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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
論じられた神々の威信
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SAFV SADEVA ESMEREO EO

 感謝、謝罪、赦し、祝福を人が人に与えるという観念は古代世界にない。神を含めて三角の図となる。

 吉事には、利益を得た者が感謝の供犠で神を祀り、利益を与えた者へ神が恩恵を与える。

 凶事には、損害を作った者が謝罪の供犠で神を祀り、人々に神が仲裁を与える。くわえて被害者が供犠を行なって、損害を作った者へ神が赦しを与えるようにすることもできる。

 儀礼は吉事や凶事を例外的な事態と位置付け、行為者の意図を超えて秩序を安定させる。

 重大事件に対しては、王による儀礼が行なわれる。


「このレヌル・デンドル・メオラが裁きの儀を執り行なう」


 魔王が宣言した。

 呼び出された三人の探索者を裁きの儀が待ち受けていた。


「裁きの儀と言ったな。ウァコル先生が自身を生贄に召喚を行なったのは、決死の直訴であったわけだ」


 昔の習慣だ。王に直訴をすることができ、訴え出た者は成否にかかわらず処刑される。直訴は命がけだから効力があるとされた。

 第二階層のウァコルは死と引き換えに魔王による裁きを仰いだ、と吸血者レブは判断した。


「もしかして王による裁きが儀礼なのはもう当然の前提になってる?

 ていうか名前変わった? 裁きの儀にあたっての肩書きか。神様みたいな名前だ」


「ヴィク君、レヌルとデンドルはそれぞれ本当に神様の名前にゃ。中北部の神話体系かどうかは覚えてないにゃ」


 猫の人ミランディが言う。

 ツインテールの魔王が応答した。


「第一義には、戦いのことをレヌルと呼び、杖で特に刑罰に使うものをデンドルと呼ぶ。いまのわたしの名告りでは、祭祀における役職名と言うのが近い。

 神様の名前となるのは別の特殊な状況における特殊な用法よ」


「いきなり言葉の意味が二単語に三つずつ出てきた。戦い、戦い係、タタカイ神に、杖、杖係、ツエ神か。

 戦いを司るタタカイ神って言っていることになる」


「今まで知らなかったの? わたしたちの言葉だけでなく、古典語でだってそうでしょう」


 亜竜人ヴィクロム・インヴィットは思い出した。


「そうか。何年も前に古典語を習ったとき、夜って単語が、神話で出てくる夜の神の名前だと思ったものだ」


 吸血者レブも同調した。


「このレブも似た経験があるぞ。事物を神の名で呼ぶのだと感動したものだ。

 じっさいは夜とか火とかいう語に、神の名としての用法があると言うべきであるわけだ」


 猫の人ミランディは言った。


「古代の祭祀観、何も分からないにゃ」


 当世の人間には容易に理解されない。これを古代の学士たちは当たり前の前提としていた。


「さて。儀礼の前にお願いすることがあるの」


 魔王が正面から歩いてくる。軽くも堂々たる足取りで歩む。誰も止められなどしない。癖毛が揺れる。


「魔王譚文脈の亜竜人ヴィクロム・インヴィットにわたしが言う」


 探索者の前で立ち止まって宣言する。王はそこにいるだけで圧迫を覚えさせる。探索者たちは身動きできなかった。

 小さな口が開き、願う内容を告げる。


「あなたは第二の番人、祭祀者ウァコルに槍を突き立てた。これを撤回してください。伏してお願いいたします」


 魔王は地に身を伏せた。


「え」


「どうかウァコルを助けてください。どうかお願いします」


 ヴィクロムたちの予想に反する行動だった。助命嘆願である。

 亜竜人はかしこまって聞き返す。


「魔王様、あの状況から命が助かるものなんですか」


「式次第の上で、まだ供犠の獣は生きています。〈真実の宣言〉が致命打でしたから、撤回されれば助かります」


 探索者ヴィクロムは即座に判断を下せなかった。自分一人で得た勝利でもない。

 猫の人ミランディが言う。


「ヴィク君。一回ギタギタにしたから死んでいても生きていても構わないにゃ。どちらかと言えば生きている方がいいにゃ。

 その前に一個聞いておきたいにゃ。魔王にとってウァコルは、どういう人だったのにゃ」


 探索者たちにとっては儀礼論の印象が強い。生前の魔王がその印象を持つことはありえない。儀礼論は死後に書かれたのだ。


「あの人は、父の代からの重臣や祭祀者たちとわたしとの間に立ってくれた。わたしはとても助けられた。

 ウァコルは失われてほしくない」


 祭祀者は、祭祀を行なって神々の効験を雇い主の上に実現し、報酬を受け取る職である。儀式の実行は王たちの権力に食い込んでいた。

 立派で綺麗な王様を成り立たせるには、見栄や虚飾に満ちた面倒な調整が必要だった。王ひとりで実現できるものではない。


「ヴィク君の好きなようにするにゃ」


「ヴィクロム・インヴィットは、槍がウァコルを貫いたことを撤回する」


 すると学士ウァコルは生き返った。

 古代の装束をまとって、第二の番人だった学士は起き上がった。


「なんだ。ここはどこですか? 拙僧は死んだはず」


「あ、その辺に寝かされていたのか」


 学士は手のひらで胴に触れ、槍の傷がないことに気づいた。


「魔王その人が助けるよう願ったから助けたんだ」


 学士ウァコルは魔王の方を向いた。

 魔王は膝をまだ地についており、上体を起こして向き合った。


「なぜですか、と言いたいの。あなたの命はわたしのものではないか。生贄など受理されぬ」


「我が王。軽々しく嘆願などするものではございません。拙僧をお救いになるとして、手立ては他にありましょう。槍を突き立てた根拠の、第一の番人の真実を、真実でなかったと宣言すればよい。

 あるいは真実だったとして、槍で貫く効力を否定すればよいではありませんか」


「あっははは。わたしはねえ、あなたを生かすためなら王族の誇りなどどうだっていいの。

 否定なら貫かれる前にあなたがすればよかった。できたはずだ。それをしなかったのは、あなたが真実と効力を認めていたからでしょう。これになら殺されていいと。第一の番人の行動もあなたの想いも、なかったことにはしない」


 学士ウァコルは沈黙した。

 これに敗れるならば納得できる、と考えたときにこそ、その者は敗れるのだ。


「さて。わたしは召喚した以上、裁きの儀を行なわなければならない。ウァコル、準備を進めなさい」


 魔王が命じ、祭祀者は退く。

 亜竜人ヴィクロムは状況が分からないなりにつっこみを入れる。


「階層主から魔王に召喚の話は通してなかったのか。階層主は何を思って俺たちを呼び出したんだよ」


「第二階層内では神が言い訳になるさまが示された。それはそれとして学士ウァコルが儀礼論をぶっていた。この二つの異なる話題は少し関係している」


「一番わかりづらいやつだよな。違うけど関連する話を同時に進めるのって」


「不手際に対して、裁きの儀をもって清算しましょう」


 魔王レヌル・デンドル・メオラは壁の前に歩いて行って立った。

 上方で二度、下方で二度岩を叩いた。


「決まった手順を踏むと開く。下がった位置でご覧なさい」


 複雑な触れ方で壁のあちこちに触れ、足の位置を数度入れ替える。

 腰を落とす。

 拳を握って壁の一点にそっと当てる。

 まっすぐに引く。


「ツァッ!」


 魔王が勢いよく壁を殴ると、壁は崩れ落ちた。

 向こう側に道が続いている。


「ついておいでなさい」


「決まった手順で開く、と聞いて思い浮かべたのと違ったな」


 道を進むと湯気が立ち込めてゆく。やがて開けた空間に出た。


「何だこれ」


 湖があった。ただし人が立ち入れるようにはとても見えない。湯気の立ちようから、熱湯が溜まっていると見て取れた。

 熱湯の湖の上には、氷で細い橋がかかっている。人ひとりの両足が載るかどうかという幅で、上面は鋭い氷の棘をいくつも上に立てる。


「無事に向こう岸についたら裁きの儀は成功となる」


「そんなことある? この橋の上歩くの? めちゃめちゃ痛そう」


「神明裁判にゃ」


「というか拷問刑だろ」


 昔の習慣だ。神明裁判では神の意志を問うて裁きとする。拷問刑と一体化する例も見られた。

 罪が疑われる者に熱した炭を握らせて火傷しなければ無罪、などとなる。


「祭祀者ウァコルの儀礼論には欠点がいくつかある。

 たとえば天教や主神教が広域で行なった典礼を考慮していない。わたしたちの時代には影も形もなかったからね。

 普遍帝国で多くの人々が従事した軍事や建設の共同作業も考慮していない。これもわたしたちの時代にはほぼなかった。

 あと当時の事情とすり合わせる細則がやたら多い」


「天教などとすり合わせようとすればさらに煩雑になりそうだ。

 論としてありがたみが薄い。あれだけ熱く語ってくれただけに惜しいな」


「別に惜しくはないにゃ。そういうものにゃ」


「意外です。ウァコル先生の論は天教の学僧たちに読まれていましたよ」


「学僧たちも大変ね。ではウァコルの説明も含めて、不手際に対して儀礼を行なう」


 魔王は着ている装束を取り除いた。

 肌に密着する衣装が一枚残った。胴を覆い、肘と膝まで伸びる。水をはじく性質の衣である。


「わたしが裁きの儀を遂げ、もって不手際を清算する」


 履物を脱ぎながら言う。裸足で氷の橋を渡るのだ。


「本当にやるのかよ。そこまでしなくていいよ」


「魔王は残虐な習慣を改めたって階層主も言っていたにゃ」


 学士ウァコルは、魔王にまつわる伝説について現実と異なる点を挙げた。

 残虐刑を行なったという風説を取り上げ、むしろ廃止したと述べた。


「儀礼がしっかりしていない状況では、命をかけて初めて、強いメッセージを訴えることが可能になる。

 裁きの儀には、凶事を避けえた人物に負担をかけるものと、王や神懸りに負担をかけるものとがあった。わたしは前者の残虐刑を廃止した。王や神懸りに対するものを残した」


「神懸りとか後継者の人たいへんそう」


「ええ。なので、形だけ似せたものを行なうことがあったし、徐々に置き換えてもいた」


「やはりそうだったのですね、我が王! おかしいと思ったんですよ!」


 祭祀者ウァコルが口をはさんだ。


「伝統の儀礼をやめるなと言いたいの。そうすると祭祀者とは、意味のない祭祀を繰り返し、王が不作の地域に分け与えるはずの食物をかすめ取る、偉そうな穀潰しではないか。人に尊敬される神懸りをいじめる、神の僭称者ではないか。

 そして今回わたしはまさしく伝統に沿ったやり方をとる。黙っていなさい」


 ウァコルは沈黙した。

 魔王は言葉を低く歌う。


「祭祀者ウァコル、あなたが語らない情報がある。重要視しなかったか。それとも都合が悪かったか」


 祭祀者ウァコルは祭祀集団の話をしなかった。神懸りの話をしなかった。


「さて。食料の不均衡は戦争を引き起こす。不作の地の者が豊かな地から奪うため戦う。戦いが常態化すれば食料を運ぶ流通は滞り、土地は荒れる。

 中北部の部族は放っておいても南方連合に同化されておかしくなかった。南方は内輪揉めの果てに中北部に軍隊を差し向けた」


 探索者は知っている。

 第一階層の番人はその状況の一端を生きた。


「公明正大な王がいれば生活の糧を分配してくれる。そんな王など理念上の存在だ。分配に対立の余地などいくらでもある。

 そこで祭祀が王権に箔をつける。納得できる落としどころを設ける」


 探索者は知っている。

 第二階層に再現された東方都市で人は、神の権威を小馬鹿にしながらも頼った。


「王や争いの有無の違いはあれど、たいてい結果的には、収穫の大きな土地から小さな土地へ糧が渡ることになる。

 飢えた者への一方的な施しは双方にわだかまりを残す。ここで誰かが犠牲を払えば、一方的な施しを受けることにはならない」


 探索者は知っている。

 第二階層に再現された南海で人は、略奪に犠牲を必須とした。


「当時の祭祀者は神懸りに不作の責任を求めた。不作の折に神懸りの負担で裁きの儀を行なわせた。

 人は反発した。式次第を勝手に作って王を騙す祭祀者よりも、親身になってくれる神懸りたちを尊敬した。神懸りたちは命がけの真剣さで人々の困難を助け、ともに働いた」


 探索者は知っている。

 第二階層に再現された南西の聖地で人は、信仰を生活の手段とし慈善とした。


「戦いや裁きの儀礼は人々に特別な機会を作り、分け合うことを可能にする。

 祭祀を通した分配で、神に奉納し残りを人々が享受する。一つの器で食物を囲む」


 探索者は知っている。

 第二階層に再現された西北の山地で人は、共同の調理作業や身体運動を演じた。


「祭祀者の堕落は新たな信仰の余地を生む。人は神像を造った。

 誰かの金儲けのために呼びつけられる神よりも、そびえ立っていて拝みに行ける神の方がありがたかった」


 探索者は知っている。

 第二階層に再現された北方の聖堂で人は、異教の神たる魔王を崇めた。


「当たり前に信じるべき神を人は求めた。それが、わたしの王権を支えた」


 信仰は虚飾の儀礼と反正統の崇拝に分離しようとしていた。

 権力にすり寄る祭祀者より、助けてくれる神懸りを敬う。儀礼を何も分からず見守るよりも、礼拝を自ら進んで行なう。

 そこに魔王が立った。正しい儀礼を行なった。尊い伝統も真摯な祈願も肯定した。秩序を求めた祭祀者も安寧を求めた神懸りも肯定した。


「これが第二階層の意味よ。階層主である祭祀者はというと、伝統を重んじわたしに反感を抱く層との間を、穏健派として取り持ってくれた。ウァコルよ」


「はい」


「大儀であった」


 祭祀者は少し驚いた表情を浮かべ、顔を伏せた。

 答えて言う。


「もったいなきお言葉でございます」


 その声は涙をこらえたものにも聞こえた。

 猫の人ミランディが声を発する。


「魔王本人の弁では古い祭祀と新しい崇拝を仲裁したわけにゃ。

 残虐刑を減らすにも儀礼と折り合いをつけたのにゃ。それはいいこととして、いちおう言うと、王の裁量で王の責任を軽減できるのは一般によくないにゃ」


「知っている」


 猫の人ミランディは沈黙した。猫の人は残虐な風習や部族の敵対を嫌い、同時に、王や王権の演出というものにも嫌悪感を抱いていた。


「よろしいか。わたしが踏み出す一歩目をもって、裁きの儀を開始する」


 魔王は言って、氷の橋に足を置いた。


「ぎっ」


 悲鳴をかみ殺す。式次第では、最初の五歩では声を上げてもよいことになっている。

 気息を整え、王は歩き出した。数歩のうちに足取りが安定し、平地を歩くのとまったく同様に進んだ。


 ツインテールが規則的に揺れる。頭の位置は前後左右にぶれることがない。


「氷の上に血がついている。足の裏が傷ついたんだ」


 王は歩き、姿が湯気の向こうにかすんでゆく。

 亜竜人ヴィクロムは尋ねた。


「ここって落ちたらどうなるんだ」


 祭祀者ウァコルが答えた。


「儀礼は失敗となります」


「人間が落ちて無事で済むか、と聞きたかった」


「無事で済むとお思いですか?」


 ヴィクロム・インヴィットは沈黙した。眺める者たちは信じることしかできない。

 やがて、向こう岸から金属音が聞こえた。


「渡り切ったようですね」


 すると、湯気が晴れた。

 向こう岸に立つ魔王の姿が見える。魔法を行使し、湯気を晴らしたのだ。王たる者、姿を隠す霧や湯気を晴らすことができて当然である。


「わたしが魔王である。わたしが裁きの儀を完遂したという真実にかけて、不始末は清算された。

 異議なくば、沈黙をもってこれに応えよ」


 四人は沈黙した。


「探索者らには第二階層の踏破を認める。

 以上をもって儀式を解散する」


 魔王は儀式の解散を宣言した。

 すると、世界が崩壊した。

 熱湯の湖が光の粒に消えてゆく。最奥部に通じた背後の道が消えてゆく。攻略者たちも第二階層へ、そして地上へと帰ることになる。

 そのときである。


「魔王譚文脈の亜竜人ヴィクロム・インヴィットが宣言する。

 見栄と虚飾とに満ちた世界にあって、あなたは真実を示す。魔王メオラ・ディアケト=リギカという一つの真実にかけて、レヌル・デンドル・メオラという一つの真実にかけて」


 ヴィクロム・インヴィットは厳かに呼びかけ、足を踏み出した。氷の橋に足を置くと、靴が光の粒に消えた。素足が氷に触れる。

 亜竜人は叫んだ。


「この身体を、足は、魔王のもとへと運べ」


 するとかれの身体を、かれの足が魔王のもとへと運んだ。

 熱で溶けかかった氷の上を走り抜け、半ば光の粒と消えた数箇所を飛び越えて、魔王の前にかれは立った。


 世界が崩れる。ここには二人しかいない。


「足元の悪い中よくぞ参った」


 声色が嬉しさを湛えていた。対して亜竜人が宣言する。


「冒険者ギルド法にのっとって、ヴィクロム・インヴィットは魔王に対し宣言する。

 自身の殺害を許諾し、決闘を申し込む」


 当世では実施されることのない冒険者ギルド法の決闘規定は、成立要件を述べる。

 決闘の申出は、決闘人が他方決闘人に生命の侵犯を明示的に許諾するとともに、これを宣言せねばならない。

 魔王はかすかに笑って答えた。


「式次第の上で、メオラ・ディアケト=リギカとしてあなたに対することはできない。

 わたしことレヌル・デンドル・メオラはヴィクロム・インヴィットに対し、自身の殺害(まおうとうばつ)を許諾する。わたしは決闘を受ける」




 雲間の太陽が野を照らす。ここは迷宮である。

 第二階層だ。


「なんかちょっと声が聞こえるにゃ」


 階層主ウァコルは消え、ヴィクロムは勝手に駆け出して、二人が残った。

 猫の人ミランディが頭頂部の耳を動かす。

 隔絶した空間の音を聞く。


「えっと。

 そいつの見る目がないな。あなたに似合っている。決まりを杓子定規に適用したんだろう。とても綺麗だ。どうか気にせず着てほしい。次のはどうだ。

 うへっ、ヴィク君こんなセリフ吐けたのにゃ。あとでいじってやるにゃ」


 聞こえたのはおもねる声だった。

 吸血者レブが相槌を打つ。


「決闘でも申し込みに行ったのではないかと、いらぬ心配をさせられたな。ただ媚びを売っているだけか。ぜひいじり倒してやれ」


「決闘を申し込みに行ったのではなさそうで、よかったにゃ。ヴィク君はたまにそういうところがあるにゃ」


 猫の耳が大きく動く。


「なんか魔法行使の予兆を感じるにゃ。たぶん転移されてくるにゃ」


 ミランディはそう言って辺りを見回し、適当な木のそばに退避した。

 やがて何もない中空に白い楕円が浮かび、低い音を立てて回転した。


「転移するやつにゃ。出てくるにゃ」


 言うが早いか楕円から人体が現れた。


「ぐわああーッ!!」


 人体は楕円を勢いよく飛び出し、縦に回りながら地面に落ちる。空中で身を動かして骨折を免れ、手をばねに一度跳ね上がってから両足と片手で着地した。

 探索者ヴィクロム・インヴィットだ。立ち上がろうとして、失敗した。膝をつく。


「ヴィク君!」


「手出し無用だ! 勝負はまだ続いている!」


「いいえ。もう終わりよ、わたしのヴィク」


 回転楕円からもう一人がゆっくりと歩いて出る。魔王である。


「場外でしょう。敗北を認めなさい」


 このやり取りに猫の人は目を丸くした。


「本当に決闘していたにゃ」


「おもねる言葉は何だったのか」


 敗者を満足げに見下ろして魔王が告げる。


「もっと強くなりなさいな。また最終階層以外でも相手してやる」


「ご機嫌で楽しそうにゃ。待つにゃ、魔王」


 魔王は敗れた探索者を置いて去ろうとする。ミランディが呼び止めた。


「いちおう言っておくにゃ。もろもろの民を一つにするのが儀礼ってことはないはずにゃ。必要なのは法や制度の公正にゃ。

 きっと神様のもとでしか運用できなかった時代からすると、神様がいない版の儀礼に見えるのにゃ」


 儀礼の話の感想だった。


 ウァコルの見た上古代世界では、地縁や血縁で結びついた小さな共同体が裏切り合った。大きな敵対者への抵抗力を損なった。

 亜竜人ヴィクロムにとって歴史や物語のできごとである。吸血者レブにとって城壁の外のできごとである。


 獣人ミランディにとっては、けして隔絶した世界ではない。獣人たちの歴史上、部族間で協調が取れないうちに収奪に遭うことは多々あった。

 儀礼を失った結果とウァコルは捉える。法や制度が公正を欠いた結果とミランディは捉える。


 魔王が答えた。


「とても重要な指摘だ。

 話が煩雑になるため、ここでは扱いきれなかった。

 関連するものは以降の階層で出すかもしれない」


「硬い口調になったにゃ。この迷宮ってそんなライブ感ある作り方なのにゃ。

 本業があるから第三階層の攻略には行けないにゃ」


「よかろう。さらばだ」


「またにゃ」


「次は勝ち切るからな! 今日はこの辺で勘弁しておいてやる!」


 片手の指を向け、ほかの三肢で身体を支えて、亜竜人は捨て台詞を吐いた。


「ヴィク君うるさいにゃ」


「覚えてろよ!」


 亜竜人は身体の平衡を失って手をついた。それは神霊を拝む姿勢に似ていた。


 魔王は姿をかすませてゆく。

 やがて一つの言葉を残して消えた。


「サフ・サデウァ・エズメレオ・エオ、メウ・ヴィク」


 こうして、第二階層の攻略は終了した。



SAFVSADEVA(もちろんわたしはいつ)ESMEREOEO(までも覚えているよ、)MEVVIC(わたしのヴィク)

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