迷宮〈無形魔王城ヂアハトリーギ〉第二の番人
「知人のミランディだ。気前のいい人だよ」
魔王譚文脈の亜竜人ヴィクロム・インヴィットは吸血者レブに猫の人を紹介した。
猫の人ミランディは第一階層攻略記念会でよく食べ、返礼としてついてきた。
強い日差しが水面を照らす。
ここは迷宮である。
無形魔王城ヂアハトリーギ第二階層の始点で、街の入り口をなす橋である。
迷宮内に空が広がり太陽光が射す。いわゆる青天井階層だった。
迷宮内の太陽は吸血者に害をなさない。
吸血者レブはミランディの方を向いて言った。
「獣人、と呼んでいいのだったかな。猫の方よ。配慮することなどあろう。教えておいていただきたい。発情期とか」
「レブお前バカ撤回しろ!」
亜竜人は紹介を受けた吸血者の、さっそくの無礼を慌てて咎めた。
猫耳のミランディは言った。
「教えておくにゃ。あなたが」
言葉を切り、深呼吸する。
「ふーっ。あなたがそう呼んだ時期を、正しくは〈生命の大祭〉と呼びます。この時期に、我々は主神の存在をもっとも身近に覚えます。あなたの呼び方は著しい侮辱にあたります。すぐに撤回してください。
初対面に暴力を伴うのは、お互い望むところではないはずにゃ」
つとめて冷静にあろうとする。
ミランディは理知的だった。
獣人の掟である。〈生命の大祭〉を侮辱する者には、流血をもって報いなければならない。
居合わせた一人の獣人の望むと望まざるとを問わない。神に対する義務は当事者間の関係や当人の心情に優先する。
吸血者は軽く頭を下げた。
「申し訳ない。撤回し、以後気をつけよう。
あなたがたの間でさような設定になっていると知らず」
吸血者の顔面に拳がめり込んだ。
身体が浮き、足がもつれて後ろに倒れた。
予備動作の小さい強打を天与の身体特性が可能にした。
獣の耳と尻尾とを備えた者は、一般に敏捷で身体動作に優れると知られている。
「撤回を拒絶するにゃ」
ミランディからすれば神に対する義務は設定などではない。厳然たる真実である。
「しょォがないにゃァ〜ア。ヴィク君の顔を立ててこのぐらいで済ませてやるにゃ」
探索者仲間に目くばせで促した。
ヴィクロムは吸血者を助け起こし、二人を向かい合って立たせた。
「えー。ヴィクロム・インヴィットが証する。レブは侮った。ミランディは殴った。これにて一件落着である。
レブにおいて異論あらざれば、沈黙をもって応えよ」
吸血者レブは沈黙した。
「ミランディにおいて異論あらざれば、沈黙をもって応えよ」
猫耳のミランディは沈黙した。
ヴィクロムは締めくくった。
「和解は成った」
そして和解が成った。
「よろしくお願い申し上げる」
「ミランディ。こいつは迷宮の中で会った吸血者で、レブと呼んでいる」
「よろしくお願いするにゃ」
亜竜人はレブの方を見て訝しんだ。
「あれ。今の傷は癒さないのか」
吸血者には多少の傷がついてもすぐに治る。レブは殴られたまま、血も止まっていないようだった。
「信仰の乗った攻撃は容易に癒えぬ」
「そうなのか。だったら礼節には気を付けとけよ。避けられた災難だろ」
「まあ、まあ。済んだことにゃ。
この階層は素敵な風景にゃ」
強い日差しが水面を照らす。
広い河には魚や水鳥がいる。船が行き交う。街に人が暮らしているのだ。
「どこか特定の街がモデルなのかな」
「分からんか、亜竜人。ここではウル河が南海に流れ込んでいる」
「え。これアティスの街か」
河口は中流域のオルヴェラ河畔に比べてはるかに広くなっていた。亜竜人はそれと分からなかった。
「その通りですよ。探索者たちよ」
「誰だ!」
浮世離れした雰囲気の人物がいた。
その服は古代の装束に近く、鮮やかな色をアクセントとしていた。
人物は気負いなく名告りをあげる。
「祭祀者ウァコル。無形魔王城ヂアハトリーギ、第二の番人です」
「話が早い」
階層主である。
亜竜人ヴィクロムと猫の人ミランディは戦闘のため構えた。
「この階層の各節は地上における歴史ある土地の複数と相似しています。
拙僧が案内を努めましょう」
「おお。ウァコル先生にご案内願えるとは素晴らしい。
ここで君ら二人が立ち向かうというのなら、この吸血者、対して立とう」
「は?」
吸血者レブが寝返った。
「今回は第一階層とわけが違うよ。ヴィク君に困難を課すのが主目的ではない。すまないな」
「すまなくないよ。今後とも困難を課さないでくれ」
無視してレブは続けた。
「『公共の祭儀について』はヨリアジス所蔵の写本で読ませていただいたものだ。最近は失伝したのであったか」
「ヨリアジスのウァコルが書いたものは断片以外失われているにゃ。ちょうどこの間調べたことがあったにゃ」
「大したものではございませぬ。拙僧は王を儀礼の定義者と難じた。そのあと、拙僧が他ならぬ儀礼の定義を試みたのですからね」
「儀礼の定義者って悪口なんだ」
亜竜人ヴィクロムが口をはさんだ。
「定義とは論の目的に向けた出発点であろう。霊験ある儀礼を統治の手段に貶めたくないのは著書からも読み取ることができた」
「そうなのにゃ? 話を聞いた限りで、神様とかを分かろうとするのを非難したのかと思ったにゃ」
「どうか今は拙僧の瑕疵を掘り起こさないでいただけると嬉しくあります。
この階層では、神々と儀礼との結びつきが薄れ、理屈が前面に出たさまをご覧いただきましょう。
神々は祭火のもとに現れるのでなく、整備された教義や合理や象徴をまとうのです」
ウァコルにとって儀礼の中の神は厳然たる真実で、儀礼の社会的効力もまた認めるべき現実だった。
絶対の真実を結束のための手段に貶めるわけにはいかなかった。
その論述の中では、儀礼に霊や神秘の要件が含まれない。
「神々を欠く儀礼をご覧いただきましょう。神のない儀礼が社会において効力を発揮するのです」
聞きながらヴィクロムは重い槍を手に取った。
魔槍ぶちぬき丸、月神に由来する槍である。
「ご高説を賜って感謝する。死ね!」
ウァコルは棒立ちの姿勢でそれを眺めた。
「魔槍の起源譚には複数の伝承があります。その槍のは、必死の祈願によって怪物を滅ぼした子供の話ですね。
神殿にあって落ち着かない子供のために語られました」
昔むかし、牛にして猫の怪物がいた。
怪物は人を食らった。
人々の間で取り決めて、毎月一人を差し出した。
ある月、父と母と子とからなる一家が、差し出す番になった。
父母は悩み苦しんだ。
子が、「僕が行って、怪物をやっつけてしまいましょう」と言った。
父と母はさらに深く悲しんだ。
子は地上世界の恐ろしいことごとをまだ知らない。何も分からないまま、この子が怪物に食われていいはずがない。
子は何も知らないなりに、悲しみを思いやることを知っていた。
子は神々に祈願した。お願いです。僕に怪物をやっつけさせてください。
月の神が槍を授けた。
槍を突けば、牛にして猫の怪物を貫いた。
「だから、子らよ、ひたむきに神様に祈願なさい、と。
出だしが共通する話の一つでは、家を抜け出た子を父母が追い、勝手にいなくならないでくれと説きます。
怪物の前で各人が家族をかばうさまは怪物に、親愛の情というものの存在に気づかせます。
結果、怪物は悔い、人間を食べるのをやめるのです。
槍は不要だったのです」
ウァコルは呪文を唱えた。すると、ヴィクロムの手中から槍が消失した。
「何っ!?」
「さて。拙僧はいま、怪物が槍をとって自裁する話を引いてもよかったのですよ。
そうなれば自身の心臓を潰していたことでしょうね」
カバーストーリーの原理である。
魔法はイメージで発動する。より強固なイメージで上書きすれば、強さや性質を変える。
「わかった。ご案内にあずかろう。同行を認める」
ヴィクロムは同行を認めた。
「しょォがないにゃァ〜ア。勝てそうにないにゃ。
同行を認めるにゃ」
ミランディは同行を認めた。
【迷宮管理者権限において、第二の番人の編入が認可されました】
「よろしくお願いしますよ、諸君」




