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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
願われた神々の裁定
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聖女の掟

「ゼハラニア王の権限において聖女を追放する。静かに暮らすがよい。くれぐれも、面倒な土地が聖地化してしまう事態は避けるように。絶対にやめてくださいよ。本当にお願いしますからね」


 南西方の内陸部、ゼハラニアでは特異な制度を取っていた。天教聖堂勢力と独立に聖女と神官たちからなる〈聖女宮〉があった。無教時代の名残りと考えられる。

 大地の恵みは聖女のおかげと一般に信じられた。飢饉などが起きた場合は王が聖女を軽んじるせいとされる。よいことは聖女様のおかげ、悪いことは王のせいである。王とは損な役回りであり、とても尊敬される地位でもあった。


 王は一度だけ聖女を追放することができる。主に〈聖女宮〉が聖堂よりの策をとった場合に行なう儀式である。


 昔むかし、神は最初の人間たちに石と花とを与えた。

 最初の人間たちは石を遠ざけて花を喜んだ。

 すると最初の人間たちはすぐ死ぬものになった。

 石とは、じつは不死なのだ。

 石は死を征するから、今でも墓には石を据える。

 最初の人間は死に、子らが生きた。

 人の子らが短命となったのは、このためである。


 他愛ない昔話だ。変種は多く、特に複雑化した変種がゼハラニアの王権と聖女との起源神話となる。王権儀礼で繰り返し演じられる。


 一般に、王とは相続される地位である。祖先から継いできて、自分の死後に子孫が継いでくれると信じればこそ、王は百年二百年にわたる事業を指揮することができる。

 ゼハラニアの王位は相続されない。王にとって後継者が自分の子である必要はないし、自分が教育に関わった者である必要もない。極端な話、クーデター勢力や侵略者が王位につくのでも構わない。ゼハラニア王となるならば伝統の王権儀礼を経ることになるのだ。将来の王たちが王権儀礼に携わる限り、自分の王としての行ないは絶対に後世に生き続けると、確信できた。

 天教つまり〈正しい教え〉の聖典にいわく、住まう土地に歴史の長い王の血統があることは誇りではなく恥である。ゼハラニア人たちは深く頷くものだ。


「王家などをありがたがる外国の連中はダメだ」


 その外国の連中が耳にしたときには定番の返答がある。


「聖典の文言は字義通りに読まず、正統な神学に従って読むものだ。その正統な神学は聖女の地位を認めていないんだぞ」


 聖女といい各地の修行者といい、聖堂勢力は制御下にない霊的権威を苦々しく思うことがあった。

 近古代には短命の起源神話に天教的な解釈が付け加わっていた。石は石造りの聖堂と、天教の平穏な統治を意味する。花は聖女や霊的な力による豊穣と繁栄を意味する。人は聖堂を軽んじがちでけしからん、などと説く。

 聖女の方から聖堂勢力に近づいてくれるなら盛大な儀式で歓迎した。


 王に言わせれば、石の示す永遠とは王権儀礼の中にのみある。王権儀礼は無教時代から続き、天教の様式を取り入れても本質は変わらない。たとえ天教の時代が終わっても残ることだろう。

 概して王の施策は保守的で、前例にないことをやる必要があれば〈聖女宮〉が行なう。失敗したら王のせいとなる。

 基本的な勢力図として王と聖女が味方同士で、天教聖堂勢力とは不安定な協力関係にある。〈聖女宮〉が王の側にいるまま聖堂よりの策をとると均衡が崩れかける。聖女追放儀礼は秩序を保つ機能を有した。


「承りました。私の務めは聖堂や神殿に見出されましょう」


 王による聖女追放も起源神話の枠組みで捉えられる。王は親聖堂的な聖女を追い出す。最初の人間たちは石を遠ざけた。豊穣や繁栄を遠ざけはしない。


「全力をあげて道中の安全を確保しよう。聖女を損なおうとする者は、このゼハラニア王グネベオ五世の敵対者であると知れ」


 儀礼は進行する。追い出しておきながら安全を確保すると宣言する。聖女を欠く王は、力強いものとして儀礼の中で置き定められねばならない。

 式次第の中で王の力を誇示するのは、諸勢力への霊的威圧でもある。


 もっと差し迫った問題として、道中は危険だった。


「聖女様のお姿を一目見れば、末代まで安泰となる」

「聖女様の通った道に手を触れるだけでも、一生病気をしない」


 村人たちが押し寄せた。自身の村落を離れてやってきた。やってきただけではない。


「聖女様が去られると、畑が枯れてしまうのではないのか」

「いっそ聖女様にお亡くなりいただいて、骨の一かけ、血の一滴でも持ち帰ることで、土地にとどまってもらうのはどうだろうか」

「名案だ」

「聖女様のご遺体やゆかりの品々は限りない福徳をもたらすはずだ」


 命を狙う者がいた。当時の村人は信仰に関係なく一般的傾向として、村の利益のためであれば外の人間を殺した。聖女も殺害対象になりえた。

 けして少数の過激派などでなく、ごく素朴に信仰篤い人々だった。裏で操る勢力などもない。ここで聖女に死なれても誰も得をしないのだ。


 グネベオ五世は命じた。


「やめよ。土地に帰れ。お前たちは王の敵対者だ。今なら刑罰を科さずにおく」


 聖堂は脅した。


「人を殺して神のためと言い張る連中の上より、天の加護は失せよ。我らが聖女に何かあったら、グネベオはただで済まさない」


 門閥貴族は嘆じた。


「これで聖女が死んだら聖堂が何を言ってくるか知れたものではない。王におかれては、宣言されたごとく、必ず守っていただきたい」


 聖女宮の神官団は神罰を予告した。


「あなたがた死にますよ。ゼハラニア王グネベオ五世も死にます」


 王とて必死だった。聖女が死んで損が比較的小さいのは王である。そして、最も聖女を死なせるわけにいかないのも王である。

 理由ならいくつでも挙げることができる。王たるもの人の死を仕方ないものと片付けてはならない。過去および未来のゼハラニア王たちと聖女たちに申し訳が立たない。王権儀礼は命に代えても守らなければならない。聖女は同じ時代を生きる中でただ一人の、共に儀礼を担う相方だ。そのどれもが正しく、どれもが間違っている。

 理屈ではない。損得勘定ではない。王は、聖女を、死なせない。


 農民の勢いは止まらなかった。むしろ増した。王様や教主様が止めるということは本当に霊験があるのだ。もし殺していけないのなら、神様が止めてくれるはずだから大丈夫だ。


 ペジグという人の畑でのできことである。


「そこの方、ここらで聖女様を見かけなかったか」


「聖女様か。裏で種を蒔いていたときお見かけした」


 ペジグが言うので見に行けば、もう作物が育っている。ある人が言った。


「種を蒔いたというのは、前の季節のことらしい。では聖女様に追いつくのは無理だ」


 別の人が応じた。


「前すぎないか。こんなにも伸びている。種を蒔いた頃、聖女様はまだ都で、追放される前だ」


「どういうことだ」


 ペジグに非難が向けられた。


「そこのお前、ペジグとやら、種を蒔いたとき見たなどとさっきは嘘をついたのか」


「とんでもない。種を蒔いたのは、つい朝方のことだ。畑では芽も出ていないはずだ」


 耕し手ペジグを連れていくと、作物が育っているのに驚いた。本人も知らなかったのだ。

 一同が不審がる中、誰かが言った。


「聖女様か神様の御業ではないか。聖女様が通られたから、すぐに生えて伸びたのではないか」


 非常にもっともらしく、納得のいく説明だった。受け入れられ、やがて一同には激しい恐怖が広がった。


「神様が止めておられる!」

「聖女様を害すれば、間違いなく我々の畑は枯れ、家の者たちや親しい者たちは全員病気で死んでしまう」

「今すぐ悔い改めなければならない」

「その通りだ」


 人々は揃ってお祈りを捧げ、行ないを悔いた。

 後からやってくる人々にも話を伝え、聖女を害しないよう説いて、祈祷を勧めた。

 それからというものペジグの畑は豊かに作物を実らせ、多くの人が大金をはたいて買い求めた。

 今でもペジグ印の野菜は誰もが愛するところとなっていて、一帯で知らない人はいないのだという。


 霊的な力ある人が逃げるとき植物が急に茂って助かる伝説は、よくある。どこにでも似た話が伝わっている。

 これには合理的解釈が可能である。草木の生長に神秘的な力を見るのは古くから異教の信仰で盛んだった。豊作や凶作の予測不能性を前にして、人は豊穣祈願の儀礼を行なった。そも、草木が生え育つのを不思議に思うのは当然の疑問でもあった。

 ゼハラニアの話に限って言えば、仕掛け人がいたと読むこともできる。芝居を打って農民たちから聖女を逃がしたのだ。たとえば王ならできたことだろう。説得力のある説である。



 理屈の通る解釈はもう一つある。本当にそういう霊的な作用が存在して草木が育つのだとする。


「やった。生長魔術が使える」


 亜竜人ヴィクロム・インヴィットはゴブリンから逃げていた。

 ゴブリンの群を駆除しようとして一部だけ生き残るという状況は避けるべきとされる。ゴブリンは殺害者を執拗に追い詰めて殺しにくるからだ。ヴィクロムはまさにその状況にあった。


 ほどよい光が広間を照らす。ここは迷宮である。無形魔王城の第三階層だ。


「詠唱を開始する。

 ナパラよ聞け。お前の父の頭部、女主人の腹、土地は毛に覆われてあれ。詩の天啓が父の上にあれ、子宝において女主人は恵まれよ、畑には豊穣が満ちよ」


 それが魔法の完成だった。

 広間の床から草が生え、木が生える。腰の高さになり、頭の高さになり、探索者を隠した。

 亜竜人ヴィクロムはゆっくり移動を再開した。ときどき足を止めて周囲を警戒する。追ってくるゴブリンとの距離を探る。


「花か」


 草木はあっという間に育って花をつけていた。

 脈絡の薄い連想が浮かぶ。


「そういえば近古代の神学だと、なぜ死後も世界が存続しているといえるのかって問題あったよな」


 神学上も天教実践上も重要な問題の一つだった。他の難問を考える基礎となる。

 命を懸けて何かを守るべき状況では何が起こっているのか。殺人に対する報いが確実となれば、殺人への警戒を緩める理由になるか。弔いとは何かという問題にも直結する。

 当世で神学といえば、変なことや無意味なことを考えたと揶揄されるものである。


「花か、ちょっといいこともあったな。絶対こんなところ抜け出てやるからな」


 ゴブリンをまき、探索者は先へ進む。



 神話において、人は花や果実と石との二択で前者を取る。それゆえ短命なのだ、と起源が説かれる。

 人間は自分たちを短命と考えて理由を求める。じつは、鳥獣と比べて、人間は短命ではない。


 ではなぜ短命と考え惜しむのか。

 命の短さとは、人間世界に対する短さなのだ。いくら長生きしても死後の未来を見届けることはできない。自分が関わった世界の続きを知り得ないことで、生の短さを嘆く。

 種を託して散る花の命を選んだからである。

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