21話 チセちゃん1
結局全部脱いで他の岩の上に服を全部広げたらしい、外見よりもだいぶ豪快なチセちゃんは、俺の背中側、少し離れたところで、ぽつりぽつり話し始めた。
「……昨日、コメオさん、何だか落ち込んでたじゃないですか。珍しく負けて終わってましたし。最後の一戦も鬼気迫る勢いでしたけど、なんだかやけっぱちっていうか、見てられないって言うか……」
「そりゃ、否定はしないけどさ」
うっかりでレギュ違反して『勝つまでは負けない』が出来ないって理解したら、自分のアホさが嫌にもなるだろう。何が悪いじゃない。ただ俺が悪かっただけだ。
「それで、その、偶然を装って会えたら、励ませられないかなって思ったんです……。でもその、お隣にあの方がいたものですから」
「ギンコ?」
「あ、はい。……あの人、ギンちゃんですよね。私、見てます。最近人気の狐っ娘配信者……」
「あー……そこまで知ってたかぁ」
俺はため息を吐いて、頭を掻いた。どうしたもんかな。割と命綱を握られてる感あるぞ。
「わっ、私、言いません! 秘密にします! その、お二人がこ、恋人関係でも、あの……」
「あー、うん。まぁそう見えるよな」半分くらいそうだし。「ただ、実際のところどうなのかって話もした方がいいというか。うーん……」
ひとまず、君が今日急接近した理由は分かった。
俺はチセちゃんにも見えるように、肩より上のあたりで人差し指を立てた。それから「けど、まだ分からないことがある」と続ける。
「は、はい……。何でしょう?」
「何でストーカーしたん? 飯能の時にも居たでしょ君」
「……かなり前から気づかれてたんですね」
「そういうタイプのモンスター居るからな。気付かずに放置してると襲い掛かられて食われる」
何なら食われた。丸呑みされた。そしてそういう性癖があることを数年越しに知ってとても嫌な気持ちになった。
「……その、少し長い話になるんですが、良いですか?」
「ん、いいよ」
乾くまでの時間もあるし。
「私、いじめられてるんです。その理由が、ちょっと分からなくて。みんなから無視されて、まぁそれは良いんですけど。少し前まで仲良かった子にも、近寄っても貰えなくなって……」
思い出しながら悲しくなってしまったのだろうか、声は震え、涙ぐんでいるのが分かった。「それで」とチセちゃんは続ける。
「色んな所に相談して、いじめっていうのは、弱いからされるんだ、みたいな話を見つけたんです。それで、強くなればいいんだって。でも、強いって何だろうって思ったんです。腕力とか、そういう単純なことじゃないって思って」
「俺を見つけた、と?」
「はい……! その、コメオさんの強さは、私の求めている強さそのもので! 何度死んでも平然と立ち上がるメンタルも、自分より何倍も大きなモンスターを簡単に倒してしまうところも!」
だからッ! とチセちゃんの声に熱が入る。
「そんな、そんなコメオさんに、鍛えてもらいたいなって、そう思ったんです。それでまず知ってもらおうと思って、凸して、それから機会を伺ってお話してもらって、お願いできればなぁって」
「じゃあ、図らずしもこの状況は、チセちゃんの狙い通りなわけだ」
「あ……えっと、はい。そう、なりますね……」
あ、この反応どっかに嘘があるな? どこだ?
「なぁチセちゃん、つかぬ事を聞くが」
「は、はい! 何ですか」
「船頭さんが今日ダンジョンの入り口について誤解してたのって、チセちゃんが何かやった?」
「―――――ッ!」
ハイ当たり。
「ごっ、ごめっ、ごめんなさ」
「謝る相手が違うな。俺は何なら得した側だ。俺に謝るのは筋違いになる」
「……で、でも、船頭さんに怒られるのはすごく怖いです」
「それをちゃんとできるのも強さなんじゃねーの。腹くくるって、弱い奴にはできないぜ」
「―――ッ。わ、分かりました。ここから出たら、真っ先に謝り、ます……」
「うん、そうしな。子供のやらかしで、しかも被害も出なかったんだ。大事にはならんさ」
「はい……」
と言いつつ、危険性はガッツリ高いから、かなり強めに叱った方がいいんだけどな、この件。なのだが、俺も似たようなことして、認可の下りてないダンジョンに潜り込んだりしてきたから人のこと言えないのだ。
しかし大事にならないのも事実だろう。被害者が出て、その人が被害届出して裁判沙汰になったら、賠償金が相当額チセちゃんの両親に行く。しかし今回はそうならなかった。だからめっちゃ怒られるだけで済む。怒られたまえ少女よ。過去の俺のように。ふはは。
「服乾いたかね。お、乾いてるじゃん。チセちゃんはどうよ」
「あ、ちょっと待ってください。……乾いてます! 着てもいいですか?」
「服くらい好きに来なよ。周囲は俺が警戒しておくから」
「あっ、ありがとうございます!」
俺は早着替えですべての服を着て、それから手元でソードブレイカーをくるくる回しながら、大岩に登って周囲を見回した。チセちゃんは岩の陰で着替えているが、登ってしまった俺からはちょっと丸見えだなぁ……。
武士の情け。見ないでおいてやろう。と俺は目を背けた瞬間に、殺気を感じた。一瞬遅れてチセちゃんが悲鳴を上げる。すでに俺は動いている。
見ればチセちゃんの傍の川から、河童が這い出してきていた。「おぉ~、眼福眼福。イキのいい生娘でねが。これは楽しい思いができそだな~」とけひょけひょ笑いながらチセちゃんに詰め寄ってくる。
言葉を話すタイプのモンスターか。素人ほど騙される奴だ。話せるから会話が成立する、と思い込む。
だが、ダンジョンに味方などいない。味方は、一緒に入った侵入者だけだ。
「チセちゃん、ダンジョン攻略のコツ1だ」
言いながら、俺は跳躍でチセちゃんの背後の大岩に移っていた。そして岩の上、河童の死角から、そのこめかみにソードブレイカーを突き刺す。「かぺっ」と声を漏らして、河童は絶命した。粒子となって消える。
「ダンジョン内で初めて遭遇した奴は、全員敵だ。人間に見えても、話が通じても、敵だ。他の侵入者だったとしても敵だ。RDAプレイヤー的な観点で言うなら記録の障害だし、そもそもダンジョン内は治外法権。今の俺たちにも、相手にも人権はない」
どんな辱めを受けても、殺されても、何にも文句言えないんだぜ。
言いながら見下ろすと、パンツだけ履いて尻もちついたチセちゃんがいた。彼女は慌てて年の割に膨らんだ胸のあたりを隠す。俺は肩を竦めて言った。
「例えば、そう。今みたいに思いっきり裸見られても、ダンジョン外に出た時俺を裁く法は無かったりする」
「おっ、お願いですから! 着替えるまであっち行っててください!」
「あいよー」
ケタケタ笑いながら俺は、チセちゃんの上を軽く跳んで通り過ぎる。だがその瞬間に「でも、その、ありがとうございました……」と言う彼女に、なるほど思った以上に律儀な子なのだな、と思う。
そして、考えるのだ。
多少やんちゃな面はありつつも、しっかりしたこの子が、何故いじめられるのだろうか、と。
着替えたチセちゃんを先導する形で、俺は歩き出した。
「そ、それでその、……鍛えてもらえる、という件は」
「え? ああ、ええ? すごい度胸してんな。叱られたばっかでそういうこと言えるのか。あーでも子供ならそういうこと言うか。俺でも言っただろうな。じゃあ一ついいことを教えるけど、お願い事はタイミングを考えて言うべきだぞ」
「え、あ、その……はい」
「ただ、そうだなぁ……。割と絶好のチャンスというか、面倒だからここで少し教えるのも悪くないか」
「ッ! 本当ですか!?」
「うん。多分適当に歩いてればモンスターの一匹二匹出てくるだろうし」
言うが早いか、「ギッ!」と声を上げて、草むらの奥からのそのそと出てくる姿があった。小さな緑色の人型。ゴブリン。
ゴブリンに限らないけど、普通のダンジョンのモンスターって知性とか戦略を練るとかいう概念がないから楽だよな。俺はチセちゃんにソードブレイカーを渡して、「んじゃちょっとやってみて」とけしかける。
「……えっと?」
「だから、戦ってみ? って。大丈夫大丈夫。死にダンのゴブリンよか全然弱いから。つーか死にダンのゴブリンはまず姿を見せてくれないし」
あっちはマジで化け物。つーか軍隊。集団で襲われたら俺でもキツイ。
しかしこっちは楽勝だ。戦い慣れしてない子供を殺せれば殺せる。逆に言えば、戦い慣れしてない子供を殺せなければ殺せないのがゴブリンだ。それが出来れば晴れてダンジョン攻略者の仲間入り。それと同時に、いわゆる“普通の社会”からちょっと外れる。
さて、お手並み拝見だ。とばかり俺は一歩引いて眺める体勢に入った。俺はゴブリンなら素手で縊り殺せるので、安全対策はばっちりだ。だからどんなにひどい目にあっても「残念才能がなかったな」で済ませる心づもりで居た。
だが、そんな予想は外れることになる。
「えっと……じゃあその、よろしくお願いします」
ぺこっ、とチセちゃんがゴブリンに一礼するのを受けて、アホゴブリンはキョトンとその姿を見つめた。その作り出した隙を、チセちゃんはにっこりとつけ入った。
ゴブリンの棍棒を握る手を掴んで、「えへ」とふにゃりとした笑みを浮かべながら「少し上げてくださいねー」と言ってひょいと上げてしまう。ゴブリンはこんな対応のされ方は未経験に過ぎたらしく、首をひねりながら言われるがままに上げた。
その脇に、チセちゃんはソードブレイカーを差し込んだ。
「ギッ、ギィイイイイイイイィィイイ!?」
「あっ、ごめんなさい! 痛いですよねそうですよね! ごめんなさい下手で。なるべく痛くないようにしますから、我慢してじっとしてくださいね……!」
まるで気弱な看護師さんのような態度だった。チセちゃんは突き入れたソードブレイカーで、流れるように肉の切り分けに入った。
俺は何だと思いながら見つめる。俺は一体何を見ている。
「えっと、肩回りを一周して、腕を取りますね?」
肉を捌くような小慣れた手つきで、チセちゃんは宣言通りゴブリンの腕を落として見せた。初めにソードブレイカーを肩口に突き刺してから、テコの原理で関節を外し、そこからぐるり、だ。骨に刃がぶつかることもなく、すんなり関節を切り分けたのだろう。人体に対する知識が年不相応にあるのだ、と気づく。
「ギィィイ! ギィイイイ……!」
「はい、取れましたよ。持っていてもらえますか?」
すんなり落とされてしまった自らの腕をチセちゃんに普通のテンションで渡されて、ゴブリンは困惑しながら崩れ落ちた。血をまき散らし、錯乱状態のゴブリンは這って逃げようとするが「あっ、ダメですよ。まだ途中なんですから!」と優しく捕まえる。
「でも、そうですよね。苦しいですよね。じゃあ無力化も済んでますし、手早く行きますね?」
チセちゃんはゴブリンの首元を伸ばして、「えいっ」とソードブレイカーを差し込んだ。頸動脈。これ以上ないほど的確に差し込まれたそれは、ゴブリンの血を大量に噴出させる。
「ギィイイイイイイイイ!? ギィイイイイイ!」
「ああ、大丈夫ですよ。もう終わりですからね。ほら、ゆっくりと目を閉じてください。大丈夫ですよ~……」
チセちゃんは語り掛けながら、ゴブリンのまぶたをそっと手で下ろす。その声は、こんな異常を目の当たりにする俺すら少し安堵させる優しい声色で、ゴブリンも悲鳴を上げるのを止めてしまった。
「これで終わりです。お疲れ様でした」
言って、チセちゃんはソードブレイカーをさらに奥に差し込み、そしてまたもテコを上げるようにグイと押した。首の骨が折れる音がする。即死したのだろう。ゴブリンは流血もまとめて、粒子と消えた。
「……こ、こんな感じで、どうでしょうか」
すべてが終わった後、チセちゃんはおずおずと聞いてきた。俺は彼女に向かって、こう言う。
「えっとな……なんて言えばいいのか分からないんだが、ひとまず分かったことを一つずつ言ってくな?」
「は、はい」
「まずチセちゃん。君天才だから、RDAプレイヤーとか、RDAプレイヤーじゃなくても生き死にが存在する業界を目指すといいと思う。まぁでもこれも縁だから、ひとまずRDAでいいだろ。引き続き俺が育てようと思います」
「ふぇっ? あっ、ありがとうございます!」
「うーん、ごめんな。褒めてないんだ実は。んで次。君多分いじめられてないよ。物とか隠されたりした? 嫌がらせを受けたことある? 君が困ってるのを見て笑ってる奴とかっているか?」
「え、……多分、無いです。無視はされますし、徹底的に避けられますけど、嫌がらせは特に……」
「なら、確定。君はイジメられてるんじゃなく、怖がられてる」
その言葉に、チセちゃんはキョトンとした。それから、柔らかな語調でプンプンと怒り始める。
「え、そ、そんなことないですよ! 私、だって、怖いどころか年下にだってバカにされるくらいで……あ! あります! 嫌がらせされたことあります! 最初の方だけですけど」
「そのとき、何した?」
「え、と。そのときは、トイレに入ってる時水をかけられそうな気配がしたので、さっと出て、バケツ持ってる子の手を掴んで、『ダメだよ?』って優しく諭してあげました」
カウンターつっよ。JCがそんなことされたら心折れるわ。イジメようとした奴がイジメる前に先手を打ってくるってこったろ? 不気味すぎる。
「実はな、チセちゃん。普通の中学生って気配読めないんだわ」
「えっ! でっ、でも」
「いや、良いんだよ。そこはもういい。“それが事実だから”。でだ、最初の『君は天才だ』という話に戻そう。
これは腰を屈めて、チセちゃんに目線を合わせて語り掛ける。
「チセちゃんのその天才っぷりは、多分天賦のものだ。いいか。最初も言った通り、これは褒めてるわけじゃない。君は天才で、天才だから、“普通だとされる生き方は出来ない”。君は多分悪気なく誰かを致命的に傷つけるし、その事実は君をも傷つけ、孤独にする」
「え、な、え……?」
「分かるかな。“俺たちは『天才』なんだ”よ。生まれながらに、俺はちょっと事情が違うが、君みたいなのを始めとした“俺たち”の多くは、それに自覚的に生きなきゃならない。ゴブリンを初見で無傷で殺せるのは、そういう手合いなんだ」
特にチセちゃん。俺は語り掛ける。
「モンスターを生きたまま“解体”できる奴なんか、俺はRDAプレイヤーを多く知ってるが、君以外に一人も知らない。異常だよ。“トップレベルの才能だ”。俺みたいに壊れたタイプとはまた全然違う。多分君は、そういう風に最適化されてる」
「え、えと、あの……」
チセちゃんは唾を飲み下し、俺にこう問うてくる。
「それはつまり、私は、コメオさんの仲間になれる、みたいな話で大丈夫ですか? お母さんが言うみたいに友達と仲良くしろっていうのは、しなくてよくて。つまりその、学校の、あんまり楽しくない友達に合わせる必要なんかないっていう、そういう話ですか?」
俺は、その言葉を聞いてにやっと笑ってしまう。
「いいや、そういう話には合わせろ。この社会を回してるのは、そういう普通の人たちだ。だから、形だけ合わせる振りが出来るようになっておいた方がいい。だが、本質的に分かり合えないから、そこは“諦めて良い”。君の気持ちは、本性は、俺たちにしか分からない」
その言葉を聞いて、チセちゃんはパァ、と表情を明るくした。そんな彼女の頭を撫でて、俺は言う。
「ひとまずは、船頭さんに謝ることだな。それが終わったら……どうするか。宿は取ってるんだよな?」
「あ、いえ。そんなにお金なくて、今日はコメオさんに会うので温泉にあらかじめ入ってきたんですけど」
「……え、野宿?」
「はい。初めてでしたけど、少しワクワクしちゃいました」
「……危なくね?」
「何がですか?」
ああ、この子大物だわ。そう思いながら、俺は「了解、ギンコにも紹介しよう。都合つけとくから、今日は俺たちのとこの宿に泊まりな……。ベッドは余ってたから」と俺は眉間を押さえた。「お泊り!? あ、よ、よろしくお願いします!」とチセちゃんは喜ぶ。




