小さな起源譚
「生類は威嚇行動をとり、自らを大きく見せる。わたしには好ましい。
蜥蜴が光暈を広げるのが好きだ。
小さな熊が両手を広げるのが好きだ。
犬の類いが大口を開けるのが好きだ」
獣たちは、互いに傷を負わずに縄張りを争うすべを知っている。
大いなる炎が夜を照らす。
ここは祭儀場である。
「喚起されたわたしのイメージたちの一部は、言うものである。
君を守る~、俺の女に何をする~、だって。あっははは、かーわいーっ。わたしより弱いくせに。わたしは、わたしのものだ」
魔王は、ふだんよりも甲高い声を出してみせた。
彼女が居合わせるあらゆる場に適しない。そして、その喉から出ておかしくない声だった。
演技だ。
聴き手たちから非難を込めた相槌が入った。
「趣味が悪い。あなたには似つかわしくない。王よ。あなたは戦う者たちをも笑うか」
「わたしはあざけらない。わたし以外が弱いのは当たり前だ。愛おしんでも、あざけることはない。
さてあなたがたは、文明人と異なり、無礼を働くものをきちんとぶち殺す。弊害として宮中政治や虚礼が煩雑になった、とわたしは知る。
虚礼を減ずるにあたって、わたしは、敬意を欠かしたことがない。わたしが腕と脚とをつけて生きていることが、敬意の存在を証明する」
敵対派閥を声高に非難するのは、文明人の特権だ。
無礼討ちが許容されると、人は回りくどくなる。権限を持つのは生き残った者、無礼討ちを逃れた者たちなのである。
生まれた時から偉い例外者もまた、無視することはない。王や公ほど、形式を厳格に守る。
獣たちは、互いに傷を負わずに縄張りを争うすべを知っている。
「殺し合いを避けるための取り決めが、文明人や未来人からすると、滑稽に見えるらしい。嘆かわしや。
わたしを評して、野蛮勉強不足未開人の因習を改めさせた、と述べる者もいる。
少なからぬ亜竜人たちが、あざける女としてわたしを喚ぼう。
例のヴィクロム・インヴィットはどうだろうか」
「本当にありがとうございますぅ〜。あたしなんか一突きで倒してしまうお強い探索者さまがあ、情けをかけてくださって、経験点をお恵みいただけるなんて、ご立派で感動しちゃいますぅ」
壁に置かれたかすかな灯りが通路を照らす。
ここは迷宮である。〈幽玄歴詞根ペルペトゥア〉である。
「もう終わりだ。これで、すぐ死ぬことはないだろう。俺は帰るからな」
「そんな、お待ちください! 魔物たちにも生存競争があるのです。放って置かれたらあたしは、衰弱で滅びなくても、他の魔物に食べられてしまいます。お願いします、お願い、もうちょっとだけお願いします。
今、探索者さまに貴重な経験点をいただいたことで、あたしは子分のようなものですよ。あたしを置いていってすぐ死なれては、探索者さまも気分がよくないのではありませんか? 度量を示すと思って、どうか経験点をお恵みください」
命乞いである。
迷宮には魔物が潜む。
ある魔物は他の者から経験で培った力量を奪い、自分のものにする。
ときには敵対者ではないかのように振る舞い、奪う。
神話にいう。創造の神々の一である〈意欲〉は消えつ現れつ、言った。非がない状態で緊迫した快楽を味わいたいなあ。そして、淫魔たちが生まれ出でた。
当世の中堅探索者ヴィクロムは、一体の淫魔にとらわれた。
吸収に快楽が伴っている、魅了されつつある、と気づく頃には、力量差が縮まっている。
「もうおしまいだ。離すぞ」
探索者は手を振りほどこうとし、失敗した。
力を込めて引いた拍子に、地面に押し倒された。
淫魔が見下ろす。
「あは。どうしたんですかあ。お強い探索者さま? あたしは十分な力を受け取りましたから、探索者さまのお好みのタイミングで終えてくださって結構ですよ。ほら、あたしだって弱っても魔物ですから。あまりお優しくなさると、逆襲されちゃうかもしれませんよぉ〜?
もし、万が一、抵抗できないぐらい吸い上げたらどうしましょう。あたしの方が強くなっちゃったら、どうなるんでしょうね〜?」
抵抗ができない。
身体の上から退けようともがき、失敗する。
「く、このっ、殺してやる」
「あれ、跳ね除けないんですね。あはは。怖いこと言うのやめてくださいよお。本当に殺そうとすればあたしはやられちゃうんですから。
だって、あたしみたいな低級の魔物なんて本気出せば一撃ですよね。違いますかあ?」
勝てない。
先ほどまで死にかけの哀れな魔物だった。今や力で上回られ、逃げる術を探さなければならない。しかも吸収に伴う快楽が、逃げなくてもいいと探索者ヴィクロムの身体に訴えていた。
「うーん、こんなに吸っちゃって大丈夫ですかあ? 大丈夫なんでしょうね。つよぉい探索者さんのことですもんね」
壁に置かれたかすかな灯りが二人を照らす。
ここは迷宮である。〈幽玄歴詞根ペルペトゥア〉である。
迷宮には魔物が潜む。
油断の代償は高くついた。
「あはっ、あたしったら、ごめんなさぁい。ついつい吸いすぎちゃいましたあ。せっかく助けていただいたのですから、探索者さんのこと殺さずに見逃してあげますよ〜? 吸った分を注入してぇ、お返ししますね〜? とっても気持ちがいいんですよ、サービスでぇす」
獲物を見逃すのは、優しさゆえではない。
「えへへ〜、お気に召しましたかあ。気持ちよくなっていただけてますか〜?
気持ちいいかって聞いてんだよ。答えろ」
「殺すっ、殺しっ、ぐっ、気持ちいい、です」
獲物に快感を焼き付けて、吸われに戻ってくるように仕向けるのだ。
「えへっ、あたしのこと忘れられなくなっちゃいますね。敵の魔物のこと大好きになっちゃいますねぇ〜?」
淫魔が嘲笑とともに、屈服を宣言させようとする。
探索者ヴィクロムは答えた。
「それはない」
「ないんだ」
「俺は、あの人とあの人を裏切れない」
「なんでよ。せめて一人であれよ」
「確かに、嫌になるぐらい気持ちがいい。
ここで俺が屈するようだと、初恋と思いきやじつは二番目の恋だった幼馴染にも、初恋だった俺の先生にも、顔向けができないんだ」
「なに序列入れ替えてんだよ。幼馴染に失礼でしょ。もう顔向けできないから安心していいよ。
また誰かねじ込んで三番目にするんじゃないの。
いい加減にしなさい。もういいよ」
その後、彼は迷宮入り口で倒れた状態で発見されたという。
遠い昔の魔王が、未来を語る。
「このように彼をあざ笑う者がある」
ここは祭儀場である。
「なるほど、彼のような者は嘲笑に値します。あっさりと罠にはまり、敵に情けをかけ逆襲されて、むしり取られる。しかも、再びのこのこと搾り取られに来ることを予期して、生かされたのですから」
火の周りの聴き手が相槌を打った。
魔王は否定した。
「わたしはあざ笑わない。なぜと言うに、立派なものではないか。快楽を認めた上で、拒絶したのだ。惨めな弱者に、わずかなりと敬うべき点があったものだ」
「本気ですか。
あなたは、自らが読みたいものだけを読み取っておられるように、見受けられる。我らが王よ。あなたはベタ惚れなされたのか」
「わたしはベタ惚れしない。彼が喚起した、一つのわたしが、彼の憧れに応えてやろうとするのみだ。わたしは惨めな者を優しく罵りながらお世話してあげる霊ではない。
彼は人に従うフリをして自分が上位になければ我慢ならない。情けない小物、同時代のパロディ詩人や作家のさらなる亜流、フェイク野郎、ごみくず、彼に魅力などない。
せめて何か一つと探したなら、先のエピソード、人のあざ笑うところとなる話が、かろうじて挙がるというものだろうな」
早口にまくし立てた。
彼女が居合わせるあらゆる場に適しない。そして、その喉から出ておかしくない声だった。
「お許しあれ。疑念は解決しました」
「さらに後日談は、魅力を損なうものとなる。
帰って、不名誉を背負う中、活路を見出した。
迷宮経験点を吸収されたことで低下した迷宮攻略力量値を再び上げるときに、取得せずにいた迷宮技能を取ることで、ほんらい両立できない迷宮技能を両立させることができた。詳細は省く。彼は期せずして強くなる機会を得たわけだ。
低級魔物少女にレベルドレインで吸い尽くされたので、あらゆるスキルを習得し直して最強を目指す。
哀れだな。彼は勝利を得たのではなく、敗北を失った。それ以来、勝ち負けに真剣になることがない」
「その男が、幼馴染と師との前に、初恋として、伝説の魔王を割り込ませるに至ったのですよね」
「憧れと言ってみたところで、人のありようを縛り付けるほど大したものではない。そして、男は自ら大したものにしてしまった。
あらゆるスキルと称して、選ぶ基準もなく手に入るからと思って彼が手に入れる力は、わたしが与えたと再解釈することができる。彼がわたしに許容する。
怪異を招き入れたのだ」
ある種の怪物たちは、社会秩序と言語活動の中に宿る。
招かれねば入ることができない、とお約束にいう。
たとえば、どうぞお入りください、と言う。
たとえば、確かに私が何某ですが、と言う。
たとえば、痛い痛い、強い恐怖を覚えた、手前がぶつかったせいで腕が折れた、どうしてくれるんだ、と言う。
怪物の侵入を認めてはならない。
言葉で認めれば、主導権を渡すことになる。
「色仕掛けか、その手は食わないぞ、と」
「しかり。魔王譚文脈の亜竜人ヴィクロム・インヴィットはそう言ったのだ。
その時点が、魔法の完成であった」




