太陽は傾く
まだ都に帝国の栄華の中心があった、歴史の中の一幕だ。
「牧と戦の女神から力を授かった大魔王は、建国の十傑に数えられるはずだろう」
「神代の十傑なんて州境をまたぐと数人が入れ替わるさ。あの王が英雄とは面白いね」
夢を追って帝都に移ったある男は、日々出身地方との違いを実感せずにいられなかった。
地元の英雄が中央では、かつて経験した最悪の敵と扱われているのを知った。
笑われるのは不本意だった。
かの王はとても強かったという。痩せた土地の民は、かれを敬し女神を畏れ、勇猛に戦うものだった。
建国の諸王が台頭したとき、かの王は民を思って、貧しい土地を治めてもらうよう願い出た。
そのさいに、生まれたときから持っていた角をみずから折って忠誠を示したエピソードは有名だ。聞かされた献身の美談を、畏怖とともに覚えている。自身が有角人だったから、畏怖は身体感覚に結びついていた。
そして王は中央の諸王とともに、諸部族の反発を制し、帝国にとって欠かせない強豪の兵たちを供給して今にいたる。
帝都では、異なる魔王が伝わる。女神と混同すらされていた。
かれは、または彼女は、先代の王が敗れたのち人質に取られたという。
反乱に乗じて城を落とす。分解しつつあった部族をまとめ、帝国と北方諸勢力の間に一国を築く。謎の死を遂げてのち国は分裂し、帝国に吸収された。
「郷土愛にかかわる。黙ってはおけない。
大魔王を征服地の蛮族に貶めてくれるなよ。優しく強い王で、帝国への貢献も大きかったのだから」
男には不満だった。
男は商売に励んだ。海を渡り、河を上っては下り、谷風を風動車の帆に受け、諸方の物品を運んだ。
男はたくさんの土地を知った。たくさんの風を知った。たくさんの人を知った。
壮大な景色を味わった。美女や美少年を愛した。先人たちの建築を仰ぎ見た。
帝都が物流の中継地から始まったと知れた。世界の半分、日の当たる方の半分が、そこにあると知れた。
同胞に会えば、互いに鼻先で角に触れ、友愛を示した。古くから行なわれた挨拶だ。
角をもつ人々はあちこちに住んでいた。
そして男は、自身の郷里こそ有角民たちの故地だと信じていた。
男の出身地域は、諸地方の模範とされていた。諸地方を見てまわって、ゆえんが知れた。
各地でしばしば巫女を担いだ反乱や蛮族の勢力が剣を振り、小競り合いのうちに鎮められていた。
男の地元は兵の強さのみならず、忠誠で特に秀でていた。
一方で、皇帝への崇拝は諸地方でこそ篤かった。中央では、皇統の祖霊祭祀の末席にあたる、一人の人間である。
各地にあきらかに太陽神や海神や軍神の特徴を備えた像が立つものだった。地元にも「天道様、道祖神様、皇帝陛下様」との言い回しがあったと、男は思い出した。
魔王について調べれば、どうやら中央の伝承こそ歴史的事実に近い。
本当に人質の王女で、本当に諸部族を束ね、本当に初期の帝国を苦しめたらしい。
そのうえで男は、地元の英雄像を信じた。
献身と誠意を誇る、心優しく強い王は、諸地方の模範としてのイメージそのものだ。
帝都で信じられる魔王は、たまたま歴史的事実に近いだけで、敵たちが掲げる巫女のイメージを誇大にしたものではないのか。
男は帝国を走り回って、郷土愛を新たにした。このような者が数百、数千人いた。
都に帝国の栄華の中心があった、歴史の中の一幕だ。
またある軍人上がりの農夫は願った。幸福と平穏とが永遠に続くように。
まとまった年数を勤めれば、当時の帝国は農園を用意してくれるものだった。
古代都市を諸々の農園が囲んでいた。軍人上がりに与えられた土地は街道に近く、平穏であり退屈もしなかった。
軍人上がりは、いつもの仕事として、働き手たちに指示を出しながら、率先して働いた。
土を掘った。地面を整えた。草木を刈った。建物を建てた。
帝国軍の仕事と変わらない内容である。
軍にあって、敵たちとの戦いなど滅多にあるものではなかった。まして、華々しい戦いなど一度もなかった。
土木工事の日々をやめ、土木工事の日々に落ち着いた。
違いはある。日常的に怒声を浴びせられることがない。敵襲を警戒しなくてもよい。
天と地ほどの違いだった。
軍人上がりは気づく。
自分がやらされ、今も多くの軍人が従事する苦しい仕事は、人々がこれほど安寧に過ごすためにこそあったのだ。
すると、周囲の人々の期待も受け入れられるようになった。
軍人上がりは当初、高い信望を寄せられ、困惑していた。
乾杯の音頭、最初に柱を立てる役、果ては雨季の終わりの宣言まで任されたものだ。
軍の貢献を思うと、そこに自分の寄与はわずかとはいえ、信望を集める頭領としての自覚が湧いた。
「ツノつき軍人さん! なあ、遊んでやるよ!」
子供の信望も集めた。親しまれ、懐かれ、あるいは、侮られていた。軍人さん、とは親しみを込めた呼びかけだ。
軍人上がりの農夫は、有角人だ。
伝説の魔王を連想されがちである。
有角人がみんな魔王のもとにいたとか、魔王の民はみんな角があったとかの、迷信があった。
農夫は、角にぶら下がる遊びには大いに付き合ってやった。首に負担をかけつつ付き合ってやった。
魔王ごっこには付き合いが悪かった。
君らに角付きの友達ができたとき、うっかり侮辱するようではいけないぞ、と言ったものだ。
「けど魔王だって優しい王様なんでしょ」
「そう思わない人もいるんだぞ。実際には分からないしな」
「分かるよ。軍人さん優しいじゃん」
農夫は親しまれ、懐かれ、あるいは、侮られていた。
悪い気はしなかった。
農夫は季節がめぐる間に、空を見、風を聞き、街道の様子を伺う。
街道を祭礼の参拝客が行き来して、終わったら収穫の時期だ。
一年の決まった時期に雨が降る。
一年の決まった時期に穂が実る。
一年の決まった時期に人で賑わう。
正しく国家祭祀が行なわれる限り、世界は安泰だ。
幸福と平穏とが永遠に続くように、軍人上がりの農家は願った。
戦乱の不安なしに帝国を支える農業体制は、ひ孫の代までは続いた。
「ここがオルヴェラ河畔か」
迷宮探索者ヴィクロム・インヴィットは言った。
第一階層第一節の番人らしき像の頭蓋に飛び込むと、古代戦争だった。
帝都から栄光がもはや失われた、歴史の中の一幕だ。
当時の言葉でいうウルヴァイラー河である。一連の戦いの結果、ウル地方は分離し、数十年の間独自の元首を立てることとなる。
しばらく前から、外敵への対処や交易秩序の整備を、諸地方勢力が主導していた。帝都に反旗を翻す地方は、現れるべくして現れた。
反乱首謀者となる土豪は言った。
「わが同朋たる兵士諸君。首都よりいらっしゃったお坊っちゃま指揮官は権威を笠に着て、略奪や殺戮を強いるではないか。このような非道を偉大なる皇帝陛下が望まれるはずもない。
そも、地上の神である皇帝陛下を、頼れる大親分などと扱うあの態度が不敬である。大義は我らにあり。我らの戦いを子々孫々が讃えるであろう」
指揮官を殺害し、首都に赴いて義を訴えた。
皇帝の名を借りて暴虐を振るう賊を、処分したと。
議会は土豪を反乱首謀者と認定した。
ウル勢は反発を強め、もはや皇帝に資格なしと断じた。
当該地方を含む南東一帯にはもともと、王が道を誤ると神が新たに正しい王を選ぶという王権観があった。さらに皇帝の支配は、各地の伝統と擦り合わせて、神格化され受容される傾向にあったのだった。
ウル勢は勇猛な将を推挙して皇帝とし、正当性を主張する。戦争の始まりである。
このとき帝都において往時の栄光は見るかげもなかった。
放蕩を競い合い、文明の建設を蔑む。
いい大人の男が人目もはばからず女子供を侍らして卑しく撫で回す。憂さ晴らしに殴り殺す。
戦場に出てもいない皇帝が凱旋式を行なう。勝者の栄光と戦利品ではなく、敗者の惨めさと残虐刑を誇示する。
退廃した帝都の存在感薄い皇帝でも、帝位僭称者よりはマシと判断されたか。反乱鎮圧に軍を集めることはできた。
最大の戦闘が、ウルヴァイラー河の戦いである。
軍礼にのっとって、帝国将軍から降伏勧告が告げられる。
「名声は我らにあれ! 貴様らに降伏など勧告せぬぞ、帝国の敵! 義に背く者、人肉食供犠の徒、悪鬼悪霊の眷属、ディアケト=リグ!」
降伏勧告ではなかった。罵詈雑言である。
「それ悪口なんだ」
発話から遅れて遠くで聞き、ヴィクロムは呟いた。
ディアケト=リグの女性指小形が、ディアケト=リギカとなる。魔王である。
反乱軍から大声が上がる。
「貴様らこそ帝国の恥だ! どの面を下げて先祖を祀り、子孫に事績を語るつもりか! 怯えるお前が、滑稽にも我らを魔王軍と罵ることで、恐怖を白状する。今に都城を瓦礫にして建て直してくれる!
魔王の破壊でなく、偽皇帝の退廃でなく、真の栄光と名声のために!」
罵倒を恐怖の証と取り、魔王の故事を引いて切り返した。本来このようなやり取りは、首都の文明人が得意としているはずなのだ。
「みんな大変だ」
戦列が動き出す。
他人事と眺めるヴィクロムに、殺意溢れる戦士が襲いかかる。
「そこの貴様、死ねっ!」
倒した。
「どうするんだよ。レブ。どうする」
「貴様が飛び込んだ物語であろう」
そこに正統皇帝側から声がかかる。
「一人倒したといって、ボサッとするな! ともに憎き現代の魔王軍をブチのめすぞ!」
亜竜人ヴィクロムは帝国兵に答えた。
「は。俺はディアケト=リギカを慕っているが?」
「愚か者か貴様、ヴィク貴様」
「俺はディアケト=リギカを慕っているが!?」
連れがいらないことを言うので、レブは困惑とともに舌打ちした。
帝国兵は槍で突きを繰り出す。
「死ね賊軍、死ねっ」
倒した。
二人は前線を抜け出て、遠巻きに眺めた。
遠巻きに眺めても、誰も咎めはしない。
両軍にはそれぞれ離反している者が少なくなかった。
「帝国軍か、これが」
「全盛期はもっとしっかりしていたのであろうな」
伝えられるところ、ウルヴァイラー河の戦いでは、両軍とも下手な戦闘を演じた。統率は早くに乱れ、誰も何も把握しないまま互いに退いた。
両軍は叫んだ。形骸化した文言である。
「我らが栄光と名声、永遠なれ」
帝都から栄光がもはや失われた、歴史の中の一幕だ。




