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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
過去編は語り直されよ
22/59

始まりのもみじ狩り

「来ちゃった。聖女ちゃん元気? お邪魔しまーす」


「まず聴講届を提出して、受理したら、靴を脱いで入室するのです」


 時空円周城コーギトーは万人に開かれている。特に年に数回の催し物の時期は、魔除けとしての規則上の入構手続きも必要ない。教室の戸口までなら、伝説の人物がいてもおかしくなかった。

 薄暮のコーギトー全域で、灯明が足元を照らしていた。夏至祭を前身とした祭の時期である。


 余裕を持たせて白シャツを纏い、なめらかなスカートで靴までを覆う。

 癖のついた二つ結びが音もなく揺れる。

 魔王である。


「元気してた?」


「詠唱を開始するのです。

 緑の海より吹く風が

 青き山々に水運ぶ

 集うは四方の学士たち

 生より長きは知の系譜

 たたえよ我らが学舎を」


 攻撃性の呪文詠唱が返答だった。


「わたしもまた詠唱を開始する。

 息災なれ館の主人、賓客は祝福す、主人の栄誉は高められよ、接待礼の重きゆえなればこそ」


 古代世界の周縁部にあたる通商地域において、賓客接待は信仰上の義務だった。

 館の主人は賓客の手または足を水で洗う。

 賓客とは、じつは火である。火の手または足を水で洗うことになる。

 かつて火神の手足たちは神々の頭領より逃れ、水神に援助を求めた。水神は火の眷属たる諸神の不満を癒した。

 ゆえに、館の主人は賓客の手または足を水で洗う。


 二つの呪文が、学術の聖女と魔王との間でぶつかり、火花を散らした。火花は教室の床に届く前に中空に溶けた。


「木々は天へと生え育ち

 魚は瀬に淵に水を探る

 志ある者きたれ

 生より長きは知の系譜

 たたえよ時空円周城」


 聖女の詠唱は続く。


「学においては懸命に

 行においては慈悲深く

 向上向下の使命もて

 生より長きは知の系譜

 たたえよ我らが学舎を

 ああ我が学究、我が修練、我が使命」


 対して、魔王は短い決まり文句を唱えた。


「経典の一節をだに、朗唱する者、暗記する者、書写する者は、限りない福徳を積むものである」


 聖俗を問わず、多くの古伝承の冒頭や末尾に決まり文句が記される。複製の霊験について追記された本ほど、よりいっそう、写字者たちの複製するところとなった。

 文字を知り閑暇を有した者が、当世よりも少なかった時代のことである。


 大昔の詩人や学僧に、その人自身の魔術師伝説が生まれるに至った時代でもある。

 繰り返し読まれ語られることで死後も言語活動を続けたのは、魔術的な長命である。

 なお、文字資料を多く残さない魔王が蘇るのは、また別の流れである。


 学知を守る聖女と、踏破されざる未知そのものである王とが、力をぶつけようとした。

 詠唱が完成し、魔法が宣言される。


「知を増大せしめよ。魔法・迷宮〈コーギトー〉」


詩節(しせつ)(きょう)読誦(どくじゅ)せよ。魔法・迷宮〈アーバスキュール〉」


 そして、何も起こらない。


 すでに顕現しているからだ。

 ここは迷宮である。

 〈時空円周城コーギトー〉であり、〈毒樹枝節経アーバスキュール〉である。


 睨み合う。

 見つめ合うといった方が近い。剣呑な大技を用意しながら、緊張した様子がなかった。


「魔法を撤回するのです」

「撤回を受け入れる。魔法を撤回する」

「撤回を受け入れるのです。どうぞ、お入りになるのです」


 魔法は撤回され、来訪者は招き入れられた。


「ヴィク、わたしのヴィク。こちらへ来て両膝をつけ。また、両肘をつけ」


「何だ。俺に」


「指図するなと言うのか。あなたが知る限り、願う限りの魔王像に、わたしは反することができない。あなたがなければ、わたしはない。

 恥を知れ。跪け」


 ヴィクロム・インヴィットは教室入り口へ向かい、両膝をつき、両肘をついた。


「いい子ね」


 小さな王は、跪いた背中に右の靴底を置いた。

 わずかにスカートを持ち上げて紐をほどき、足を取り出す。


「でれっでれに甘えた声でよく、恥を知れなんて言えるものなのです」


「ロリ声はどっちよ」


 ちゃかす聖女に応じ、右足を床につけて、左の靴をも背中に置いて脱いだ。

 左足を床につけ、右足で男の髪を軽く撫でてから、言った。


「今後とも励みなさい。立ってよい」


 ヴィクロムは立ち上がった。


「扱いが雑なのです。いくら彼が欲しているからといって、見よいものではないのです」


「擁護する体で、俺が足蹴にされたがっているみたいに言わないでください、先生」


 亜竜人は竜のイメージを扱う。人が仰ぎ見たものと亜竜人が思うものとが一致する限りにおいて、強力な魔法を喚起することができる。

 魔王譚文脈の亜竜人は、願うところの魔王像に従わせて喚起することができる。従わせずにおくことはできない。


 魔法はイメージで動く。魔法を外に具現化することは、使い手の思いを晒すことである。


「聖女らしくもない、誤った推論ね。彼が欲したのは足蹴にされることではなく、特定の枠組みにおいて、特定の人物に、特定の目的で、踏みつけられることである」


「笑いたけりゃ笑えよ」


 ヴィクロムはぶっきらぼうに言った。

 魔王は彼の方を向き、目を見上げた。


「あなたの考えるわたしは、あざ笑うか」


 ヴィクロムは目をそらそうとして、失敗した。


「今日、答えを、聞きにきた。あなたの考えるわたしについて答えよ。

 先日わたしは、あなたの話なら紅葉が舞う季節にまた聞く、と言った」


「今は初夏だろ」


 夏至祭を前身とした祭の時期である。


「じゃあ、紅葉を舞わせてあげたら、答えて」


 魔王は歩き出し、窓に近寄った。カーテンを開けるため下げられた紐を手に取った。


「彼がわたしについて知ったという、他ならぬこの真実にかけて、木々の葉は色を帯びよ」


 カーテンが開く。


 はたして、窓越しの景色の中では、植えられた木々が、暖かな色に染まっていた。

 薄暮のコーギトー全域で、灯明が足元を照らしていた。木の葉は色を帯びた。


 亜竜人は言った。


「綺麗だ。たしかに木の葉が色を帯びている。紅葉が舞うと言えないこともない。

 俺は、以前に思っていたのと違って、魔王様があざ笑うとは、思わない」


「そう。あなたは、甘くたしなめられ、優しくあざけられるのを、好まないの?」


「ぜんぜん好きとかではない。いや。好む。好みます。

 あなたがあざけるとは、思わない」


 素直な答えに、魔の王は微笑んだ。


「あざけるのだと、わたしが言っても、思わないか」


「あなたはあざけらない。愚か者を愛し、かつ慈しむんじゃあないのか」


 しばし二者は沈黙した。

 魔の王は言った。


「合格ね。今のはあなたを試していた」


「上位存在の気まぐれ試練やめろよ」


「もしあなたが、あざけらないと言わなかったなら、わたしは消えてしまうところだった」


「そっちの存否がかかるのかよ」


 薄暮と灯明が部屋に差し込む。

 ここは初夏の教室である。


「あなたは、夕日と灯明とが葉を染めて赤く見えるのだ、と言わんとした。これは偽りの紅葉である。

 偽りなどない。わたしが、紅葉が舞うと言ったら、紅葉が舞う。

 今、それを示す。

 わたしの亜竜人が、わたしのあざ笑わないことを知った。

 この真実にかけて、紅葉はここに舞い込め」


 魔王は言って、窓を開けた。


 すると、紅葉が舞い込んだ。


 教室内へ風が吹き、正真正銘、緑色を失った葉がおびただしく入った。

 樹上都市の蒸し暑い空気を、秋色の葉が埋め尽くしていた。


「ガス灯、なのです」


「よくぞ今まで言わないでおいてくれたね」


 聖女は褒められて、にへ、と笑った。

 聖女は、古い時代の巫女たちにつらなる者である。


 かつて、洞窟に閉じこもった巫女たちは、甘い空気を吸って陶酔状態に至り神託を降ろしたという。洞窟の中はいわば死者の世界である。

 秋の木の葉は色づいて地に落ちる。熱を持たず燃える葉は、生者と死者との世界を渡る火の粉なのだ。


 換喩の原理に従って、腐った果実は隣り合う果実を腐らせる。

 換喩の原理に従って、死者の世界の燃える香は、葉に燃える色を与える。


「信じるか、魔王譚文脈の亜竜人ヴィクロム・インヴィット」


 当世を生きるヴィクロムは知っている。

 古代祭儀の世界観を改めた諸学を知っている。


「あなたは、魔の王たるわたしを信じるか」


 外からの風を受け、ツインテールが揺れる。

 熱気の中を紅葉がただよう。


 彼女が木々の葉を染めたことに、とてつもない魔法を見出す必要はない、と知っている。

 少女は偶然の一致を、偶然でなかったと後付けすることもできる。


 彼は答えた。


「信じるよ」


 それが、魔法の完成だった。


「俺は、魔の王たるあなたを、信じる」


 魔法の完成で、物語のささやかな始動だった。

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