3話 『不踏の闇』略してフトダン タイマーストップ:26分17.88秒
俺を包囲する吸血蝙蝠たちが、一斉に俺に麻痺音波を放った。俺は舌を強くかんで麻痺効果を軽減するが、それでも体の動きが明らかに鈍るのが分かった。
蝙蝠たちはキュイキュイと俺を嘲笑するように、俺の上空をグルグル周回する形で飛び回る。
『草』『今のはしゃーなし』『再走だな』『悲鳴はどうした』『ダメじゃん気づいた瞬間に対策打たなきゃ。判断遅いよ』『指示厨湧いてて草』
爆速で流れるコメントに集中力をかき乱されながらも、俺は痺れる肺で深呼吸をし、少しでも心を落ち着ける。
吸血蝙蝠の麻痺で起こる弊害は大きく分けて二つだ。まず蝙蝠どものチクチク攻撃を喰らう。だがこれは死ぬほどじゃない。血塗れでクリア後にシャワー浴びた時超痛いだけだ。だが、サイクロプスに見つかると死に直結する。奴らの行動はのろまだが、食らえばあっさりと死んでしまうから。
だから、俺がすべきことはサイクロプスに見つかる前に麻痺を解くことだった。そして麻痺を解くには、複数の方法がある。
一つは、一定回数以上の攻撃をくらう事。
「は……ハミ、ちゃ……」
ハミングちゃんの名前を呼び、察したようにハミングちゃんは頷いた。この小さな愛鳥は俺の胸ポケットに留まり、そして頭を突っ込んでアイテムを取り出す。敵意寄せの鈴。モンスターたちの苛立つ音を放つ鈴だ。
「やっ、て、くれ……」
ハミングちゃんは再び頷いて、力強く鈴をくちばしに加えて振り回した。洞窟内にチリンチリンと鈴の音が響く。音は反響し、そしてあらゆるモンスターたちの反感を買った。
蝙蝠たちが、金切り声をあげて襲い来る。
吸血蝙蝠たちの攻撃は、服の上から鋭利な牙で肉を抉るというものだ。長袖ではあるものの薄着で来た俺は、一撃で服を裂かれ、もう一撃で肌を切り刻まれていく。
流れ出る血。鋭く走る痛み。神経は引き裂かれ、筋肉は断たれ、俺は肉として啄まれていく。
要するにクソ痛い。
「ぎゃぁあああああああ! 痛ってぇえええええええええええ!」
痛いついでに麻痺が取れた。俺は復讐心に燃えながらあげた悲鳴を吐き尽くした直後、詠唱補助アプリ『マルチチャンター』を起動する。
マルチチャンターに俺の口が走らされ、概念抽出魔法を詠唱し始める。悲鳴は洞窟内に反響し、うるさいくらいに増幅し右からも左からも聞こえるようになる。だから――
詠唱完了。反響する悲鳴から『麻痺』の概念を抽出され、俺とハミングちゃん以外のあらゆるモンスターが麻痺に硬直した。吸血蝙蝠たちがバタバタと地面に墜落する。ついでに奥の方から近寄ってきたサイクロプスもピタと動きを止めた。
「クッソ! 怪我の功名じゃないが、利用させてもらうぜ!」
俺はサイクロプスに駆け寄って、跳躍しその体をよじ登った。だが今度は殺さないまま、頭の角を掴んで背後から肩に立つ。気分はロボットに掴まるアニメ主人公だ。
俺はその首筋に毒クナイを突き刺し、詠唱を始めた。概念抽出魔法に込めるニュアンスは『催眠』。毒クナイを抜き取ると、サイクロプスはまるでひな鳥のような純粋な目で俺を見つめた。
「さぁ進め、この先をまっすぐだ。走れッ!」
サイクロプスは俺の言葉を盲信し、指さす方向に純粋に走り出した。麻痺っていない吸血蝙蝠が俺目掛けて音波を飛ばしてくるも、サイクロプスに轢かれて弾き飛ばされていく。俺はちゃんと麻痺ってる。
『草』『草』『いい悲鳴だったぞコメオ【10000円】』『機転きくなぁ』『ナイス悲鳴【3000円】』『これを聞きに来た【200ユーロ】』『本当に聞き心地のいい悲鳴で草』『概念抽出魔法って今みたいな使い方もアリなのか』『魔物も酔いしれる悲鳴代【250円】』
俺の窮地を前に視聴者どもはいい気なものだ。「ゴミどもめ……」と俺は愚痴る一方、サイクロプスは止まらない。
そのまま、サイクロプスは続くトラップエリアに突入した。さらに凶悪になったトラップでサイクロプスはズタズタにされていくが、それでもこの巨体は止まらない。サイクロプスはアホだが、アホでも十分生き残れるだけの強靭な肉体を持っている。
転がる岩を真正面から打ち砕き、四方八方から飛び来る矢を受けながらも走る速度を落とさず、振り子の斧を受け止めもぎ取り、落ちてくる天井をもぎ取った斧で叩き割る。
サイクロプスを殺してきた身としては、やっぱ化け物だよなぁなどとこのモンスターの地力を再確認だ。超強いなこいつ。次からサイクロプス催眠チャート組んで走ろう。
コメント欄も同様の感想らしく。『やば』『すげぇなこの突破力』『コメオ要らなくね?』と絶賛の嵐だ。いっそ催眠ではなくテイムしたいくらい。でもモンスターカプセル高いんだよなぁ……。普通に数十万する高級品だ。武器は根本消耗品な俺には、相性が悪そう。
そんなことを考えていたら、とうとうこのサイクロプスは俺が解説する間もなく最後のトラップエリアを潜り抜けた。そして狭い出口につっかえ激突。出口付近の道は細い足場だったのが災いし、体勢を崩して落ちていった。
俺は軽い調子でサイクロプスから降りて、サイクロプスに一瞥もせず最後のモンスターエリアに突入した。コメント読み上げが『サイクロプスーーーーー!』『コメオの人でなし!』『ここまで連れてきてくれたサイクロプスに言う事はねぇのかよ!』とうるさい。
「はい。という訳でここがボスエリアだ。さぁ奴に挑むぞ」
足を踏み入れながら、視聴者に説明を。そのタイミングで、闇の奥で立ち上がる巨躯が見えた。
これまでのサイクロプスたちよりも、さらに大きな全身。その筋肉はより盛り上がり、握るこん棒はどちらかというと鬼の金棒だ。そして、たった一つしかない瞳は閉ざされている。
タイムは20分45秒。奇跡みたいなタイムだ。これを逃さないためには、目の前の化け物を早々にぶち殺す必要がある。
「また来おったか、小僧……」
目を閉じたまま、奴は俺に語り掛けてきた。
「かつて重装備の屈強な男たちが攻め入った時すら揺るがなかったのこのダンジョンを、そしてダンジョンの中でもふるい落とされなかった恐るべき三人にすら揺るがなかった余を、お前ほどの小僧がなぶるとは思いもしなかったぞ……」
だが、と奴は金棒を振り回し告げる。
「何度破れようと、我が心、折れはせぬ。かかってこい。余は一つ目鬼の王。この『無明の瞳』が相手を務めよ――ぉおおお!」
名乗りに乗じて切りかかるも、このボスサイクロプスは平然と受けた。俺は舌を打ち、後退して仕切り直す。コメント欄が『クズゥ……』『やはりコメクズ』『流石モンスター以下の倫理観』と非難轟轟だ。
しかし、俺は厚顔無恥にこう言い放つ。
「うるせぇ! 俺は世界一位を目指してんだよ! ブレパリと催眠が効きまくって今走り始めてから20分ちょいなんだよこのままお前殺せば世界記録大幅更新なんだよ!」
「小僧、お前は……人の心がないのか……?」
「黙れ! 可及的速やかに死ね! 話なら今度聞いてやる!」
言いながら俺は毒クナイを投擲した。そして詠唱。緩慢な動きのボスサイクロプス略してボスプスの足に突き刺さり、詠唱完了で効果が発揮される。
抽出した概念は『深化』『劇毒』『猛毒』。
つべこべ言わずに弱って死ね。俺は左手のソードブレイカーを前に構え、右手のロングソードを体軸に隠すような体勢になる。つまり、あらゆる攻撃をブレパリで弾く、隙があればぶち殺す、待っていても十分勝てる、そういう戦況づくりだ。
「ぐぬ……ふ、ふはは、ふははははは! どこまでも愚弄してくれるわ小僧めが! 良いだろう。ならば余は、王の矜持を示すのみ。世界を眺むるお前の眼を、この無明に引きずり込んでくれる」
金棒を振り回し、一度猛毒に体勢を崩すボスプス。だが、そこに隙は無かった。血を吐きながらも笑みを湛えるその立ち振る舞いは、衰えぬ王の風格。口端に垂れる血を拭い、ボスプスは笑う。
『ボスプスニキ……コメオなんかに見つかっちまったばっかりに……』『ボスプス~、がんばえ~』『王の風格代【2000円】』
俺なんかよりも随分と人気のボスプス。実際ウチのチャンネルの準レギュラーみたいな存在だ。毎度殺してタイマーストップしているのだが、このダンジョンを一度出ると復活している。何度も殺されたし、殺した、そんな長年の仇敵みたいな存在だった。
が、世界一位がかかった今この瞬間には何の関係もない。俺はただ、最速で殺すだけだ。
「分かった。行くぞ」
俺は仕掛ける。『Tatsjin』のスキルセット、縮地でボスプスの死角を縫うように、錯覚を引き起こすように足を運ぶ。
「ふはは、相変わらず奇妙な足運びをする小僧よ!」
金棒の一撃が鋭く振り下ろされる。普通のサイクロプスの何倍も素早い挙動だ。まるで熟練のフェンシングプレイヤーのような軽さで、雑魚サイクロプスのこん棒の何倍もの重さだろう金棒を振り回す。
だが、ボスプスとやり合うのも何百回ではきかない俺だ。奴の金棒の先には、すでにパリィが発動している。『マルチチャンター』は先読み済みに詠唱を終える寸前だ。
【パリィ】【付与効果武器破壊】
概念抽出魔法はきっちり作動して、ボスプスの金棒を弾き飛ばした。こん棒よりも耐久性が高い分一撃で金棒が砕け散ることはないが、しかし大きなヒビが入っているのを俺は見逃さない。
「ハ、いつも通りやってくれるわ! お前のその怪力はどこから来るのか、まったく興味の尽きぬ!」
弾かれる体勢を、ボスプスは軽やかに軸足を回転させてずしんと整え直す。そしてまた一撃を。俺はやはりブレパリで応える。ボスプスは弾かれ、しかしすぐに体勢を直してしまう。
いつもこうだ。このボスモンスターはどんなやり口でもその場で対応してくる。それが実に挑み甲斐があって、世界一位の頂を目指す価値の塊だった。
「ハ、小僧」
「何だよ、ボスプスッ」
開かないまぶたのままに、無明の王は笑う。
「楽しいなぁ。何度やっても、お前と殺し合うは愉悦の極みよ……!」
「ハッ、同感だな!」
振るわれる。何度でも弾く。ボスプスは血を吐き、そして哄笑を上げた。つられて俺も笑いだす。『こえぇよこの二人』とコメントが引いている。構うものか。この楽しさが外野に分かってたまるか。
来る、弾く、来る、弾く。何度来ても同じだ。何度やっても飽きゃあしない! 心臓が跳ねている。全身の肌が死の予感にひりついている。一度だって失敗できない。パリィをミスればひき肉だ。だがそれは奴も同じ。崩れればその瞬間に俺が詰めて殺す。
「は、や、く、死、ねッ!」
「お、こ、と、わ、り、だ小僧!」
ソードブレイカーと金棒がぶつかり合う。耳が痛くなるくらいの金属音が響く。毒に犯されてもボスプスの動きは鈍らない。恐ろしい敵だ。挑むべき強敵だ。殺し甲斐のある好敵手だ。
だが、楽しい時間も終わりのようだった。
「む?」
ボスプスが違和感を抱く。次の瞬間、金棒が砕け散った。ボスプスは「なっ……!」と声を漏らす。当たり前だ。ここまでの攻略の流れなど、ボスプスは知らない。俺がただのパリィではなく、わざわざソードブレイカーを取り寄せて武器破壊効果を持たせていたなんてことは知らないのだ。
「経過時間、25分30秒ちょい」
俺は肉薄する。得物を破壊されたことなんてないボスプスは動揺しきりで、俺が跳躍で奴の頭上に駆けあがっていることになんて気付けない。
「サンキューボスプス。アンタを乗り越えて、俺はまた一つ、世界一の座を勝ち取る」
素手で奴のまぶたをかっ開く。その中の洞にロングソードを突き刺す。貫くように。俺という存在とその軌跡を奴の脳裏に刻み込むように。
だが、ボスプスは抵抗した。震える手で俺を鷲掴みにしようとする。奴の怪力で握られればそのまま潰れるのが人間だ。
さりとて、それに対策していない俺ではない。予備のロングソードを抜き、近寄る手に突き刺した。唱える概念抽出は『貫通』。ほどほどの切れ味のこの剣でも、鋼並みに固いボスプスの表皮を食い破る。
手を貫かれ、二度目の怯みを見せたボスプスに、俺は最後の一押しをした。最後のロングソードを抜き、ダメ押しとばかりボスプスの瞳に突き刺す。二本目の剣は一本目が開けた隙間に潜り込み、さらに傷口を広げた。広げ、そして、致死に届く。
ボスプスの死は、サイクロプス同様、呆気ないものだった。
巨体が膝から崩れ落ちる。操り人形の糸が切れたような脱力で、ボスプスは沈む。
俺はそこから飛び退き、着地しながらタイマーストップした。記録は26分17.88秒。
目を擦る。頬をつねる。だが、この数字は揺らぐことはない。かつての世界記録を6分も上回る、俺の打ち立てた、『不踏の闇』ダンジョンにおける世界記録達成だ。
「―――――っしゃあああああああ! 世界ッ! 新記録!」
剣を掲げる。コメント欄が沸いている。
『おおおおお! おめでとう!』『8888888888』『世界一位代【50000円】』『ブレパリは今後流行る【2050円】』『催眠いいなぁ。面白い』『ブレパリチャート走ってみよっかな』『今夜はRDA.comが荒れるんやろなぁ』
爆速で流れていくコメント欄に、嬉しすぎて踊り狂う俺。しばらく祭りの気分に酔いしれた後、道を振り返った。
「ふぅー……、この道戻るのかったるいな」
『おい待て何を考えてる』『馬鹿止めろ』『悲鳴ノルマ達成したんだから妙な真似はよせ』『ハミングちゃんが悲しむぞ』
ハミングちゃんと目が合う。俺がにっこりと笑いかけると、ハミングちゃんは飽きれ半分悲しみ半分といった顔をした。つまり、分かってくれたという事だ。俺は武器を地面にひとまとめにして、ソードブレイカーのみ右手に持ち、今度はカメラのレンズ越しに語り掛ける。
「という訳で、今回は早々に世界最速になってしまったので、ここで配信終了です。お疲れッした~」
『はいグロ』『BAN配信』『アーカイブ消える真似やめろマジで』『ちゃんと編集して動画出せよ』『横着で死ぬな』『なになに、どゆこと?』『すげー不穏なんだが』
ざわざわしているコメント欄に、俺は「はは」と嘘笑い。それからソードブレイカーを首に添える。
自分の首を掻き切るのには慣れていた。一閃。うまくやればさして痛くもない。首から熱が出て行き、体がどんどんと冷めていくのが分かる。コメント欄が阿鼻叫喚になるのが聞こえる。最近追加された『配信者の意識がなくなったら自動的に配信が終わる』機能が作動し、配信が終わる。
そして、俺の命は途絶え、配信が終わった。
そんでもって起きたらすげー不機嫌な顔して見下ろしてるロリババアが居た。
「バカモノ」
膝枕してくれていたらしい彼女は、俺の額を軽い調子で叩いた。ぺしっといい音がする。そんなに痛くない。
「バカモノ。帰るのが面倒だから死ぬという選択があるか、阿呆め。死んでも治らぬ横着者め」
ぺしぺしとリズムよく叩くロリババアだ。銀色の長い髪に、頭にひょこッと立つ狐耳、和服からはみ出るのは、5本の尻尾である。ロリの癖に露出する肩口が無駄にセクシーだ。
ギンコ。銀の狐だから、という雑な理由でそう名乗っているらしい。本当の名前は知らない。RDAプレイヤーではないが、配信者仲間だった。俺が『配信してみたら?』と誘ったら爆速で俺の登録者数を抜いていった人気配信者だ。俺との関わりは公表していない。俺が燃えるから。
「何で俺のリスポン地点確保してんの?」
「配信開始から30分もあれば、フトダン前のこのあばら家に来るのなんて造作もなかろう」
「え? この森の奥深くに? 30分ぽっちで?」
「左様」
俺ここに来るのだけで1時間費やすんだが……、まぁいい。亜人と純人間じゃその辺りは違うのだろう。知らんけど。
「じゃあ、物理的には可能だったとしよう」
「うむ。何も不思議なことはない」
「動機は?」
「無論、命を浪費するお前を叱りに来たのじゃ、コメオ」
「んでも俺死んだの10秒前とかだよな? それはおかしくね?」
ギンコはそっぽを向いた。俺はその顔を両手で挟んでこちらを向かせる。ほっぺが柔らかい。
「何で来た?」
「コメオを叱るためよ」
「だから物理的に間に合わないよな?」
「儂、嘘吐いてないもん。命を粗末にするコメオが悪いんじゃもん」
じゃもんとか抜かすロリババアと睨めっこする。そうこうしている内に、俺がまとめておいた武器一式を風呂敷にまとめたハミングちゃんが帰ってくる。
休日の昼下がり。俺が、21つ目の世界一位を取ったある日のことだった。
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