。そんな奴隷は知らぬ」


 カラッドは、奴隷タマリンドのことを知らないと言った。


「ヴィク君。あそこまで頑なに否定すると、むしろ怪しいにゃ。本当は覚えているし頼りにしてもいたはずにゃ」


「そうかなあ。

 タマリンドはご主人様の内心に気づいていたと思う。何とも思われていないことを知ったうえで、それでも尽くしていたんじゃあないのか」


「本当は頼りにしているという、ご主人様の内心に気づいていたのにゃ」


 探索者ヴィクロムとミランディの間にも意見の相違があった。

 カラッドは嘲り笑った。


「貴様らは、自分がそうあってほしいと思うことを強弁しているのだ。

 お人よしだな。猫獣人どもはみんなそうなのか? 自分を害する者にまで好意を振る舞うとは」


 その言葉を聞いて、探索者たちは目を交わした。今、カラッドは口を滑らせた。


「カラッド。お人よしな猫の人に心当たりがあるらしいな」


「何だ? 貴様らが言ったのだろう。タマリンドという都合の良い猫獣人の奴隷がいたのだと」


 カラッドは煩わし気に答えた。まさにその奴隷タマリンドについて言い争っていたのだ。


「はん。尻尾を出したのにゃ」


「タマリンドが猫の人だなんて俺たちは言っていない」


「なんだと」


 探索者たちは、カラッドの前でタマリンドのことを奴隷とだけ明かした。カラッドが覚えていないというのなら、猫獣人と明言できるはずはない。


「何を、言う。何を言う! 簡単に推測がつく話だ。ミランディとやら、お前がその奴隷の内面を語りたがるのは、同じ猫獣人だからだろう。他にあるのか」


 同胞として死を看取ったから、タマリンドの想いを語り得た。猫の人ミランディは答えた。


「その通りにゃ。タマリンドはご主人様のことを何でも知っていたにゃ。だからご主人様が本当は信頼してくれていると知っていたにゃ」


 論理が通っていない。

 慣習に従ったからといって、死にゆく人が何を思ったかが正確に分かるはずはない。

 加えて、死せるタマリンドがご主人様のことを何でも知っているつもりであっても、本当かどうかは分からない。


「話にならんな」


 カラッドは一蹴した。


「ミランディの言い分は無茶じゃあないか。

 神ならぬ人の身だ。タマリンドがカラッドのことを何でも知っていると思っていても、勘違いってことはありえる」


 探索者ヴィクロムもそう言った。味方のはずのミランディに反対した。


「そうだ。しつこいぞ」


「信じるにゃ。わが同胞は知っていたにゃ。カラッドが自分を大切にしていると知っていた。なぜなら、ご主人様のことを何でも知っているから」


「黙れ、黙れ。鬱陶しいぞ! そんな者は知らぬと言っている。もはや言葉は無用だ!」


 カラッドの殺気が膨れ上がる。大きな身体で怒りをとどろかせる。探索者の前に、強大な敵として立ちはだかる。

 ヴィクロムは身構えた。

 カラッドは叫んだ。


「これより、ものを言うのは暴力のみと知れ。

 ゆくぞ。剣を持て、タマリンド!」


 そして、何も起こらない。

 いつもの呼びかけに、いつもの答えは返らなかった。

 あらゆる戦いで傍らにいた猫の人は、もう主人に返事をすることがない。


「カラッド。お前」


「タマリンド。どこにいる? タマ。そうか、もう。くくっ」


 習慣となった行動だった。カラッドの行動は、嘘をつかなかった。


「嘘だろ。そんなこと、人を死なせておいて今さら」


 亜竜人ヴィクロムは、カラッドが奴隷タマリンドのことを覚えていないと信じた。

 猫の人ミランディは、カラッドが奴隷タマリンドのことを覚えていると信じた。

 ヴィクロムは大きく動揺した。ミランディは言った。


「しょォがないにゃア。ヴィク君が泣き止むまで適当に場を繋いでおいてやるにゃ」


「泣いてねえし! ちょっと涙が出ただけ!

 かりに全幅の信頼を置いていたとして、それを隠していただけだとして、当の大切な人を死なせた最低のクソ野郎に変わりはないだろ」


 すると、第四の人物の声がした。


「まこと、カラッドは最低のクソ野郎といえよう」


 その人物は、カラッドに背後から剣を突き刺していた。カラッドは崩れ落ちた。下手人はフードを目深にかぶっている。

 ヴィクロムは鋭く問うた。


「誰だ!?」


 カラッドを刺した人物はそっとフードを外し、顔を露わにした。

 たくましく、少しやつれた顔つきの壮年男性と見えた。肌は浅黒く彫が深い。濃い毛髪とあわせて南海に近い生まれを思わせる。


「誰だ?」


 ヴィクロム・インヴィットの知らない顔だった。

 かれは答えた。


「俺はウラギリス。ウラギリス・ソムクと呼ばれている」

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