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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
願われた神々の裁定
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街の掟

 同じ釜の飯を食う仲間だから信頼し合える。同じ村を略奪した仲間だから背中を預けて戦える。

 自分たちは神様のために戦っているのだという高揚と一体感がそこにはあった。

 武装した天教徒が平和な村を襲っていた。



 王国という枠組みは未だ意味をなさず、聖堂が天教による支配を布く、歴史の中の一幕だ。

 後世にいう第一次祭祀改革では都市が発達した。古い都市の延長ではなく辺地に新しくできた。都市には人口が密集し、生活資源を外からの供給に頼る。


 多くの上古代都市の周囲には農園が広がる。それに対して新たな都市の外は森や荒野である。

 ある人々は故郷や家業を離れ、ものを運び売り買いした。何もない土地が都市となっていった。


「ここがネールボロドの街か」


 田舎者エルショが最初に戸惑ったのはとにかく人が多いことだった。数日して、全員の顔や人柄を覚えていなくてもよいことに気づいた。

 エルショは夢を抱いた。このネールボロドの街で成り上がるのだと志した。受け入れてくれたのは同郷人たちだった。当時の都市では故郷や生業を同じくする者たちが同信団を作ったものだった。同信団は、〈正しい教え〉に詳しい学者の認可を得て、それぞれ特定の聖者を祀る。

 エルショは聖者ティルケンバルを敬った。ティルケンバル同信団は都市の中の故郷だった。同信団は故郷の習俗を再現した。混同や誇張もあった。地主や長老に押し付けられるのが嫌だった習わしや仕来りは、自分たちで進んで行なうと意外にも喜ばしいものだった。


 本来なら義務のはずの典礼には気が向いたときだけ出席した。都市は自由だ。同信団ごとにまちまちの聖者や霊を祀っていても、ネールボロドに住んで暮らす人々は同じネールボロドっ子で、たいてい同じ天教徒でもあった。

 一緒に暮らす同信団があり、より大規模の街の秩序や天教の栄光があった。



 はるか昔、普遍帝国が帝国になろうとする時期、通商路や諸都市が拡大する頃に、『都市と辺地について』通称『都鄙論』という著者不明の論書は書かれた。当時、辺地の煩雑な習慣を不合理として軽蔑する風潮があった。『都鄙論』はその風潮に異議を唱える。

 近くにいる人物が今すぐ自分を殺しにくることを想定せずにおくのは、はなはだ不合理な習慣である、と喝破した。もちろん社会秩序が機能すれば殺人には報いがある。まともな人間なら人を殺そうとしない。そう信じるのは真っ当だ。近くにいる人物がまともであることに命まで賭けるのは、尋常でない。

〈賭場の魔女〉リーラエシア・オッズ・シルヴァードラゴンが註釈を付す。儀礼の機能が働いて賭け金の大きさを忘れさせるのだという。


 異教の儀礼論は普遍帝国の黎明期によく書かれた。西都が勃興する中、東都文明は伝統の儀礼ともども衰退しつつあった。論者らは理由を明かそうとした。自分でない誰かの利益のためと思っては正しく行じられない、と何人かが主張する。

 異教の儀礼論は第一次祭祀改革期によく読まれた。異教の儀礼には欠点がある。隠蔽を本質とするのだ。存在しない神を祀り、存在しないと露見すれば力を失う。人が知を目指す限り、偽りの神の儀礼は滅びざるをえない。その点正しい教えの神は当たり前にいるので、欠点を克服したといえる。



「代金!? ああ、そうか」


 エルショはしばらく慣れなかった。都市では何事にも金や契約が必要である。必要な物品が目の前にある状況で、手に入れるのに所定の形式を踏まなければならない。融通してくれてもいいではないか、というのが田舎者の感覚だった。村落では融通し合うことができる。互いの生活を全面的に把握しているから、一方的に取られ続けることも一方的に取り続けることもない。

 都市でも馴染みのある店なら安く譲ってくれはした。顔なじみであれば値切り交渉も円滑に進んだ。金銭が足りない状況では同信団の仲間と互いに助け合った。

 都市生活は金や契約で回る。生活を全面的に把握されずにいるのは居心地がよいことだった。村社会では迂遠なやり取りを経て解決する問題が、都市では簡単な形式で済むことも多かった。


 小さな共同体の中で細かい困難を助けあう。大きな宗門は合理的な制度や厳格な形式を公正に運用する。小さな共同体と大きな宗門という対比は天教の基本理念だ。

 契約をめぐる訴訟や市議会派閥の対立や市政への貴族の横槍は、天教に適う仕方で解消される。ネールボロドは天教の下で統治されていた。


「エルショ君。あっちの道は危ないから通らない方がいいぞ」


 しばしば貧富の差は広がり、治安が悪化した。貧者は貨幣経済や契約や法律から利益を受けず、むしろ命を脅かされていた。貧者にとって、誰かが勝手に言い出した勝手な制約だった。ものを盗み、人を殺してでも生きようとした。

 天教の精神が受け皿をなした。天教は貧者を見放さない。富裕な商人や貴族は貧者への施しを聖なる義務として引き受けた。中には見返りのためや尊敬されるための布施もあった。動機はともかく貧者の生活は改善する。篤志家と貧者たちは同信団をなし、神を敬った。都市民の中でも特に熱心に神を敬うものだった。

 熱心な信仰結社として、都市の喧噪を離れて修行を積む集団も興った。小規模に信徒が集って質素な生活を送るのは、教義にも伝統にも適っている。聖堂に集う政治屋の僧よりもむしろ天教に忠実とすらいえた。傾向として聖堂のお偉方は修行者たちに好意的だった。都市民は天教を忘れがちだから、徳の高い実践者が都市周辺の森林や荒野にいるのは歓迎すべきことだった。



 よく昔話にいう。

 ある人が暗い夜道を旅していた。ふと怖気づいて聖句を唱える。すると恐ろしい声が聞こえる。「俺はお前をとって食おうと思っていた。お前が聖句を唱えるので近寄ることができない。きっとお前の大事なものを奪ってやるからな」などというではないか。旅人は聖句の効験を確信し、信仰心を堅くする。

 さまざまな変種が語られ、別の話の導入として使われる。続く展開の一種として、家族が日課のお祈りを欠かしたら襲ってくる話が語られる。一種として、魔物が超自然の力で仕えるかわりに条件を課し、大儲けしてから破滅する話が語られる。一種として、聖堂に多額の寄付をして功徳を積む話が語られる。

 聖句の文言や聖者の言葉は、正しいことを語るというよりも、霊的な力のある音として崇められた。


 上古代の著者不明の『都鄙論』はいう。

 いわゆる文明世界でも殺人を警戒する状況はある。高価な商品を持って旅するときが典型例である。賊による襲撃はあると想定するのが当然だ。信用できそうな取引相手に対しても、最低限の警戒や武装を怠ることはありえない。自分で身を守る備えは商人同士の礼節の一部でもあった。

 論の成立時期には叙事詩の伝統があった。同じ叙事詩を尊ぶ、話が通じる相手なら、前触れなく殺害されるリスクには最低限の警戒で済む。

 上古代東都文明では叙事詩を共有しながらも、各地の儀礼は統一されていなかった。小国家が叙事詩的な戦闘の作法にしたがって毎年戦争を行なった。

 普遍帝国の成立と繁栄と衰退を経て、天教世界では典礼が人々を一体とした。典礼は統一され、戦争の代わりに街々は天教への信仰を競った。貧者を救い聖者を尊んで、より熱心に信仰を体現する方が偉いとされた。武力で人を殺すよりもずっとよいことだった。

 また、聖なる言葉が人々を一体とした。同じ聖典の文言や聖者の言葉を唱える人は、話が通じる相手といえた。



 善良なふつうの人々にとって教義など意味不明なありがたい音でしかない。教えが最も効果的に訴えかけるのは社会からあぶれた者に対してである。

 そこで王侯は聖俗の権力の分担を主張する。王がふつうの人々を治め、あぶれた者を教えが救えばよい。王侯は権力を拡大したいからそう言う。

 聖堂勢力は譲らない。王に法律を運用させると一族や子分に便宜を図るではないか。これは王や家臣の一人一人が気を付けるとかいった問題ではない。王権とは、一族や子分を優遇しなければ保てないものなのだ。

 法は厳密な形式に沿って万民を同様に扱わねばならない。ふつうの人々と社会からあぶれた者とで、制度上の扱いを分けることなどできない。そして、運用者がほぼ罪人と確定している相手を含め公正に接するには、深い信仰が必要ではないか。

 形式に則って裁くとは神が裁くことだった。人が人を裁くという思い上がりを放棄することだった。



 天教は異教徒に対する寛容を説く。攻撃的に接すれば、かえって〈正しい教え〉から遠ざけてしまうからである。社会生活の中でよいとされる行動は信仰に関係なくほぼ共通している、よくない行動規範を減らすのに適した機会を得て、平和裏に天教を浸透させることができる、と信じられた。


「修行者が殺された!? また蛮族か」


 エルショたち善良な市民にとって、咎のない人を殺すなど、考えられないほど卑しい非天教的な行ないだ。まともな人間は人を殺さない。

 この当時の村人は信仰に関係なく一般的傾向として、村の利益のためであれば外の人間を殺した。馴染みの商人や役人を除けば、村人が外の人間と会うことは少ない。数日限りの客は歓待する。忠実な働き手は使う。商売敵や邪魔者はいらない。

 北東方の山地はじめ天教の及ばない地にも村がある。閉鎖的でありながら互いに争うこともなく豊かに暮らしていた。豊かに暮らしたのは、談合して建材や塩などの値段を吊り上げたからである。都市の必需品だった。

 都市が形成されると、喧噪を離れて修行を積む集団も興っていた。異教の村人に教えを説くこともあった。村人が修行者を殺すこともあった。


 平和で豊かな村に、武装した天教徒が押し寄せた。

 森林の修行者を蛮族から守る。街の経済を守る。村人を教育してやる。正しい教えのために身を捨てて戦う。一儲けする。名声を得る。動機はさまざまだった。進んで改宗した村人、攻撃側で参加した村人もいた。村で暮らしても一族の恥のおじさんになるだけの男の人々や、一生子供を産んで育てるだけの女の人々は多かった。

 村の連合は離間を企てた。出自や動機はさまざまと見えたから、仲間割れを誘うのは当然の戦い方だった。

 そして、離間は失敗した。


「正しい教えを守れ!」


 人々は叫ぶ。さまざまな動機は収束してゆく。誰もが神のために戦うべく意気込んだ。熱狂的な天教徒は村を圧倒した。

 同じ釜の飯を食う仲間だから信頼し合える。同じ村を略奪した仲間だから背中を預けて戦える。

 仲間と力を合わせ、作戦を練って困難を乗り越えるのは、なんと楽しいことか。自分たちは神様のために戦っているのだという高揚と一体感がそこにはあった。一緒に戦う隊があり、より大きな神の栄光があった。


 王国という枠組みは未だ意味をなさず、聖堂が天教による支配を布く、歴史の中の一幕だ。

 信仰によって団結するとは、神が団結させるということだった。人は神の命令ということにして、蛮行へ突き進んだ。



 昔話に、形式を厳密に守る悪魔が登場する。契約の文面の誤解によって、人間が悪魔と取引して得したり損したりすると語られる。

 これには合理的解釈が可能である。貨幣や契約は理不尽で無情なのだ。必要なものが眼前にあって、入手するのに貨幣を介するのは奇妙なことだった。契約が遂行されると信じて事業に生計を賭けるのは尋常なことではなかった。特に貨幣や契約で苦しむ場合、騙されている気にもなったことだろう。悪魔はきっと契約を得意とする。

 また、聖なる定型句は夜道にあって人を支えたのだ。当時の夜道は非常に危険で恐ろしいものだった。賊が出る。賊にとって、通りがかった獲物が聖句を唱えているのは、襲撃を思いとどまる理由にならないとも限らなかった。

 貨幣や聖句の持つ呪術的な力や、契約を厳密に守る悪魔は、こうした背景のもと語られた。



 理屈の通る解釈はもう一つある。本当にそういう現象があって、形式に厳密に従うと解釈するのである。


「ゴブリンイーターの召喚陣じゃねーか。あるのかよ」


 ここは迷宮である。無形魔王城の第三階層だ。

 亜竜人ヴィクロム・インヴィットはゴブリンの群をかき分け進み、ゴブリンイーターの召喚陣が光っているのを見つけた。

 ゴブリンイーターの召喚陣とは、ゴブリンイーターを召喚する力を持った紋様である。所定の形式に沿って魔術を発動させ、ゴブリンイーターを召喚することができる。ゴブリンイーターはゴブリンを食ってくれるので、ゴブリンを撃退するときに陣があれば極めて便利である。


 ヴィクロム・インヴィットはさっそく召喚陣に魔力を捧げ、聖なる定型句を逆向きに唱えた。魔物を召喚するときに共通の形式である。

 召喚陣からは黒い不定形のゴブリンイーターが出てきて、近くにいるものから順にゴブリンを食っていった。


「いや、助かるな。これでだいぶ楽になる」


 亜竜人は息をついてから、死にゆくゴブリンのため祈祷した。

 祈祷して気づいた。


「あっ」


 ゴブリンイーターが消滅する。目の前でゴブリンイーターの召喚陣が光を失う。祈祷のせいで力を発揮しなくなったのだ。


「うわ最悪、待ってくれ、ああ、やっちまった」


 ゴブリンの群を駆除しようとして一部だけ生き残るという状況は避けるべきとされる。ゴブリンは殺害者を執拗に追い詰めて殺しにくるからだ。

 この場合、召喚陣があった場所を急いで離れなければならない。


「帰りたい」


 帰れないことは分かっていた。ここで来た道を引き返すと大量のゴブリンを相手にする必要があるため、進んだ方がよい。

 第三階層の先は長い。

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