魔王伝説
魔王軍四天王は三百人にも及んだ。伝承の錯綜である。そのようなものが歴史上いたわけではない。
ご当地の昔の王様やら風来坊やらが数えられた。川を二つ越えれば四天王が一人入れ替わると俗にいう。
魔王に付随させれば箔がつく程度に、古い魔王の威信がしぶとく残ったということでもある。
天教時代にもその後にも物語は伝わり続けた。
「帝国衰退からしばらくの魔王伝説って聞かないな。当世で知られる魔王も古代の歴史的人物か、語り直しだろ」
当世にいう魔王イメージはせいぜい数世代で作られた。その創作の情報源も古くはさかのぼらない。
「帝国が終わりゆく西都時代後期には、色々な神が祀られ、互いに混じり合いました。その中にも我が王は祀られます。
西都時代前期の神格化と連続した伝承は、帝国崩壊以後だいたい中北部から北部を中心に伝えられたと見えます」
木漏れ日が森の道を淡く照らす。
ここは迷宮である。無形魔王城ヂアハトリーギ第二階層である。
北部の土地を再現していた。
北部の平らな地域は、山がちな西北部に比べて暮らしやすい。古くから農耕牧畜文化や遊牧文化が存在し、東方諸都市と交流がある。魔王の立った中北部のマリニアは交流の経由地でもあった。
「東都文明の諸都市と北方との交流は忘れがちになるよな。交易品なんかも出土しているんだっけ」
「先史時代の東方で、北方獣人による工芸品が見つかるとは聞くにゃ」
西都は東都文明の正統な後継ということになっている。普遍帝国の東都時代に東を平定し、西に中心地を移したという。
実態は、東の衰退とともに西方の部族連合が台頭し、建国神話の中で東都を故地として位置づけた、という方が近い。
帝国の拡大期に北方は蛮地とされ、東都文明との交流は無視された。
北方勢力もまた、のちの崩壊期に独立勢力をなすと、普遍帝国の退廃的な文化を捨て、征服以前の東都の影響までも抹消しようとした。
「我が王の名や図像は西都時代後期になると、おおむね反皇帝の旗印や古の美しく勇ましい伝統を表したようです。崩壊の混乱期には、よき王の再来として統一者が現れるよう願ったといいますね。この階層のここはたぶん天教時代で、王は異教の神にあたります」
天教時代前期の北方ではおおむね聖堂教師たちが権力を握った。帝国崩壊後の混乱はひとまず鎮まる。
宗教者が権力を持ち、名目上の領主は取り巻きの党派を連れて略奪を繰り返した。かつて皇帝に任命された責任ある統治者の末裔は、ごろつきとなった。
聖堂は集落や街の中心である。
城壁を越えると通りの先に聖堂がある。
「この先の建造物が聖堂か。ちょっと見てみようではないか」
吸血者レブが言った。亜竜人ヴィクロムは訝った。
「入れるのか? 聖堂に吸血者が」
「この時代なら大丈夫であろう」
当世の通念では、聖堂に吸血者が入ることはできない。
「特定の建築に入れないのではない。特定のいくつかの信仰体系と相性が悪いだけだ。第一次祭祀改革の前の天教なら問題ない」
参拝や陳情に来た人がちらほらいる。
加わって、吸血者レブと一同は聖堂に足を踏み入れた。
「アアアア痛い痛い痛い!!」
吸血者が光の粒に消えてゆく。
「ダメじゃん!」
すると階層主である学士ウァコルは言った。
「魔王の代理として、祭祀者ウァコルは吸血者レブを招き入れます」
光の粒に還りかけた身体が、再び形をなす。
「助かった」
「何やってんだよ」
「面目ない」
「そんなことより、聖堂彫刻をご覧ください」
ガラスで弱まった太陽光が回廊を照らす。ここは聖堂である。
のちの天教全盛期の建築に比べると天井が低く、ふつうの建物と変わらない。
壁を紋様が埋め、動物や怪物が彫られる。柱の上下には魚に似た怪物の顔が据えられる。
「異教っぽい造形にゃ」
「この全部が、天教の教義の中で意味付けされるわけか」
「信徒にとって見たことのない怪物によって、天の神様の計り知れない力が地上世界を覆うことを表現するそうです。
たぶん異教と呼ばれる信仰体系と連続していたのではないでしょうか。このような怪物の存在は天教の聖典や正統な教理で否定されています」
第一次祭祀改革以前の天教である。明らかに正統でない呪術的実践があちこちにあった。教理とかいうのは一部の学僧だけが考えることだった。
吸血者レブが口を開く。
「権力を握る僧どもも苦労したことであろう。隣村で出た怪異の意味を教えてくれ、などという民は多かったはずだからな」
僧侶階級は人々に篤く尊敬された。
土地や水の争いに際して、神様の言葉が分かって典礼を行なえる先生が裁きをくだす。
天教の先生がやめろと言えば、みんな薄々やめたいと思っている因習をやめることができる。
また、悪徳にふける者は不慮の事故に遭ってもおかしくない。
「たとえば布施という徳行をなすと、分かりやすい功徳が得られることになりますね。天教の先生が裁判をやるわけですから」
「金を渡したら裁判で有利になる。それって賄賂だよな」
「天教の戒律に反していますよね。ただそれだけ、戒律に反するだけです」
神の戒律に反して悪くなければ、この世に善も悪もあったものではない。そのはずだ。
天教時代前期は違う。賄賂は当然だった。占いも賭博も行なった僧が、人々の模範とされた。これらは戒律に明確に禁じられている。
「戒律に反したら悪いという考えもあるにはありますね。
裁判の相手が賄賂を渡したときには、外の宗教的権威を持ち込むという戦い方が有効です」
説話の定番だ。
悪徳な金持ちに無茶な裁判を起こされる。金持ちは布施と称して堂々と賄賂を渡す。
訴えられた側は、えらい聖者の助けを得て、僧に公正な裁きを頼む。
われらが先生。あなたは神様と聖者様を正しく敬う方なので、いつも公正にお裁きになっています。私たちが先生に裁きを委ねるのは、そのためなのです。そうですよね? こちらにおわす聖者様も、先生に期待されているはずです。
すると僧は無茶な訴えをした金持ちを退ける。
正義はなった、お話を聞くみなさまも敬虔に過ごしなさい、と説く。
「実話でもおかしくない。僧からしても、聖者がいるなら仕方ないという言い訳が立つのであろう。訴える側も、負けたからといって面子を失うこともない」
権力者の地位は安定しない。有力な俗人と折り合いをつけなければ、かろうじて確立された天教に基づく支配は失せてしまう。金や武力を持った俗人が権力を握れば、より激しくより堂々と不正な策をとることだろう。と、宗教者は考える。
じっさい、俗人が権力を握った場合の悪徳は容易に想像できた。当時、名目上の領主は取り巻きの党派を連れて略奪を繰り返していた。
「ご覧なさい。部屋です」
部屋というには小さい。大きめの窪みに近い。
「集会場とか本堂とかいう感じじゃないな。何の部屋だ」
正面に立って見ると、魔王がいた。
「うわあ!? なんだ、像か」
彫像だ。
角を六本生やした女人像で、両隣に獣がかたどられる。
毛並み豊かな猛獣が、懐いて身を寄せる。
女は右手に剣を持ち、左手の指で一方向を示す。
「ツノ多くない? てか当たり前に異教の神の魔王が置かれるんだ。わきの方でもなく、けっこういい位置どりだ」
「かなり後世になっての作品ですからね。神を祀る目的で像を作ることは、拙僧らの伝統にはありませんでした。
異教性の排斥はもっとずっと後のできごとですね。いい位置に異教の神がいることもあります」
天教の伝説で、魔王は聖者を惑わす。邪神である魔王が利益をちらつかせ、脅し、なだめすかす。聖者はそれをはねのける。
一部地域では邪神ではなく、いい神霊である魔王のふりをした悪霊が登場する。聖者はその正体を暴く。
魔王が邪神であってもいい霊であっても、聖者が試練を乗り越えるという趣旨には違いが出ないためか、変種の伝承は後の時代まで保たれた。魔王の神格も残った。
「もっと見てみるか。どういう造形だろう。近寄れないしよく見えないな」
亜竜人ヴィクロムは身体を屈めた。片膝をつき、もう片方の膝もつく。顔を近づけ、手を床につく。
すると祭祀者ウァコルが言った。
「そう。そういうことですよ」
探索者は振り返って答える。
「何だ? そういうことって何だよ」
「造形の機能です。熱心に鑑賞しようとすると、膝と手をつくことになります」
「え」
跪拝礼だ。神や神に等しい王への敬礼である。
探索者ヴィクロムが向き直ると、像と目が合った。
王は毅然と立ち、剣を携え猛獣を従えて、跪く者を見下ろした。
こうべを垂れよ。
「興奮してきたな。額ずいてみるか」
「ただの像ですよ。バカですねえ」
「あ? 何だよ、階層主。ご覧なさいって言うから見たんだろ。なんでそんなこと言われなきゃあいけないんだ」
立ち上がり、ウァコルに詰め寄った。探索者ヴィクロムは作り手が意図したであろう見方をしただけである。
祭祀者ウァコルにとっては、神の像を作る習慣は正統ではないのだ。だからバカ呼ばわりした。
「この左手が指さすのはマリニア地方だったりするにゃ?」
割り込んで猫の人ミランディが尋ねる。
「よく気づきましたね。そうなんですよ。辿ってみましょうか」
像の指の先へ行く道を検討すべく、聖堂を出た。
「街の壁の外からは、ほぼ同じ方向に道が伸びるな。そこまでの道が分からん」
「面倒そうである」
「しょォがないにゃァ〜ア。勢いのついたナグルファル、武爪船」
猫の人ミランディの呼びかけに応じ、帆船が現れた。
帆船は水面をゆき、風動車は平地をゆく。
神の帆船は水の上も土の上も、中空も航行することができる。
船は、飛翔する。
「乗るにゃ」
「助かる」
船は目指す方向へと速やかに飛んだ。
壁を超え、眼下に街道を見、目の前には山を見た。
「山? ぶつかるじゃん!」
「トンネルがあるので大丈夫ですよ」
山の中腹には広いトンネルがあった。
船は吸い込まれ、車輪で路面をこすりながら進む。
「これ車輪あるんだ」
平地をゆく風動車として機能することになる。
古代の東都文明で、車輪は運命と結びつく。運命は王に武勇を与え、王は車輪でどこまでも進むからである。運命とは赫々たる勝利だった。
古代の西都帝国で、車輪は運命と結びつく。毎日毎年太陽が巡り、地上世界は一方的に享受するからである。運命とは定常なる秩序だった。
混乱期の中北部で、車輪は運命と結びつく。上がったものは下がり、また下がったものは上がるからである。運命とは無常なる波乱だった。
文化的背景によって異なる理由づけがなされる好例である。
車輪のありがたみは昔から広く知られ、運命の象徴として語られた。
トンネルには決まった方向の風が吹く。両側で祭火を焚いて風の魔法を行使しているからだ。
天教下では帝国健在時の道がふたたび安全に使えるようになりつつあった。
「このトンネルには謂れがあります。
曰く、いにしえの魔王が指から力ある光を放って、山に穴を開けたと。
古代のトンネルと、神格化された王とを結びつけたのです。
昔のすごい王様の力なら、この暗い道を使うのに恐れなくていい、と思ったことでしょう。
こんな穴を開けるなんて昔の王様はすごい、と思ったことでしょう」
箔づけに使える程度に、古い魔王の威信は残った。
「この時代でいうと、どこのどういう王様なのか把握していたか、怪しいところです」
「階層主の儀礼論だと魔王の威信が未来に伝わったことは説明しないんだよな」
学士ウァコルは通常ならば儀礼と呼ばないものを儀礼と呼ぶ。
特定の神を祀るかどうかは、儀礼の効力に関係がない。
「抜けたぞ」
山を越え、中北部に出る。
歴史上の魔王が活躍した土地だ。
古い魔王の威信はしぶとく残った。
覇権が入れ替わり、信仰が置き替わり、崇拝形式が変わって、伝えられ続けた。
一つ一つの伝承の起源をたどることはできる。式次第の起源をたどることはできる。
どの論も、何の王かすら分からなくなった魔王の威信が残った理由を説明しない。
古い神話体系における秋の神について述べる。
春の神は姿を何にでも変えて神々を翻弄し人々を寿ぐ。
夏の神はすべての生ける者に活力を与え死を与える。
秋の神は色とりどりの衣装を着て踊る。
雨季の神はあらゆる罪障を浄め喜びをもたらす。
冬の神は死と次の命を用意し循環させる。
太陽四神のヘグは天運を分配し戦士を勝利させる。
太陽四神のセアテルルは生命を鼓舞し成長させる。
太陽四神のエディシスは邪なる者を世界から追い払う。
太陽四神のグィヌルは天球をめぐってすべてを見晴るかす。
いっぽう秋の神は色とりどりの衣装を着て踊った。
伝説の金の鳥シュフェルニスは万病を癒し、王たちを庇護した。
伝説の大樹ウァグウェクティルは枝葉を地上世界に恵み、地上の人間は多種の技術を伸ばした。
伝説の巨人クロノスは死後、遺骸から鉱石や穀物をあふれさせた。
いっぽう秋の神は色とりどりの衣装を着て踊った。
最初の山羊は人々に羊を連れてきて衣服と火を与えた。
最初の牛は人々にチーズを与え祭壇の積み方を伝えた。
最初の駱駝は記念すべき事蹟を天球に置いて星座とした。
いっぽう秋の神は色とりどりの衣装を着て踊った。
秋の神は明らかに権能に乏しい。神らしくないように読まれうる。
秋の神が神らしくないことについて、新し目の伝承が一つだけ歌っている。
新し目の伝承が一つだけというほど、疑問に思われずにいたらしい。
秋の神は語った。
「私は神にふさわしくない」
秋の神にとって年少にあたる神(おそらく夏の神を意味すると思われる)が聞いて尋ねた。
「あねさま。なぜそのように言うのか。あなたは神にふさわしい」
秋の神は答えた。
「私は権能に乏しい。私は色とりどりの衣装を着て踊るだけではないか。神らしい務めを負っていない」
年少なる神は、驚き呆れた。
疑いなく秋の神は神にふさわしい。見れば分かることだった。
年少なる神は言った。
「あねさまは、綺麗だ」




